21.風邪の日くらいは

 遥香との関係が修復してから数日、遥香が風邪を引いてしまって学校を休んでいる。理由はストレスから来るものらしい。「蓮也くんがいなかった反動です」なんて本人は言っているが、容態はかなり悪そうに見えた。心配なので、今日は少しだけ急いで帰ることにする。


「ゼリーでも買って行った方がいいか」


 近くのコンビニでゼリーを買う。蓮也の好みは全て知られているものの、蓮也は遥香の好みを全く知らない。とりあえず無難に白桃ゼリーとぶどうゼリーの2つを買っておいた。

 ピンポーン……

 遥香の部屋のチャイムが木霊する。無理をして出てきて欲しくもないので、とりあえず後でいいとメッセージを送って、蓮也は自室のドアに鍵を差し込む。違和感。マンションの部屋のドアは、基本左回しで開けるのだが、そちらへ回すとあまりにも軽い。

 要するに、ドアが空いている。

 一応、空き巣の可能性を考慮しつつ、おそらく中にいるであろう人物のために買ったゼリーの袋を握りなおす。


「……やっぱりか」


 案の定、リビングのソファーには遥香がいた。すやすやと眠る様子とリビングの状態を見るに、別段なにかをしに来たという訳では無いだろう。風邪を引いたときに人肌が恋しくなるのはよくある事だ。

 遥香の頭の隣に蓮也も腰掛ける。少し苦しそうな顔をしているので、あやす様に頭を撫でる。そのおかげかは知らないが、遥香の表情は若干和らいだ。

 テーブルの上に体温計が置いてある。蓮也の家の物とは違うので、持ち込んだものだろう。いつ測ったものかもわからないが、この体温計が前回の検温を記録してくれるものならある程度は遥香の容態がわかる。


「39.6℃か……重症じゃないか」


 この風邪の原因が蓮也がいなかったストレスだと言うので、少し嬉しくなってしまう。

 そんなことを考えていると、遥香が手の中で動く。起きたわけではなさそうだが、すりすりと蓮也の手に頬を擦り付けてくる。可愛らしくて仕方ないその仕草に、蓮也は空いてるもう一方の手で遥香の頭を撫でる。


「可愛すぎないか……?」


 彼女を溺愛する彼氏の気分になる。遥香は蓮也の彼女ではないのだが、それくらい遥香が可愛らしい。

 そこまで考えて、熱で苦しんでるのに何を考えてるんだと蓮也は我に返る。両手の感覚に若干の名残惜しさを感じながらも、一旦遥香の傍を離れる。「んん?」と遥香の声が聞こえたのは、おそらく気の所為じゃないだろう。

 メッセージに「冷蔵庫にゼリー冷やしてあるから、食べれそうなら食べろ」と送信する。あいにく蓮也の部屋にスポーツドリンクはおろか、風邪薬すら置いてないので、コンビニへ買いに行くことにした。






「帰りに買えばよかったな」


 一人、そんなことを呟く。しかし、よくよく考えれば遥香が蓮也の部屋にいること自体おかしい事なので仕方ない。


「あれ?ㅤ結城くん?」

「ああ、伊藤か」


 体育大会で騎馬を組んだ、伊藤蒼弥いとうそうやだ。今永の名前は未だに覚えられないが、蒼弥の名前は意外と覚えられていた。


「どうしたの?ㅤスポーツドリンクと……風邪薬?」

「おう。ちょっとな」

「ああ、そういえば風邪で休んでるんだっけ。さすが、ちゃんと彼氏さんしてるね」

「彼氏じゃないけど、普段は世話になってる分こういうときはな」

「僕には2人が付き合ってないならどういう関係なのかが気になるよ」


 コンビニからの方向が同じだったので、しばらく2人で歩く。蒼弥は料理も多少はできるとの事だったので、お粥の作り方を教えてもらった。






「あ……れんやくん……」

「ただいま。大丈夫か?」

「はい……今ご飯作りますね……」


 そんなことを言いながら立ち上がろうとする遥香を、蓮也は半ば無理やり元の位置に戻す。


「馬鹿」

「また馬鹿って……」

「なんでそんな状態なのに晩飯作ろうとしてんだ」

「大丈夫ですよ。死んだりしませんから」

「俺は早く遥香と学校に行きたいからな。早く治してもらわないと困る」

「……馬鹿」

「お前がそれを言うか」


 若干顔が赤いのを見て、熱が上がってしまったのかと心配する。どうやらそういうわけではないようで、遥香はソファーにもう一度寝転がった。


「大人しくしてろよ?」

「わかりましたよ。馬鹿って言われたくありませんし」

「おう。食欲はあるか?ㅤお粥でも作るけど」

「れ、蓮也くんがですか?」

「おい、不安そうな声になるな。一応料理はできるって」

「……そうですね。なら、たまにはお願いしてみます」

「それでいい」


 蒼弥に教えてもらった通りに、蓮也は作業を進めていく。案外簡単に作れたので、そのまま器によそって遥香の元へ持っていく。


「食べられそうか?」

「はい。大丈夫です」


 少し落ち着いてきたのか、言葉がはっきり話せるようにはなっている。蓮也がふーっとお粥を冷まして遥香の口へ運ぶ。


「ん……美味しいです」

「そりゃ良かった」

「なんだか、恥ずかしいですね。子どもに戻った気分です」

「俺たち実はまだ子どもだけどな」

「確かにそうですね……ふふっ、なら子どもらしく蓮也くんに甘えることにしますよ」

「そうしてくれ」

「隣に座ってください」

「了解」


 お粥を冷ましながら、遥香の隣に腰掛ける。ぴとっ、と身体を引っつけてくるが、その身体はかなり熱い。


「食ったら熱測れよ」

「わかりました。あの、今日は泊めてもらってもいいですか?」

「珍しいな、別に構わないけど」

「ありがとうございます」


 実は寂しがり屋なのか、今日の遥香は甘え方が可愛らしい。蓮也としても、遥香に無理をさせないで済むので泊まってくれるのはありがたい。


「……ふふっ」

「どうした?」

「蓮也くんがこんなにしてくれるなら、ずっと風邪でいるのも悪くないなって思いました」

「風邪じゃなくてもやるけど」

「あ、ご飯とかじゃなくて、こんな風に甘えさせてくれることですよ。ご飯は作りたいです」

「好きでやってるので、だろ?」

「その通りです」


 顔を見合わせて笑う。遥香が蓮也のことをある程度はわかるように、蓮也にも遥香の考えていることがだいたいわかるようになってきた。


「ごちそうさまでした」

「お粗末さま。水汲んでくるから、薬飲め」

「わざわざありがとうございます」


 背を向けると、後ろから体温計の起動音が聞こえる。しっかり熱を測っているようなので、安心して水を準備する。


「はい。下がったか?」

「39.4℃です……下がってはいませんね」

「熱は高いけど意識もはっきりしてそうだし、何日か安静にしてたら治るか」

「だと思います」

「ベッド貸すから、薬飲んだら寝てろ」

「はい」


 そう言うと遥香は薬を飲んで、ふらふらと立ち上がる。真っ直ぐに立てていないので、慌てて蓮也は支えに入る。


「助かります……」

「なんの為に俺がいるんだよ」

「……安心感?」

「疑問形じゃねーか」


 遥香をベッドに寝転がらせて蓮也が部屋を出ようとすると、服の袖を掴まれる。


「行かないで……」

「……おう。行かない。ここにいるから」

「手、握ってて欲しいです」

「おう」


 相当弱っているのか、遥香が甘えを見せてくる。言われた通りに手を握ってあげると、遥香は穏やかに寝息をたて始める。


「おやすみ」


 手を離そうかと思ったが、遥香の寝顔は本当に熱があるのか疑うほど可愛らしくて、離れることはできなかった。

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