2.ゴールデンウィーク
「結城くんはテスト勉強してますよね?」
「多少なりと」
遥香と蓮也が出会って数週間が経った、5月上旬のこと。2日に一度遥香が晩御飯を作りに来てくれる光景にも少しだけ慣れてきた頃、突然そんな話が持ち出された。突然、といっても中間テストは5月の下旬、まだ先の話だとだらけていい期間は既に終わっていて、ゴールデンウィークが終わればクラスもテストムードになるだろう。
「お前は……まあしてそうだな」
「多少なりとは」
「多少かよ」
晩御飯の調理を手伝いながら、そんな会話が出来るくらいの距離感にはなった。蓮也と遥香は教室では一切話さないので、遥香の普段の様子など蓮也は知らない。が、少なくともこのときの遥香は様子が違うように感じた。蓮也としてはその方が気楽でいいが、遥香に幻想を抱く他の連中はそうはいかないだろうし、おそらく学校では猫を被っているのだろう。
「花の女子高生ならゴールデンウィークの話とかにしとけよ。多分連休前にテストの話なんかしてんの俺たちくらいだぞ」
「特に予定もありませんし、そもそもクラスメイトに晩御飯を振舞っているというのが私くらいだと思います」
「確かにな」
そんな女子高生はそうそういないだろう。少なくとも、蓮也の知る限りそんな人は一人しかいない。
「結城くんはなにか予定があるんですか?」
「いや、ないな」
「虚しいですね」
「なんだと」
「かく言う私も予定は入れていませんし、入れるつもりもありません」
「虚しいな」
「そうですね」
結局この時間でわかったのは、今のところ2人揃ってゴールデンウィークは虚しく過ごすということだけだった。そして、そうこうしているうちに晩御飯ができた。
「「いただきます」」
今では遥香も遠慮なく蓮也の家で食べるようになった。当然の権利だが。
「そういえば、月宮ならゴールデンウィークの予定くらい埋めてると思ってた。あんだけ人いるんだし」
「私は男性に言い寄られるのも、女性と世間話をするのも苦手です。学校でも、愛想笑いと適当な返事しかしていないのに人が集まってくるんですよ」
「そうなのか」
やはりと言うべきか、今の遥香と学校での遥香は違うらしい。
「その割に俺とは普通に話すな」
「それはまあ。私のこと好きですか?」
「それなりには」
「……そう来ましたか」
「なにか問題でも?」
「いえ、前は全く興味がなさそうだったのに、今はそれなりに好きと言われるくらいには距離が近付いたのかと思って」
「別に深い意味はない。ただ、かれこれ一月くらい一緒にいるし、居心地はいい」
「……そうですか。それはいいこと……なのでしょうか?」
「知らん」
蓮也にとっての良いと遥香にとっての良いは違うだろう。少なくとも、蓮也はこの距離感や遥香の雰囲気は気に入っているし、いいことだとは思う。
「で、それがどうした?」
「今のは別にそうでもないと答えられる予定だったので質問を変えたいです」
「どうぞ」
「結城くんは私を彼女にしたいですか?」
「そりゃ出来るなら。こんだけ可愛くて料理も出来るし、話しやすいし……」
「私の負けです。ごめんなさい」
「なにがだよ」
遥香は蓮也に顔を見られないように顔を背け唸っているが、蓮也にその理由がわかるはずもなく、お互いにちょっとしたモヤモヤが残ることになった。
「……困ったんです」
翌日の学校、5月に入り当然授業は始まっている。遥香と蓮也は基本的最低限のコミュニケーションしか取らないようにしていた。はずだったのだが。
「筆箱を忘れました」
「知るか。わざわざそれで俺を呼び出すな」
遥香はそれを伝えるためだけにメッセージを入れ、蓮也を廊下に呼び出した。
「あの教室で私が筆箱を忘れたなんて言えば大変なことになります」
「なるほどよく言った。とはいえ俺シャーペンとか2本しかないぞ。中学卒業の時に貰ったやつ」
「必要最低限すぎませんか?」
「普通1本あれば十分だろ」
「確かにそうですが。いえ、もういいです。それ借りてもいいですか」
「いいけど、俺のだってのはバレんなよ。お互い面倒だし」
「当然です」
「月宮、相変わらず人気だよな。もう新学期始まって1ヶ月だし、そろそろ収まるかと思ってたんだけど」
「そうだな」
翔斗は喧騒が不愉快らしく、蓮也に愚痴を言っていた。
「だいたいあの月宮と付き合えるとか思ってる方がおかしいだろ……なぉ?」
「……そうだな」
「これ誰のシャーペン?」
「あ、あの、それは……」
「んー? れ……んや……?」
「「!?」」
蓮也の中学卒業の時に貰うシャーペンは、ただの卒業祝いなのに無駄に金をかけていた。つまり、あのシャーペンには蓮也の名前が書いてあったのだ。
「えっ、お前いつ月宮と喋ったの?」
「世の中にれんやはいっぱいいるぞ。人違いだろ」
そうして翔斗を適当に誤魔化していた蓮也に、遥香は視線を送る。助けて、と言わんばかりの視線に蓮也は頭を抱えた。
「めっちゃ見てんぞ」
「……気の所為、とは言えんか……」
はぁ、と深いため息をつきながらも、こうなった責任は蓮也にもあるので助け舟を出す。
「ごめん、それ俺の」
「えっ、結城の?」
「そう。昨日落としたのを拾ってくれてたらしいんだけど、今日筆箱忘れたって言ってたから。それだけ」
「なんだ、それだけかぁ〜」
「そうそう、それだけ」
8割嘘だが、蓮也は遥香となんらかの関係があることを悟られたくなかったのでそういうことにしておいた。
「お前のなんじゃん」
「あれは月宮のだ」
「えっ、あげんの」
「あいつが欲しいって言うならな。多分返しに来るだろ」
蓮也自身、遥香はしっかりした人間という認識がある。今日は晩御飯の日ではないが、きっと家で返してくれるだろう。
「まあどうでもいいや。ゴールデンウィークどっかで遊びに行こーぜ」
「嫌だ。なんでそんな人が増える日に遊びに行かなきゃならん」
「んじゃお前ん家」
「余計に嫌だ」
遥香は家にあげているが、そもそも蓮也は他人を家には入れたくない。もちろん、翔斗ほどの仲になれば別にいいんだが。
「なんでだよ」
「予定がある」
「嘘つけ」
「……ちっ」
「なーなんでだよ。前はもうちょい遊んでくれたろ?」
「彼女とでも遊んでればいいだろ……なんでわざわざ俺と?」
「いいじゃんたまには。悠月も一緒に遊園地でも行こうぜ」
「余計嫌だ二人でいけ」
悠月というのは、翔斗の彼女の
「悠月もお前が一緒の方がいいって言ってたぞ?」
「……はぁ……」
「行く気になったか?」
「お前だけじゃなくて天宮までそう言ってるならな……」
「俺の扱いぞんざいすぎない?」
「いいだろ別に」
「いいけどさ」
「シャーペン、ありがとうございました」
「おう」
やはり学校で返すということはなく、家に帰ってから返してきた。
「あーそういや、ゴールデンウィーク一日予定入った」
「そうですか。わざわざ伝えてくれてありがとうございます」
「さすがに飯作ってて貰ってて予定伝えないはないだろ……」
「それもそうですね。友達と遊びに?」
「らしい。半ば強引だから俺もよく知らん」
「……そうですか」
その言葉に力は感じられず、とても悲しそうな表情だった。そして、遥香のその表情を見てしまった蓮也は、思わず言ってしまったのだ。
「あー、お前も来るか?」
「……えっ? 私もですか?」
「予定ないんだろ? 俺の友達彼女持ちだし、彼女連れてくるみたいだからさ」
「……私は結城くんの彼女じゃありませんけど」
「そんなことは知ってる。考えてもみろ、俺とそのカップルの三人だけで遊びに行くんだぞ?」
「……ああ、確かに少し辛いですね」
「だろ。だから、お前も来てくれると助かる」
翔斗の方はともかく、悠月は人前でいちゃつこうとか考える方ではないので、本当はこんなことは心配していない。けれど、遥香のあの顔を見てしまった蓮也は、そのまま放っておくことはできなかった。
「そちらがご迷惑でなければ、是非」
「迷惑なら言わない」
そして当日、遊園地には行ったことのないらしい遥香は目に見えて楽しそうにしていた。翔斗には1人増えるとだけメッセージを入れている。
「楽しみです」
「そりゃよかったな」
隣人だから当然のことなのだが、今遊園地に向かう電車内に翔斗はいない。もちろん悠月もいない。つまり、蓮也と遥香の2人はお互いしか話し相手がいない。普段ならなんの意識もしないのだが、蓮也は遥香のことを直視できない。
「……さっきからなんでこっちを見てくれないんですか」
「ジロジロ見た方がいいのか?」
「そういう訳ではありませんけど……少しくらい顔を見せてくれてもいいんじゃありませんか?」
遥香の格好は白のワンピースに茶色のショルダーバッグという、いかにも清楚美人という格好だった。現に、今電車でも遥香はかなり注目を集めている。
「そんなに変ですか?」
「そうじゃない。逆」
「といいますと、似合ってると?」
「……そういうことだ。すげー可愛い」
「あ、ありがとうございます……」
結局変な雰囲気になってしまい、それから話すことも無く、待ち合わせ場所に着いた。
「お、蓮也! こっち、だ……!?」
「……マジか結城。あんたいつの間に月宮と仲良くなってんの?」
「いろいろだ、いろいろ」
「お、お初にお目にかかり……」
「堅い堅い。俺らそんなん気にしないし月宮のことは知ってるから大丈夫だって」
「あたし、天宮悠月。よろ」
悠月は大人しいタイプなのだが、口数が少なすぎるので稀に誤解される。
「よろです……?」
「無理に合わせなくてもいいと思うぞ」
「いやびっくりしたわ。一人増えるって言われてはいたけど、まさか月宮だとは思ってなかったし」
「暇そうだったから誘った」
「えっ」
「なんでゴールデンウィークの予定わかんだよ」
「暇そうだったから」
「……私そんなに暇そうに見えてるんですか?」
「口実だろ。隣人ってバレるとめんどくさい」
「ああ」
よかったと呟き納得したように遥香は微笑む。
「……やべ、月宮って近くで見るとより可愛いな」
「完全に負けたんだけど。女として」
「そんなことは……」
「そんな謙遜しなくても、お前は可愛いと思うぞ」
「……はい……ありがとうございます……」
蓮也の言葉を引き金に、遥香の顔は真っ赤に染まる。その反応を見た翔斗は、何かを察したようにからかいだす。
「おうおう、お熱いねぇ」
「そういうのじゃないです!」
「お前なぁ……俺と月宮が釣り合うとか思ってんのか?」
「ほら、惚気けてないで早く行かないと時間なくなるけど?」
「惚気けてない!」
「惚気けてません!」
「ジェットコースターって高いんですね〜」
「楽しそうだな」
「初めてですので!」
本当に楽しそうにニコニコとしてる姿を見て、蓮也も思わず笑みがこぼれる。遥香の様子はまるで子どものような無邪気さがあって、微笑ましい。
「舌噛むなよ」
「した……痛そうですね、気をつけます」
「そうしろ」
「はい……きゃぁあ!」
隣で楽しそうに悲鳴をあげている遥香を見て、誘ってよかったなと思う蓮也だった。
それからしばらく遊んで、時間が経っていた。
「すごく……すごく楽しかったです」
「そりゃよかった」
「月宮って関わりにくいタイプかと思ってたんだけど、そうじゃないんだな」
「あたし、月宮のこと割と好きかも」
「そ、そうですか?」
遥香は満足しているし、翔斗たちにも遥香の人柄がわかって貰えたみたいなので、蓮也としては誘った甲斐があったというものだ。
「でも、それもこれも結城くんが今日誘ってくれたからですね。本当にありがとうございます」
「言ったろ、一人で遊園地に取り残されるのは嫌だっただけだ」
「えっ、何俺らがいちゃつくとか思ってたの?」
「ないわー」
「うっせ」
翔斗と悠月が蔑みの目を蓮也に向ける。実際、四人全員が一緒に行動していた訳だが、むしろ翔斗たちが蓮也に気を遣ったように行動していた。
「結城くん、観覧車に乗ってみたいです」
「乗って来いよ」
「おいおい、そりゃねーだろ蓮也」
「月宮なりの誘い方でしょ……行ってやんなよ」
「結城くんは乗りたくないですか?」
三方向から圧力を、それ以前に遥香の無垢な瞳を向けられた蓮也は断ることができなかった。
「……行くよ。わかったって」
「やった」
その嬉しそうな眼差しで、また蓮也は照れることになった。
時間的には混んでいてもおかしくない時間だったが、意外と人はいなかった。
「綺麗ですね」
「そうだな」
「えっと、綺麗……ですよね?」
「綺麗だって」
反応が薄い蓮也に遥香は心配そうに聞く。蓮也とて決して綺麗じゃないとは思わなかったのだが、それ以上に目の前の遥香の方が綺麗だと思ってしまっていた。
「……今日の結城くんはなかなか目を合わせてくれませんね」
「気にすんな、ただの照れ隠しだから」
「素直ですね」
「隠してもなんかバレそうだからな」
「意外とバレてませんよ。少なくとも私は今気付きました」
「……あっそ」
短い沈黙が訪れる。約1ヶ月奇妙な関係を続けていたとはいえ、決して親しいとは言えない2人でこのシチュエーションの会話は生まれない。しかし、この沈黙に耐えきれなくなった蓮也は口を開く。
「……いつもありがとな」
「急になんですか。私に何かして欲しいことでもあるんですか?」
「媚び売ってるわけじゃない。いつもいろいろ世話んなってるのに、まともに礼すら言ってないなって思ってさ」
「好きでやってる事なので、気にしなくていいですよ」
「そっか……」
「……それに」
「ん?」
「結城くんといるのは、なんだか楽しいので」
「……そっか。ありがとう」
「なにがですか?」
「そんなふうに言ってくれたのは月宮だけだよ。だから、ありがとう」
もう、と言いながら遥香は顔を背ける。性格上、感謝されることに慣れていない遥香にとって、それは初めての体験だったようだ。
「やっぱ2人だと落ち着くな」
「そうですね。下手に気を遣わなくてもいいので」
「割と相性いいみたいだな」
「相性……ですか」
相性という言葉に思う事があったのか、遥香がそこで会話を止める。が、それはほんの一瞬のことで、遥香は微笑んで会話を続けた。
「良いのかも」
「……なんか恥ずかしいな」
「今頃ですか? ほんとに変わった人ですね」
「うっせ」
そんな他愛もない話をしていると、観覧車は回り切っていた。
「どうだったよ」
「なにが?」
「月宮、さっきより明るくなったろ」
「そうか? いつも通りだぞ?」
「ほうほう、蓮也の前だと月宮はああだと…お熱いねぇ」
「うっせ。そういうんじゃねぇよ」
少し特別な、友人と呼べる距離感には近付いた2人の奇妙な関係は、まだまだ続いていくらしい。
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