9.帰るときは二人だけ。帰ってからも二人だけ

「楽しかったですね」

「そうだな」


 いろいろありながらも、楽しむことは出来た。夕方頃に方向が全く違う翔斗たちと別れ、蓮也たちは二人で帰っていた。


「思っていたよりも、電車の中は人が少ないですね」

「まあ、俺たちが座れるくらいにはすかすかだな」

「もしかしたら、悠月ちゃんたちの方は人がいるかもしれませんね」

「かもな」


 実際、翔斗たちが使っている路線は都市部と繋がっているので、人は多いかもしれない。もちろん、蓮也も遥香も人が多いよりは少ない方がいいので、なにも損はないのだが。


「……」

「……ん?ㅤ遥香?」


 突然、無言で遥香にもたれかかってこられた。軽いから全く負担ではないのだが、あまりにも急だったので少し驚く。


「すぅ……すぅ……」

「寝てる……のか?」


 疑うまでもなく寝てるだろう。遊び疲れて寝る、なんて少し子どもみたいだが、しっかりとした遥香からは考えにくい行動で、思わず微笑んでしまう。

 幸いにも最寄りの駅まではかなり時間がかかる。その間は寝かせておいていいだろう。


「……穏やかなこった。人の気も知らないで」


 実際、遥香が起きていたら蓮也の心音は聞こえていたかもしれない。それくらい、蓮也は胸が高鳴っていた。金木犀のような香りは、髪からだろうか。海水に浸かった後なのにいい香りがする。

 そこで、ふと邪念が芽生えた。少しくらいなら、悪戯をしても怒られやしないのではないだろうか。そんな邪念が。


「……いやいやいや。駄目だろ、人間として」


 声に出して、自分を制止してみる。が、その邪念を振り払うことはできなかった。蓮也が手を伸ばせば、その髪にも触れられるし、肌を触ることも出来る。


「頼むから起きてくれ……」


 起きてくれたならこんな葛藤は必要ない。もちろん、寝ていても触れるのはアウトだ。

 だが、理屈ではなく蓮也の欲求は、抑えられないくらいに溜まっていた。少しくらいなら、という最低な考えが出てくるほど、邪念は蓮也の意思へ侵食していく。

 そうして我慢出来ず、頬に触れた。触れてしまった。


 ぷにぷに。


 柔らかな感触が蓮也の手に伝わる。しっとりとした肌に、つつく手を止められない。

 と、そんなセクハラ紛いの行動を繰り返していると、車体が揺れ、遥香の体は蓮也の反対側へと大きくもっていかれた。


「っ、あっぶな……」


 座席の端の方に座っていたので、遥香がそのままの勢いでポールに頭をぶつけそうになるのをなんとか支える。金木犀の香りが漂い、なんとも理性をくすぐられるような感覚に陥る。

 心を落ち着かせ、遥香を元の蓮也にもたれかかった体勢に戻すと、遥香の顔は夕日のせいか、心做しか赤く見えた。






「遥香、着いたぞ」

「……」


 返事はない。しかし、起こさなければ帰れない。

 のだが、この穏やかな寝顔を崩してしまうのは非常に申し訳ないような気がした。遥香本人は嫌がるかもしれないが、おぶって帰ることにした。


「よっと……」


 遥香は決して重くなく、むしろ軽すぎるのでおぶることはできる。ただ、寝ている人間を起こさないようにおぶるのはなかなか面倒で、抱きかかえた方が早いような気がしたが、周囲の目が怖いのでやっぱりおぶることにした。


「切符は……」


 蓮也も遥香も、学校は徒歩圏内なので定期やICカードは持ち合わせていない。遥香が切符を鞄に入れていたことを思い出して、申し訳ない気もしながらも鞄を漁る。

 駅員にわかりやすく二枚の切符を見せ、改札を通る。妙に視線が生暖かかったのは、蓮也たちがカップルにでも見えたのだろう。

 時間はまだそれほど遅くもないし、急ぐ必要もないのでのんびりと帰ることにした。蒸し暑くなるこの季節では考えられないほど涼しかったので苦はない。

 ときどき遥香の様子を見ながら歩いていたが、穏やかな寝顔のままだったので安心しつつ歩いた。


「あ、そういえば」


 たまに遥香に頼まれて買い出しに行くスーパーの特売品が、今日は豚バラの切り落としだった気がする。今日のメニューはまだ決めていないし、たまには蓮也が生姜焼きでも作ろうか。味は落ちるが、遥香を少しくらい楽させてやれるかもしれない。


「んっ……」


 妙に色っぽい声に、なぜか悪いことをしてる気分になったが、なにもやましいことはしていない。そんなことを考えていると、背中からまた声が聞こえた。


「……蓮也くん?」

「起こしたか。ごめん」

「……えっ? えっ?」


 状況に困惑しているのだろうか、戸惑いの声をあげている。


「えっと……ごめんなさい。降ろしてください」

「降りたい?」

「いえ、そういうわけでは……申し訳ないので」

「ならいいよ。いつも世話になってるから、って理由は駄目か?」

「……わかりました。なら、お願いします」

「あと鞄漁った」

「……はい。別にいいですよ」


 返事までに妙な間があった気がしたのはあえて気づかないフリをしておく。蓮也とて、やむを得ずやったことなので、責められてもどうしようもない。


「蓮也くんの背中、暖かいですね」

「暑いか?」

「そういうことじゃないです。温もりを感じるということです」

「そういうことか。こんだけ密着してると暑いかと思って」

「今日はそれほど気温も高くないですし、大丈夫ですよ。蓮也くんこそ、私が引っ付いてる上に私を乗せて歩いてるのですから、暑いのでは?」

「そんなに。風が冷たいから大丈夫」

「そうですか」


 やはり、周囲からの目が痛い。遥香が綺麗だから人目を集めるのか、はたまた遥香と蓮也では釣り合わないという視線かはわからない。おそらく両方だろう。


「今日の晩御飯はどうしましょうか」

「スーパーで豚バラが特売だぞ」

「なら生姜焼きですね」

「賛成」


 ふんふ〜んとご機嫌に背中の上で鼻歌を歌う様子を見て、また遊びに行けたらなと、蓮也は夏休みのスケジュールを考えるのだった。






 晩御飯の生姜焼きを食べ、いつものように二人はソファーでくつろいでいた。


「最近、遅くまでいるようになったな。大丈夫なのか?」

「逆になにが大丈夫じゃないんですか」

「そりゃまあ……なにがだ?」


 隣なのだから帰りに危険などないし、大丈夫でない要素がない。


「まあ、遥香がいいならいいんだけどさ」

「はい。食器洗ってきますね」

「俺がやるから」

「おんぶして帰ってくれましたので、そのお礼ということで」

「……わかったよ」


 それでは今日おぶって帰った口実がなくなるのだが、こういうときの遥香はわりと頑固なので素直にやってもらうことにした。

 遥香が食器を洗っている間、ぼんやりとテレビを眺めていたが、身体には疲労が溜まっていたのか意識を手放してしまった。






「……ん?」


 目が覚めると、膝に多少の重みがあった。決して軽いとは言えないが、重いわけでもない。

 見ると、そこには遥香の顔がのっていた。


「……状況がわからん」


 蓮也が寝ている隣に座っていたら、そのままつられて寝てしまったのだろうか。しかし、こうなる寝方を蓮也は知らなかった。


「ん……ふぅ……」

「起きてくれ」

「……ふぁ……?」

「ふぁ、じゃない。人の膝で勝手に寝るんじゃない」

「……へっ? えっ!?」


 寝て起きたら蓮也の膝の上なのだから、驚きもするだろう。それにしても、今日の遥香はよく寝る。


「すみません……」

「気にしてないから」

「興味本位で膝に寝転んでいたら……眠ってしまって……」

「……はい?」


 より一層状況がわからなくなった。寝ていたら膝の上にずれたのではなく、元から膝の上で寝ていたらしい。


「……嫌でしたか?」

「いや別に。嫌じゃないけど、なんでそんなことを?」

「……興味本位です。思ったよりも心地よくて、つい……」

「……まあいいけど」

「今後は気をつけます」

「今後同じことをする予定があるのか……」

「えっ? あ、いえ! そういうことでは……」

「冗談だ。わかってるから気にすんな」

「はい」


 慌てふためく遥香は可愛らしくて、ついからかいたくなる。


「そろそろ帰れよ。時間も時間だし」

「あ、そうですね。それでは、おやすみなさい」

「おう。おやすみ」


 おやすみ、とは言ったが、このまま遥香はそのまま寝れるのか少しだけ心配になった。

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