5.人気者の過去と今

「月宮、最近毎日来てるけど大丈夫なのか?」


 2日に1回というルールを忘れたように、遥香は毎日蓮也の家に通うようになっていた。


「食事代は折半ですし。それに、私も結城くんとご飯を食べられるので嬉しいですよ」

「そ、そっか……」


 遥香の言い方は、まるで蓮也と一緒にご飯が食べたいように聞こえる。そんなわけないと蓮也が首を振っていると、遥香は蓮也の動揺の意味に気付いたようで、頬を赤く染める。


「ち、違いますよ? 結城くんとご飯は食べたいんですけど、そういうのじゃなくて……えっとぉ……」

「わかってる。わかってるから」

「ですよね!ㅤ結城くんならわかってくれると思ってました!」


 何を思ってその考えに至ったのか。現に蓮也は動揺しまくっている。遥香の発言はときどき本当に勘違いしそうになるから自覚を持って欲しいところだ。


「……はぁ、なんか疲れますね」

「ほんとにな。お前はもうちょっと自分の発言に責任を持ってくれ」

「はい……気をつけます……」


 ピンポーン……

 他愛もない話をしながら食卓を囲んでいると、隣の、正確に言うと遥香の部屋のチャイムがなっている。


「どなたでしょうか」

「月宮の知人だと、俺の部屋からお前が出てきたら面倒なことになるぞ」

「たしかに。申し訳ありませんが帰ってもらいましょうか」

「まあ、とりあえず俺が見てくるよ」

「……というか、このマンションは宅配なんかはエントランスで止められますよ。ほぼ確実に私の知り合いです」

「……だよなぁ。やっぱり悪いけど、帰ってもらうか」

「そうしましょう」


 ピンポーン……

 今度は蓮也の部屋のチャイムが鳴る。


「……出るわ」

「そうしてください」


 チェーンを掛けたままドアを開ける。そこには、遥香と同じ綺麗な黒い髪の女性がいた。


「あ、どうも。夜分遅くにすみません」

「はぁ。どうしました?」

「あなたの隣人の月宮遥香が帰ってくるまで、しばらく部屋に入れてくれませんか? 厚かましいお願いなのはわかっていますが……」

「ああ……」


 やはりと言うべきか、遥香の知人らしい。そして、肝心の遥香はこの会話が聞こえているのか、荷物をまとめて移動しているらしい。恐らく蓮也個人の部屋だろう。


「駄目でしょうか?」

「うっ……」


 なぜか遥香と同じ雰囲気を感じてしまい、断るに断れない。やっぱり蓮也は遥香に甘いことに気づいて、なんとなく居た堪れない気持ちになった。


「いや、まあ……どうぞ」

「ありがとうございます。あ、私は橘花きっかです。よろしくお願いします」

「はぁ、橘花さん……」


 橘花と名乗るその女性は大人びているのにやはり遥香と同じような雰囲気を感じる。遥香本人が大人びているからそう感じるのかもしれない。

 と思ったところで、メッセージが入っていることに気付く。


『なんで入れたんですか!?ㅤ私帰れないじゃないですか!』

『すまん。最悪泊まってくれ』

『本気で言ってますか?』

『わりと本気かもしれない』


 遥香にメッセージを返していると、橘花はキョロキョロと部屋を見渡して、まるで目的のものがなかったように肩を竦めた。


「座っても?」

「どうぞ」

『多分ですけど橘花という名前ですよね、その人』

『正解。知り合いか?』

『お姉ちゃんです』


 声を聞いてわかったのか、遥香はその人物が自分の姉だと言い出した。だとしたらまずい。非常にまずい。


「えーっと、月宮……じゃなくて、遥香さんのお姉さん?」

「あ、もうバレちゃったんだ」

「今遥香さん本人から。あと、今日は帰れないから帰って欲しいとも」


 とりあえず嘘をついてでも帰ってもらうのが手っ取り早い手だろう。最悪、遥香がいいのなら蓮也の部屋に泊まってもらうのも考えざるを得ない。


「今から帰るとなると、車泊になるかなぁ……」

「おおぅ……」

『受付で私の部屋開けてもらってください。お姉ちゃんなら入ってもいいです』

『了解』

「遥香さんの部屋開けてもらいましょうか。本人から許可がおりたので」

「あ、やった」


 部屋を出てる間に戻っていても怪しまれるので、今日は遥香には泊まってもらうしかないだろう。仕方ない。






「それで、遥香はどこ?」

「いやいや、帰ってきませんって」

「嘘おっしゃい。靴あったよ」

「……あ」


 エントランスまで降りてきて衝撃の告白をされた。遥香がいることをバレないようにと心がけていたつもりが、初手から詰んでいたらしい。


「その、遥香さんとは特になんの関係もなく、ただたまたま遊びに来ていたというか、えっと……」

「うんうん、隠さなくていいよ。遥香が選んだ子ならどんな子でも反対するつもりは無いし。お泊まりだね」

「いや、そうじゃなくて……」


 橘花はどうやら遥香とは全く違うタイプらしい。むしろ、蓮也が少し苦手なタイプかもしれない。


「お泊まりか〜いいなぁ」

「いやだからほんとに……」

「遥香のどこがいいと思う? あの子、昔から変わってないんだけどさ〜」

「えぇ……」


 遥香のことは好ましいと思っているし、蓮也も遥香の長所はたくさん知っている。しかし、それをこのタイミングで言うと確実に面倒なことになるだろう。

 どうすべきだと頭を悩ませていると、橘花は急に話を変えた。


「私らってね、お母さん亡くなったんだ」

「……はい。存じて」

「あの子が話したんだ? ふーん……」


 厳密に言うと母はいないと言われただけなのだが、あの言い方だともう既に亡くなっていることは明らかだったので、言及はしない。


「父親は金のことばっかりだから、あの子はお母さんにべったりで、最近は私とも話してくれるんだけど昔は人見知りも拗らせててね」

「えっ……」

「あ、こっちは聞いてなかったんだ。うちって結構お金持ってるんだよ、お父さんが。まあ、それで今私も遥香も暮らしてるわけだから皮肉な話なんだけど、ほんっとお父さんはお金お金でさ。口を開けば投資だのなんだのって、虐待とかする悪い人じゃないんだけどちょっと子どものこと見れて無さすぎるんだよね〜あと、あの子可愛いからさ、めちゃくちゃいじめられてたんだ。わりと本格的にやばめな感じにね」

「……そうなんですか」

「だから、君……えっと?」

「結城です。結城蓮也」

「蓮くんが仲良くしてくれてるのを知って、ほっとしたんだ。あの子が私以外と、それも男の子と仲良くできてるのは私的にも嬉しいの」

「はぁ……」


 そんな事情は全く知らなかった。知る由もない話だったが、蓮也はふと不安が芽生えた。はたして、自分はそんな遥香のことを支えてやれているのだろうか。蓮也の存在は、遥香にとって迷惑なんじゃないのか。そんな不安が、蓮也を襲う。


「蓮くん? 大丈夫?」

「はい。すいません」

「こんな話されても困るか」

「いや、俺って月宮のことほんとになんも知らなかったんだなって……」

「話してもいいことないから話さなかったんだよきっと。なにも蓮くんは悪くないと思うし」

「それでも……!」

「あの子は傍にいてくれる人がいれば、十分だから」

「……はい」


 橘花はそう言うが、遥香が時折見せる寂しげで悲しげな表現は、友人も家族もいる蓮也への憧れみたいなものではないのかと、思ってしまう。


「ちょっと、月宮と話してきます」

「はいはい。部屋入っとくって伝えといてね」

「はい」






「月宮」

「お姉ちゃんは?」

「お前の部屋だ」

「そうですか。困りましたね……」


 橘花と蓮也の会話など知らない遥香は、蓮也の抱える不安や焦燥を知るはずもなく、いつも通りに振る舞っている。が、蓮也の様子がおかしい事に気づいたのか、表情を一変させる。


「……お姉ちゃんが、何か言ったんですか?」

「俺は、お前の支えになれてるのか?」

「はい?」


 何を言ってるんだこの人は、という顔を蓮也に向ける。しかし、そんなことを気にしているほど、蓮也には余裕がなかった。

 ふと、昔女の子を泣かせてしまったことを思い出す。今の状況とは全く違う状況だが、そのときのことがあって蓮也は地味であることを貫こうとしているのだ。そして、今なぜか、泣かせてしまったときと同じ感情が込み上げてきた。そして、遥香との間に、厚い壁があるような気がした。


「答えてくれ」

「は、はい。支えてもらってますし、助けてもらってますよ」

「俺はお前を傷つけなかったか?ㅤ本当に?」


 蓮也の様子が明らかにおかしいことに気づいているであろう遥香は、蓮也の背中に腕をまわし、抱きしめる。優しく、それでいて安心感を与えるように力強く抱きしめる。


「つき……み……や?」

「何を焦っているのか知りませんが、私はちゃんとここにいますよ。結城くんに支えられて、信頼してる私はここにいます」

「……ああ」

「私は大丈夫ですよ。もう、結城くんがいてくれるので」

「……ああ」


 蓮也の様子から、橘花と蓮也が何を話したのかを察した遥香は、蓮也を抱きしめながら、もう大丈夫という意思表示をしっかりとする。冷静さに欠けた蓮也も、少し落ち着くことができた。


「悪い。離れてくれ」

「嫌です」

「いやいや……」

「冗談です。私が恥ずかしいので離れます」


 言われて見ると、遥香は耳まで真っ赤に染めていた。よほど恥ずかしかったのだろう。


「ごめん」

「どこまで聞きました?」

「お前のお母さんが亡くなってて、お父さんが子どもに見向きもしない人で、お前が人見知りで、本格的にいじめられてたこと」

「ほとんど全部じゃないですか」

「ごめんな」

「謝らないでください。話さなかったのは私ですし、もう全部過去のことです。今は、私の隣にいてくれる人がいますので」

「……そういうの、恋人とかに言うやつだと思うぞ」

「家族や友達でも傍にはいますよ、大丈夫です。問題ありません」

「どうかなぁ〜」

「だから、安心してください。結城くんは私を支えてくれてますし、むしろ結城くんが唯一の支えみたいなものですよ」

「なら、よかった」


 蓮也の不安はただの思い過ごしで、遥香も今は支えを見つけられていた。


「さて、私は帰ります」

「わかった」

「ではまた」


 遥香は蓮也の部屋を出て、隣の自室へ戻って行った。蓮也のスマホがなっている事には誰も気付かずに。

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