20.言葉の真意

 遥香から関わるのをやめようと言われてから、既に一週間程が経った。あの日からも遥香の料理は食べられている。タッパーに詰められた物を一人で食べる生活となってはいるが。

 あの日から、下駄箱や教室のロッカーに幼稚な脅迫状が届くようにもなった。月宮から離れろだのなんだのが書かれたものが送られてきていた。

 そして、蓮也と遥香は一言も話すことはなくなった。蓮也が声をかけようとすれば逃げて行ってしまうから。


「……俺、なんかしたかな」

「どうしたんだよ」


 今、蓮也の隣にいるのは翔斗でも悠月でも、まして遥香でもなく今永だった。


「いや、なんでもない」

「最近月宮と話せてないことか?」

「……よく見てんな」

「というか、クラスのほとんどが心配してんぞ。あれだけ教室でイチャついてたのが、急に一言も話さなくなったって」

「イチャついてはないけどな。まあ、何もした覚えもないし、急になんだよ」


 なにかをした記憶はない。第一、遥香から関わるのをやめようなんて言われるようなことをすれば、さすがに反応でわかるはずだ。

 

「……はぁ」

「元気出せよ。一時的なもんかもしれんし」

「……だと、いいんだけどな」


 なぜか、とても嫌な予感がした。






 家に帰る。いつも隣に居た人は、今はいない。蓮也は遥香の事を少しは知れているものだと思っていたけれど、本当はやはり何も知らなかったのかもしれない。


「遥香……」


 傍にいないだけで、まるで心に穴でも空いたような感覚だ。きっと理由がある。いつかまた一緒に過ごせる。そんな根拠もないことを考えていても、焦燥感は消えない。

 やはり、嫌な予感がする。もう二度と、遥香と元の生活へ戻れないような予感がしてしまう。そんなことを本当は考えたくもないのに、どうしても考えてしまう。

 何も考えずソファーに寝そべるが、何かが足りない。

 そうしていると、蓮也のスマホが鳴る。


『もしもし』

「天宮……どうした?」

『なにがあったの?』

「……ごめん、話せることがない」

『どういうこと?』

「何かをした覚えもないし、何があったのかも知らない。ただ関わるのをやめようと言われただけだ」

『……そうなんだ。あの子がそんなことを、ね』

「……切っていいか?」

『ああ、うん。ごめんね』


 蓮也の声色から心情を察したであろう悠月は、すぐに通話を終了する。もしかしたら悠月と通話でもしていた方が気が紛れたかもしれないが、どうもそんな気分にはなれない。蓮也にとって遥香がどれだけ大きな存在だったのかを実感してしまう。

 だんだんと崩れていく日常がとても怖い。






 脅迫状も数が減っていった。その脅迫状が減ると同時に、遥香の周りにはまた人が増えていった。蓮也と出会う前の、愛想笑いと適当な返事。


「蓮也、飯食おうぜ」

「……おう」


 いつも通りと言えばいつも通り。だが、やはり足りない。傍に遥香がいないだけで、違和感がある。


「今、悠月が探り入れてくれてるらしい」

「なんの?」

「月宮にだよ。なんでお前に関わるのをやめようなんて言ったのかのな」

「……申し訳ないな」

「そんなこと考えなくてもいいんじゃねーの?ㅤつか、お前の目が死んでんだよ」

「そうかもな」


 鏡なんてロクに見ていないが、きっと生気に満ち溢れたような顔ではないだろう。目だって死んでいるかもしれない。


「このクラスの連中ってな、実はお前のこと応援してるやつ多かったんだぜ?」

「へぇ。意外だな」

「もちろんお前を妬んでるやつもいたけどさ。それでも今永みたいなやつはいるし、むしろそんな奴の方が多いんだぜ?」

「そっか」


 そんな事実を伝えられても、今の蓮也にとってはどうでもいい事だった。

 その日、遥香の料理に初めて手をつけなかった。






「……もう、いいかな」


 学校にも行きたくない。好きな人と話さないだけでずる休みとは情けない話だ。しかし、行きたくないのだから仕方ない。

 適当に朝御飯を作る。面倒だから目玉焼きにする。当然ながらずる休みなんて生まれてこの方して来なかったので、もう一度ベッドに寝転がる。ぼーっとしていると急に睡魔が襲ってきた。そのまま身を任せて、夢に落ちる。

 温かい夢だった。いつも通りになりつつあった日常の夢。なにかが違う訳でもなくて、ただ二人で食卓を囲むだけの、そんな夢。

 目が覚めて、蓮也はひとつの決意をする。

 明日、遥香と話をしよう。






 翌日の放課後、悠月からの情報で遥香が校内をぶらついている事を知った蓮也は、とにかく校内を駆けずり回って遥香を探した。

 そして、だんだん枝がむき出しになっていっている桜の木に、彼女はいた。

 虚ろの目で、その目から感情は全くわからない。


「遥香」

「……っ!? れん……結城くん」

「他人行儀だな」

「……もう、他人です」

「俺、なんかしたか?」


 蓮也の言葉に、遥香は首を横に勢いよく振る。髪の乱れなんて全く気にしていないようで、原因は本当に蓮也ではないのだろう。


「なら、どうして……」

「結城くんは、どうして私に関わろうとするんですか?」

「それは……!」


 好きだから。そう言ってしまえたら楽だろうが、伝えることができない。感情と行動はいつもちぐはぐだ。


「……蓮也くん」

「なんだ?」

「私があなたの友人として最後に伝えておきたいことがあります」


 そう言って遥香はおもむろに制服をたくしあげる。真剣な表情での行動だったので、目を逸らさずに見つめる。

 そこには、大きな刃物で切りつけたような痣があった。


「それ……」

「私がいじめられていた、それは知っていますよね」

「聞いた。それは、ナイフの跡か?」

「そうです。いじめというのは怖いもので、いけないこととわかっていても、リーダーが始めてしまうと収集がつかなくなります」


 遥香へのいじめは、想像以上に壮絶なものだった。靴の中に画鋲を入れられ、集団で殴られ、蹴られ、挙句の果てにはナイフで切りつけられた。そんな過去を、蓮也は知らなかった。


「彼女たちが今何をしてるかなんて知りませんし、興味もありません。どうでもいいんです」

「……どうしてそれを、俺に?」

「体育大会の日、私は数人の男子生徒に呼び出されましたよね」

「そうだな。告白だったんじゃないのか?」

「その通りです。当然断ったのですが、その瞬間の彼らの目が、明らかにおかしかったんです。それこそ、狂気に身を染めた彼女たちみたいに」

「……それで、か」


 遥香に告白をしてきた連中が憂さ晴らしの矛先を向けるのは、蓮也以上に適した存在はいないだろう。いじめを、普通ではない恐怖を知っている遥香だから、蓮也を同じ目には合わせたくないというところだろう。


「馬鹿かお前は」

「なっ……ば、馬鹿って!」

「訂正、お前は馬鹿だ」

「酷いですね……これでも、一応蓮也くんに迷惑をかけないよう頑張ったつもりでしたが……」

「知ってる。全部空回りだけどな」

「はい?」

「……お前がいないと、俺は困る。ものすごく困る」


 そう言って、頭を撫でる。やはり嫌がる訳でもない遥香は、一瞬だけ心地よさそうに目を細め、飛び退く。


「撫でて誤魔化さないでください」

「正直言うとな、俺はいじめられようが別に構わないんだよ」

「……それはいじめられたことがないから言えるんです。辛いですよ」

「傷を見ればわかる。けど、俺からしたら遥香が傍にいてくれない方が辛いんだよ」

「晩御飯はちゃんと置いています。生活面で困ることはありませんよ」

「生活面は、な。なんていうか、落ち着かないんだ」


 隣にいてくれるはずの人がいないだけで何もする気が起きないのだ。だから、遥香には蓮也の傍にいてもらわないと困る。


「俺は遥香がいないと何も出来ないからな」

「……蓮也くんは本当にずるいです」

「そんなことないと思うけど」

「そんな風に言われたら、もう他人なんて言えないじゃないですか」


 当然だ。蓮也と遥香は隣人であり、友人。恋人でもなければ婚約をしているわけでもない。が、赤の他人では決してない。


「遥香はなんでも一人で考えすぎなんだよ」

「だって……蓮也くんにそのまま伝えたら馬鹿って言われると思って……」

「さっき言ったな、馬鹿って」

「……腹が立ってきました。早く帰って膝枕です」

「はいはい。なでなでオプション付きか?」

「当然です」

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