閑話3

 夏休みが終わって、膝枕をしてもらって、気がつけば体育大会の時期だそうです。とはいえ、半ば強制的に蓮也くんと二人三脚に出場することになってしまったのですが。


「そういえば、他のクラスの二人三脚の出場者は練習を始めていましたね」

「もうしてるのか。俺たちもするか?」

「そんなことよりも中間テストの勉強ですかね」

「同感」


 とりあえず、練習は後回しにすることにしました。一応私も、学年1位のプライドもありますし、蓮也くんだって勉強の時間が欲しいはずです。

 そのまま、蓮也くんの隣にいつもよりも近い距離で座ってみます。鼓動がとてもうるさく感じる距離です。


「近くないか?」

「に、二人三脚ではもっと近いですよ……練習です、練習」

「そっか。確かに二人三脚で恥ずかしいとか言ってられないよな」

「お、落ち着いてますね」

「遥香との距離感なんて今更な話だろ。一応このくらいの耐性はできた」

「……えいっ」


 そう言って膝枕に切り替えます。前は私が強制的にされたので、今度は私がするのです。


「遥香?」

「私だけ恥ずかしいのはずるいのと、この前の仕返しです」

「仕返しって……」


 仕返しのはずだったのに、この後数秒で形勢逆転されてしまいます。しかも、頭まで撫でてくるのです。それでもやっぱり恥ずかしさよりも嬉しさが勝ってしまって、いろんな意味で恥ずかしくなってしまいます。


「蓮也くんの膝は落ち着くので、またしてくれたら……嬉しいです。嫌じゃなければ、ですけど……」

「嫌ならこんなことするかよ。遥香がしてほしいことなら、なんだってするから」

「そ、そうですか……至れり尽くせりですね」

「そりゃこっちの台詞だ。ほんと、いつも悪いとは思ってるんだけど……」

「好きでやってるので」

「そう言うから、まだ遥香に甘えてようと思う」

「はい。いっぱい甘えてくださいね」

「なんか意味合いが違う気がするけど……」


 いつだって私は蓮也くんを甘やかす準備は出来てますよ、なんて茶化してみようと思ったのですが、ここで本当に甘えられてしまうと恥ずか死んでしまうのでやめておきました。






 中間テストは2人で勉強してなんとか乗り切りました。そして、初めての練習です。


「なかなかいい感じじゃないか?」

「普段から一緒にいるからか、息は合いますね」

「だな」


 予想以上に動けてしまいました。傍にいる時間が長いからか、息はぴったりです。

 そんなこんなで、少し疲れてきたから休憩をしようということになりました。紐を解こうとすると、バランスを崩して、それを助けようと蓮也くんは私を抱き抱えてくれます。

 ゴンッと、鈍い音が響きます。


「助かりました蓮也くん……大丈夫ですか?」


 返事がありません。


「壁際で練習しすぎるのも考えものですね」


 やっぱり返事がありません。


「れ……蓮也くん?返事してもらってもいいですか?」


 蓮也くんからは何も聞こえません。


「蓮也くん!ㅤ蓮也くん!」


 目から涙が零れているのがわかります。が、そんなことは関係ありません。私が泣いているのを見てか、他の場所にいた人達がわらわらと集まってきます。


「蓮也くんが!ㅤ蓮也くんが頭を打ったみたいで!」


 そう訴えるも、誰も動いてくれません。普段は月宮さん月宮さんと言っているくせに、こういう時には何もしてくれません。

 とりあえず、一旦落ち着きます。紐を解いて、蓮也くんの腕から抜けます。


「月宮!ㅤどうした!?」

「八神くん!ㅤ蓮也くんが大変なんです!」

「とりあえず保健室に運ぶよ。翔斗、屈んで」

「はいよ」

「遥香、手伝って。結城乗っけるから」

「は、はい!」


 それから八神くんが保健室まで蓮也くんを連れて行ってくれました。ただ頭を打って気を失ってるだけみたいです。とは言われても、頭を打っているので心配なことに変わりありませんが。


「とりあえずよかったね」

「保健室に何人もいると邪魔だし、俺らはとりあえず教室にいるから」

「はい、ありがとうございます」


 悠月ちゃんたちは部屋を出ていきます。私は蓮也くんのベッドの横に座ってることしか出来ません。


「なんでこんなに無理するんですか……」


 私は蓮也くんに傷ついてほしくなんてないのに。いえ、ほんとはわかってます。蓮也くんは優しいから、私のことを庇ってくれたんです。その程度のことは蓮也くんと半年間一緒にいた私には容易に想像できることです。

 泣き疲れてしまったのか、だんだん意識が朦朧としてきます。






「れんやくん……?」

「おはよう」

「だ、大丈夫ですか!?」

「おう。大丈夫大丈夫」

「頭は回ってますか?ㅤ歩けそうですか?ㅤ私のことわかりますか?」

「そういえばあなた誰……?」

「えっ……あ、あの……えっと……はい。蓮也くんの隣人の月宮と……」

「ごめん冗談だから。ちゃんと全部覚えてるから」


 少しだけイラッとして、私は保健室から飛び出してしまいます。下駄箱にまで走って、蓮也くんが頭を打っていることを思い出しますが、戻りたくはありません。私の所為とはいえ、心配したことがわかってるんでしょうか。


「本当によかった……」


 自然と涙が零れます。誰かのために泣くなんて蓮也くんが初めてなので、どうすればいいのかわかりません。

 しばらくして蓮也くんがやってきました。


「もう二度とあんな冗談はやめてください」

「……泣いてた?」

「泣いてません!」


 馬鹿にしてるんでしょうかこの人は!






 体育大会当日、私は朝早くに2つのお弁当を準備しました。本当は悠月ちゃんたちの分を含めて4つ作りたかったのですが、悠月ちゃんも八神くんにお昼を作ってあげたいからと断られてしまいました。

 今日のお昼が楽しみだと言って、蓮也くんは少し上機嫌です。

 蓮也くんの綱引きを見届けて私も徒競走の準備をしていると、蓮也くんが露骨に目を逸らします。


「どうしました?」

「いや、別に」

「……あー、蓮也くんは初めてですよね。私のポニテ見るのって」

「そうだな。いいと思う」

「そ、そうですか。普段からこうしていましょうか?」

「それは……」


 そこそこ真剣に考えてくれています。その様子が少し可笑しくて、笑ってしまいました。蓮也くんには徒競走の間に考えておくよう伝えて、私は集合場所へと急いでいきました。後の楽しみがあるとやる気が出ますね。

 結局、髪型は普段通りにすることになりました。






 いろいろと、主にまた間接キスというハプニングがありながらも、お昼を食べて午後の部、3つ目の種目です。


「……この雰囲気、すごく辛いです」

「同感だ……」


 男女のペアは、私たち以外はカップルばかりです。当然といえば当然ですが、普通は男女で二人三脚なんて出ませんよね。

 実行委員の人に茶化されたりしながらも、なんと一位でゴールできてしまいました。


『トップを独走したおふたりですが、ご関係はやはり恋人ですか?』

「あ、違います。ただの友達です」

『えっ、うそぉ……まさかのあれだけ息ぴったりの走りを見せてくれた2人は友達とのことです!2人の恋路はこれからといったところでしょうか!?はい、拍手!』

「……元気だな」

「2人の恋路はこれかららしいですよ」

「よくそんな台詞言えるよな」

「ふふっ、面白いからいいんじゃないですか?」


 私たちの恋路が始まるのなら、それは嬉しい話ですが、そんなに都合よく事は進んでくれたりしないので困るんですよ。






 残る競技は蓮也くんの騎馬戦だけになりました。もうすぐ始まるので私はゆっくり観戦します。


「楽しみですね、悠月ちゃん」

「あー、うん。そだね。なんか2人とも張り切ってたし」

「悠月ちゃんにいいところ見せたいんですよ」

「んなことしなくても、翔斗はいいとこだらけだっての」


 なんだかんだ言っていても、悠月ちゃんは八神くんの事が大好きなんですね。そんな話をしていると、騎馬戦開始の合図が鳴らされます。

 蓮也くんたちの騎は開始と同時に素早く相手の騎の数を減らしていきます。


「すごい……」

「伊藤のこと全然知らなかったけど、すごいじゃん」

「浮気は駄目ですよ」

「するわけないし」


 照れくさそうにする悠月ちゃんは、女子の私から見ても可愛いもので少しだけ八神くんが羨ましくなりました。それでも、私が好きなのは蓮也くんですがね。






 圧勝で幕を閉じた体育大会の後、私は数人の男子生徒に呼び出されていました。要件は全員告白でしょう。


「好きです!」

「ごめんなさい」

「即答……」


 そんなに肩を落とされても、私のことを知らない人と付き合うつもりなんてさらさらありません。蓮也くんとまでは言いませんが、せめて八神くん程度には私を知ってから出直した方がいいですよ。結果は変わりませんが。


「やっぱり結城が……」

「あいつがいなけりゃ……」

「……ちょっと待ってください。どうしてそこで蓮也くんが出てくるんですか?」

「どう見ても月宮が断る理由なんか、結城だろ」

「えっ……」


 蓮也くんがいなくても、私が告白を受けることはありません。が、そんなことよりも私は、その時の彼らの目をよく知っています。誰かを陥れるときの、他人を壊すときの人間の醜い目。私が嫌いな目をしていました。反射的に距離を取ってしまい、そのまま逃げ出します。かなり離れたところで息を整え、ひとつの決断をすることにしました。

 蓮也くんを探します。これを伝えてしまえば、もう蓮也くんとはさよならです。

 蓮也くんを見つけると、私の頬を涙が流れていくのがわかります。その涙を拭って、私は蓮也くんに、私の決断をそのまま伝えます。


「私たち、もう関わるのをやめましょう」





 あの日から、蓮也くんは私を追いかけるようになりました。が、関わりません。私は蓮也くんのロッカーが嫌な手紙だらけになっていることも知っています。そして、それがエスカレートするとどうなるかも知っています。だから、関わりません。もう、私とは他人です。関わりのない、ただの隣人。

 数日後、結城くんは学校を休みました。心配でない、なんて真っ赤な嘘です。蓮也くんに会いたい、蓮也くんに甘えたい、蓮也くんの傍に居たい。そんな考えばかりです。


「遥香」

「……悠月ちゃん。どうかしましたか?」

「どうかした? 本気で言ってる?」


 呆れたようにしながら悠月ちゃんは怒りをあらわにしています。そんな顔をされても、私に出来ることは何もありません。


「さようなら」

「おい。待て」

「……悠月ちゃんらしくないですね。どうしました?」

「別にあんたが何を考えてようが口出しするつもりは無いよ。でも、何があったかくらいは話してくれてもいいんじゃない?」

「悠月ちゃんには関係な……」

「あるよ。あるに決まってるじゃん。友達なんだから」

「……っ!」


 悠月ちゃんのこういうところは本当に苦手です。そして、私はそんな悠月ちゃんだから友達になろうと思ったんでした。

 ありのままを伝えました。腹部の、ナイフの痣も見せました。そして、悠月ちゃんは頭を撫でてくれました。私の部屋の隣の住人とよく似た温かさを感じます。


「最初に言ったから、遥香の考えには口出しはしない」

「いくら悠月ちゃんでも、私は変わるつもりなんてありませんから」

「だろうね。でも……」


 私の顔色を窺うようにして、悠月ちゃんはこっちを確認します。


「結城には、遥香が必要だから」


 それだけ言って、悠月ちゃんは去ってしまいました。そんなことを言われて、私はどうすればいいのか。生活面だけならば、今もカバーを続けているので、問題は無いはずです。

 違います。わかってる。わかっています。私も蓮也くんも、お互いが支えだったからこそ、一緒にいると安心できた。だから私も、正直に言うとこの状況が怖いんです。それでも、蓮也くんが傷つくことの方が、私はもっと怖いから。私は一人で生きていくことが出来るから。結城くんには関わらないんです。






 翌日には、一年生の頃のような人に囲まれる状態に戻りました。居心地の悪い、愛想笑いと適当な返事をし続ける毎日。少し一年生の頃よりは人が少ないですが、むしろそっちの方が楽です。

 そして、放課後。油断していた私は結城くんに声をかけられてしまいました。


「遥香」

「……っ!? れん……結城くん」

「他人行儀だな」

「……もう、他人です」

「俺、なんかしたか?」


 首を横に振ります。しているわけがありません。結城くんは私には何もしていませんと、そう言いたかったけれど、私にはそれを口にする資格すらないような気がしてしまいました。


「なら、どうして……」

「結城くんは、どうして私に関わろうとするんですか?」

「それは……!」


 隣人だから。友人だから。これは私の願望なのでしょうが、私の事が好きだから。理由なんてたくさんあります。


「……蓮也くん」

「なんだ?」

「私があなたの友人として最後に伝えておきたいことがあります」


 結城くんではなく、蓮也くんへ。隣人ではなく、友人のあなたへ。蓮也くんには、私のすべてを知る権利があるから。私は悠月ちゃんに見せた時と同じように、腹部の傷を見せます。


「それ……」

「私がいじめられていた、それは知っていますよね」

「聞いた。それは、ナイフの跡か?」

「そうです。いじめというのは怖いもので、いけないこととわかっていても、リーダーが始めてしまうと収集がつかなくなります」


 その苦痛は、今でも鮮明に思い出すことが出来てしまうのが嫌なところです。


「彼女たちが今何をしてるかなんて知りませんし、興味もありません。どうでもいいんです」

「……どうしてそれを、俺に?」

「体育大会の日、私は数人の男子生徒に呼び出されましたよね」

「そうだな。告白だったんじゃないのか?」

「その通りです。当然断ったのですが、その瞬間の彼らの目が、明らかにおかしかったんです。それこそ、狂気に身を染めた彼女たちみたいに」

「……それで、か」


 ようやく話を掴んでくれたようで、蓮也くんはため息をついています。この話をしたのは、お姉ちゃんと悠月ちゃん、蓮也くんだけなのにそんな反応をされてしまうと、少しだけ恥ずかしくなります。


「馬鹿かお前は」

「なっ……ば、馬鹿って!」

「訂正、お前は馬鹿だ」

「酷いですね……これでも、一応蓮也くんに迷惑をかけないよう頑張ったつもりでしたが……」

「知ってる。全部空回りだけどな」

「はい?」

「……お前がいないと、俺は困る。ものすごく困る」


 悠月ちゃんが言っていたことを思い出します。蓮也くんには私が必要、その意味は私にもわかります。

 と考えていたら、蓮也くんに頭を撫でられ、その温かさに一瞬だけ身を任せそうになってしまい、慌てて飛び退きます。


「撫でて誤魔化さないでください」

「正直言うとな、俺はいじめられようが別に構わないんだよ」

「……それはいじめられたことがないから言えるんです。辛いですよ」

「傷を見ればわかる。けど、俺からしたら遥香が傍にいてくれない方が辛いんだよ」

「晩御飯はちゃんと置いています。生活面で困ることはありませんよ」

「生活面は、な。なんていうか、落ち着かないんだ」


 落ち着かない。その気持ちは私もそうだから。

 蓮也くんの傍に居たい。蓮也くんが好きだから。

 蓮也くんから離れたい。蓮也くんが好きだから。

 私の気持ちは、どうやっても前者に傾いてしまう。


「俺は遥香がいないと何も出来ないからな」

「……蓮也くんは本当にずるいです」

「そんなことないと思うけど」

「そんな風に言われたら、もう他人なんて言えないじゃないですか」

「遥香はなんでも一人で考えすぎなんだよ」

「だって……蓮也くんにそのまま伝えたら馬鹿って言われると思って……」

「さっき言ったな、馬鹿って」

「……腹が立ってきました。早く帰って膝枕です」

「はいはい。なでなでオプション付きか?」

「当然です」


 私はもう少しだけなら、この人の傍に居ても許されるのかもしれないと。そんなことを思ってしまう私は少しどころか二度と蓮也くんから離れられないんだと実感するのでした。






「海に行った時に気付いてやれれば良かったのにな」

「最近のシールは完全防水で色のバリエーションも豊富ですので、気付く方がおかしいですよ」

「そういうもんなのか」


 蓮也くんのなでなでオプション付きの膝枕を堪能しながら、そんな話をします。本来ならものすごく不思議な状況なのでしょうが、そんなことを考えられないくらいにはお互いが恋しかったのでしょう。


「もう離れませんけど、文句言わないでくださいね?」

「不満はない」

「なら結構です」


 今度は、この想いをどうすればいいのかを考えなければいけないかもしれませんね。

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