第2話 殺人鬼は殺戮する。

「……はぁ、はぁ…」


翼は走り出していた。ランニングをする気になったのではない。ただ一点へ向かって一秒でも早く、辿り着けるように走っていた。この時、翼は自分の運の悪さと選択の悪さを責め続けていた。


「そんなの、聞いてねぇよ……!」


翼が目を覚ましたのは、午後四時頃。葬式は午前中で終わる予定だった。そして問題は雛の言葉だ。


友達とショッピングモールに行く予定だってあるんだから。


そして、テレビで放送された臨時ニュース。雛の行く予定であったショッピングモールに、”バラバラ殺人の主犯”が現れたらしい。

どこまでこの世は翼の心をズタズタにしたいのだろう。

とにかく、翼は走るしかなかった。最後の希望を失わないように。

曲がり角が見え、翼は足の向きを変える。すると、翼はなにかにぶつかった。鼻に強い衝撃が響く。


「……いったぁ……」


「大丈夫か? 少年」


突然の衝撃に驚いてよろめく翼だったが、そこへぶつかった青年が声をかける。

革製のハンチング帽を被り、片手にジュラルミンケースを抱えている。


「すみません、ですが急いでて……」


「待て、少年」


突然声を掛けられ、翼は思わず足を止めた。


「この先のショッピングモールは危険だ。行くべきではない。今すぐ引き返した方が身のためだ。なにしろ君は護身用の武器すら持っていないようだね。行っても被害者の一人になるだけじゃないか?」


その言葉で、翼の足は鉛でもつけたように重くなった。

そうだ、この人の言うとおりだ。今自分が駆け付けたからといって、雛がまだ生きている保証もない。ましてや自分が殺人鬼相手に敵うとも思えない。何の力になるかも分からない。この人の言うとおり、ただ死にに行くだけかもしれない。だけど……。


ちゃんと生きなよ。


雛の言葉で、翼は足の重りを断ち切って言った。


「でも、自分より生きてて欲しいって思う人がいるんです」


翼はまたショッピングモールへ向かって走り出した。


「……惜しい人を失くしたなぁ」


青年はそう呟いた。



―――ショッピングモールへ辿り着くと、翼はその惨状に眼を奪われた。

一階には赤い飛沫の痕がそこら中に残り、解体された遺体がそこら中に転がっていた。腐臭が鼻を突きさす。思わず翼は口と鼻を押さえた。


「……何人また死んだんだよ…」


老若男女問わず、数十人の遺体が五体を切り離されている。

主犯の外道と冷徹さに翼は戦慄した。益々雛の安否が気になる。


(早く急がないと……)


翼は速足で雛を探した。しかし一向に見つかる気配がない。それが更に翼の動悸を走らせる。

そんな中、玩具屋の中で一人の少女を見つけた。


(生存者……!)


翼は走って玩具屋の中に入り、少女のもとへ駆け寄った。小学三年生ほどの黄色のワンピースの少女は大きな声で泣いていた。


「うわああぁん!! ママぁぁ!! パパぁぁ!!」


「待って待って!? 泣き叫んだら殺人鬼来ちゃうから!!」


「お兄ちゃん誰ええ!!」


「え、えと、お兄ちゃんだよ?」


「だから誰ええ!!」


(あ、これ死んだわ)


しかし、翼は殺人鬼が来る前になんとか少女を泣き止ますこと成功した。


「……大丈夫?」


「うん、大丈夫」


「何があったかとか、言える?」


「……今日はパパとママと遊べる大切な日だったのに……パパとママ、バラバラになっちゃって……それで、置いてきちゃった。迷子になっちゃダメって、言われてたのに………」


翼は息を飲んだ。次第に声を震わせる少女に、翼は頭を撫でることくらいしかできなかった。


「……分かった。俺が絶対にパパとママを連れてくるよ。君、名前は?」


「……千代」


「千代ちゃんね。じゃあ、他の人たちがどこに行ったかとか分かる?」


「千代、途中ではぐれちゃったから分かんないけど、おくじょうに行ってた」


(屋上か……)


「分かった。取り敢えず一緒に外に……」


「あれぇ? おっかしいなぁ」


翼は咄嗟に千代の口を押えて隠れた。

この状況であんな呑気で余裕のある声色は出せない。となれば、答えは一つだ。


「なんかいい声聞こえたんだけど……なっ!」


女は玩具屋の中へ入ってくると、素早く棚の下へ頭を下げて見渡す。すると渋い顔をしてまた顔を上げる。


「ん~? おっかしいなぁ」


(今の行動…確実に主犯だ…)


翼は千代を抱えながら棚を中心にして回り込む。出口が見えてきた。


(だが、ここからどうするか……)


ここから走り出せば、もしかしたら出口にたどり着くかもしれない。だがそれは、の話だ。千代を抱えながらでは、スピードも落ちるし話が違う。


(ここで俺がとるべき選択は……)


「みぃつぅけた♡」


頭上から嬉しげな声が聞こえる。瞬間、翼の頭部を空圧が襲う。ギリギリで頭を屈め、翼は前方へ身体を投げ出す。千代の体重で体を丸めることで、奇襲をなんとか躱した。すぐに翼は距離を取り、千代を降ろして囁く。


「俺が時間稼いでおくから、その間にこのまま走って出口まで向かってくれ」


「お兄ちゃんはどうするの? 死んじゃうよ?」


「大丈夫だって。俺、こう見えて強いから。それに…」


翼は千代に苦し紛れのウィンクを見せる。


「パパとママ連れて帰るって約束しただろ?」


「……うんっ!」


千代は最高の笑顔を見せると、出口に向かって走り出した。


「もういいのかにゃ?」


ライダースーツを纏った長髪の女は棚から飛び降りると、左手にそびえる巨爪を素振りした。


「……一応聞いておくが、十代半ばの少年が命張って子供逃がしてるんだ。スルーして子供のほうへ行ったりなんかしねぇよな?」


「ん~そんなことしないよぉ。私は君みたいな正義ぶってる人大大大嫌いだからね。それに……」


爪女は指を口元へ持ってくると、恍惚の表情で語る。


「君の首をあの子に見せて、絶望の顔のままバラバラにしたいんだぁ♡」


(狂ってる……!)


翼の体を悪寒が電流のように走り、戦慄させる。冷ややかな汗が頬を伝った。しかし、なんとかして平静を保った。さもなければ、死ぬのは確実だ。


「……ならいいんだ。じゃあ来い」


翼は右手で爪女を挑発した。


「遠慮なく♡」


爪女は見たことがないほどの速さで翼に襲い掛かる。


(……速い!!)


翼は頭部を襲う一閃を身を翻してなんとか躱す。しかし、鼻から赤い雫が垂れる。


(……ヤバい、想像以上にヤバい)


「まだ行くわよぉ」


爪女は左手を引くと、再度俺目掛けて襲い掛かる。気づけば俺は全力で逃げ出していた。爪女は呆気にとられるが、すぐにため息をついた。


「もう、走るの苦手なんだけどなぁ」


「嘘つけよ……っ!」


翼はショッピングモールの店頭に並ぶ商品を片っ端から道に落とし、爪女の行く手を阻むが、全てを飛び越えて渡ってくる。


「ウサギ並みの脚力しやがって…!」


「うふふ、可愛いでしょう?」


「そうだな…精々カエル並みには可愛いよ!!」


翼は大きな段ボール箱を爪女に投げつける。


「それは私を、侮辱しているのかしら……!?」


爪女は目を丸くした。さっきの段ボール箱で視界を奪った間に、翼の手には消火器が握られており、もう片手にはホースが爪女に向けられていた。


「精々埋もれてろ。クソ女」


翼はレバーを強く握る。瞬間、消火剤が爪女目掛けて勢いよく噴き出された。

爪女の体が粉に覆われていく。彼女が倒れようとしたその瞬間、粉の中から長爪が翼の眼球に迫った。


「……楽しかったわ。でも、次会う時はその綺麗な眼を刳り貫くわ。楽しみね♡」


爪女はそう言い残すと、左手を降ろした。

翼は倒れこんだ。すぐに自分の眼の所在を確認する。……大丈夫だ。ちゃんとある。


(今の、死ぬかと思った……)


最後の最後まで殺人鬼を全うしてくれる女だ。もう少し前に出ていたら、片目が潰されていた。


「次とかねぇよ」


翼は立ち上がると、目的の場所へと歩き出した。

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