第3話 とある探偵は動き出す。

ハンチング帽を被った男は、ドアの前に立ち、おもむろに自身のポケットを漁りだした。建物の二階の看板には、『横嶋探偵事務所』と記されている。

男は鍵を見つけると、ドアの鍵穴に挿し込んだ。ドアノブを捻り、建物の中へ入る。

するとすぐに目に入ったのは、玄関で膝を整えて座し、主人を待つ綺麗な長い銀髪の女性だった。目が合った時に橙色の瞳で嬉しそうに微笑みかける表情はとてもかわいらしい。それでいて身に纏った黒い和服が彼女の優雅な気品を漂わせている。


「お帰りなさいませ。命様」


「あぁ。ただいま」


「上着お持ちいたします」


「すまないね」


百合の花を擬人化したような彼女の名は、ジナ・ドーラ。ジナは玄関に上がった命の上着を受け取ると、命の後ろに下がりつつ、命とともに足並みを合わせて廊下を歩き出した。


「命様。今日のティータイムはどういたしますか?」


ジナはソワソワしながら命に話しかけた。


「ごめんジナ。この後も少しやることがあるんだ」


「そうですか…またお仕事ですか?」


ジナは微かに肩を落とすが、また笑顔を繕った。


「うん、継さんに事件を頼まれちゃってね。殺人関連の話だから断れなくてさ。報酬は弾むとは言われたんだけど」


「また強引に頼まれたのですか?」


「そうなんだけど、この話はどうしても断れなかったんだ」


「……増えましたね。レプリカの事件」


ジナの声には、不安が含まれていた。それは命を心配してのものだ。最も、


「大丈夫だよ。もう、15年前の様なことは起こさせない」


命は強く言った。その声の気高さに、ジナはうっとりとしてしまう。

そうしていると、廊下を抜けてリビングに出た。そこには、椅子に座っている制服姿の女の子がいた。角のない眼鏡をつけた茶髪のミディアム。一見して大人しい印象を受ける。


「やぁ章乃。学校はもう終わったのかい?」


「はい。というか、ニュース見ました。今日も仕事あるんですよね? 留守番はもう勘弁ちゃんですよ」


少女――樫葉 章乃は命の存在に気付くと椅子から立ち上がり、片手を腰につけて今までの仕打ちに不服を言うように口を膨らませた。


「いやでも、今回は殺人事件だよ? 危ないって」


「前も同じようなことを聞いたのですが?」


「うぐっ」


章乃の痛い視線に思わず音を上げる命。命は慌ててジュラルミンケースを机の上に置いた。


「そ、そんなこと言わずにさ。これ、金庫の中に保管してくれるかい?」


命は苦笑いでケースの中身を章乃に見せた。中には、たった一つの指輪が入れられていた。嵌め込まれた紅の宝石が鈍く光っている。


「はぁ、いつになったら私はまともに探偵の仕事を……あれ?」


章乃はため息をついた瞬間、違和感を見つけたように指輪の宝石を覗き込んだ。


「これ、光ってません?」


「……何だって?」


命が一緒に宝石を覗き込むと、やはり宝石は光を発していた。まるで血液のような純粋な色をしている。


「……どうやら、主を見つけられたようだよ」


「どうなさるのですか? レプリカは主を決めると保管しても主のもとへ辿り着いてしまいます。しかも、主が誰かも分かっていないというのに…」


「いや、それは大丈夫。誰かは検討ついてる。一人面白い子がいたんだ」


命は考えた。レプリカはその強大さ故に人すらも変えてしまう。何も知らない人間に渡っていいものではない。しかし、もうレプリカは主を決めてしまった。となってしまえばもはや命の手にも負えはしない。


「簡単なことですよ。命さん。渡す前に試練を与えればいいんです。そして正解したら渡せばいいんです」


「もし失敗すれば…?」


「その時は……」


ジナの質問に章乃は、屈託な笑みを浮かべていった。


「雑草は刈り取るということで」


その時の章乃の眼には、光が灯っていなかった……。ジナはつっかえた唾液を飲み込んだ。


「じゃあ最悪の場合は頼むよ。章乃」


「えっ! 連れてってくれるんですか!?」


章乃は目を輝かせながら身を乗り出した。


「うん。もう僕だけで手に負える話じゃなくなった。レプリカは主を見つければ歯止めが利かない。今日中にでも主のもとへ辿り着くだろう。だからその前に……」


「主の器を確かめないといけませんね」


「そういうこと。だけど、ジナは残ってて。章乃さえいれば十分だからさ」


ジナは虚脱感に苛まれた。命が自分のことを思っての発言とは分かっているが、自分が除け者にされているような気がしてならなかったからだ。

だから、この言葉が自然と出た。


「わ、私も、ご一緒してもよろしいでしょうか…?」


「ジナ……」


命はジナに歩み寄り、肩を掴んだ。


「ダメだ!」


「……」


ジナが想像していた言葉がそのまま命の口から放たれた。ジナの心の花は萎れてしまった。


「ジナは僕らの癒しなんだよ!」


「……癒し?」


ジナは首を傾げる。


「そう! ジナがいるから僕は仕事に行けるし、いなかったらきっと疲労で死んでるよ!」


「そ、そんなこと……」


ジナは頬を赤らめ、顔を背けてしまう。しかし、命の怒涛の褒め殺しは留まることを知らない。


「毎日帰ってきたら玄関で待ってくれてるし、可愛いし、ご飯も高級レストランくらい美味しいし、可愛いし、家事全般なんでもこなす! そして可愛い!」


「はわわわ……」


(うわぁ…本音漏れちゃってる…)


章乃は傍から呆れた目で見ていた。何度も見たデジャヴのような光景にため息をつく。


「だから、僕らの帰りを待っててくれるかい?」


「は、はい!」


ジナは大袈裟に首を振る。その眼に理性は感じられない。


(ジナさんもチョロインなんだよね…)


命はその答えを聞くと、ジナを強く抱きしめた。


「ありがとう!」


「~~~!」


ジナは悶絶して苦声を上げた。


(うわぁ! 出たー! 命さんのエメラルド・スプラッシュ!!(命名章乃))


(あ…命様の匂いが…)


ジナは昇天して倒れこんだ。そこを命が上手く抱き抱える。


「ジナ…また倒れちゃったよ。最近疲れてるのかな…? 章乃、ジナを寝室へ運ぶから待ってて」


「…あ、はい」


命はジナを抱えて寝室へと向かった。


(…命さん、さりげなくお姫様抱っこで連れてったけど…ジナさん起きたあと大丈夫かな…)


心配が絶えない章乃。ため息をつきながら近くにあった紅茶を流し込む。


「…あっま。これジナさんのだ」


一瞬舌を出すと、後悔したように呟いた。

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