第3話 無人島ロケ


 東京都港区虎ノ門。その一等地に立つ巨大なビルが、大日テレビの本社だ。ここでは日夜テレビ番組を始めとする映像作品の企画や撮影の為に大勢の人間が働いており、9階にある一室でも、深夜番組のオーディションが行われていた。

「なるほどね~ありがとう。じゃあ次は、こめつき注意報さん」

 番組プロデューサーにコンビ名を呼ばれたコンビが立ち上がり、入れ替わりで部屋の中央に立っていた芸人が端に座り込む。

 【年末までにしたい十のこと】は、金曜の深夜0時から三十分ほど流れる情報番組で、年末までにしたいこと、と銘打ったレジャーやグルメ等を紹介している。番組の後半で三組の芸人がネタを披露するコーナーがあり、これはその出演者を決める為のオーディションだ。

「こめつき注意報です。よろしくお願いします!」

 メガネとえびす顔の二人組、こめつき注意報が緊張した面持ちでプロデューサと構成作家に向き合った。

「はい、こめつきさんよろしくお願いしますねー」

 四十半ば、茶髪にパーマのいかにもベタなプロデューサー然とした男は、手元にあるオーディションに集まった芸人の簡単なプロフィールが書かれた資料に目を通した。

「こめつきさんは俺と会うの初めてだよね?」

 資料から目をあげたプロデューサーは、愛想の良い笑顔で芸人へと話しかける。

「いえ、あの……三回目です」

 その返しに、構成作家を含めた他の芸人たちが笑った。意図しなかった発言がウケたことで、こめつき注意報の二人の緊張も幾分かほぐれた様子だった。

 ネタを見せるオーディションということもあり、リラックスしたムードになることは、ネタをやる上で非常に好ましい雰囲気だ。

 しかし、プロデューサーは自分のミスを笑われたと感じたらしく、後ろに立っていた一人のADに目をつけた。

「おい、お前何笑ってんだよ? こめつきさんに失礼だろ」

 その一言で和やかな空気が一転し、部屋全体がピリついた。

 不意打ちで睨みつけられたADは狼狽し、小さい声で「は、はい。すいません」と呟きうつむいてしまった。

「ああごめんね。資料にオーディション何回目って書いてなかったから」

 プロデューサーは芸人に向き直ると、再び愛想の良い笑みと声色を作る。

「こめつきさんはうちの番組見てる?」

「はい、見てます」

「先週の内容どうだった?」

「先週ですか? ええと……」

 二、三会話し、その後にネタを見る。それがこのオーディションの流れだ。こめつき注意報の番が終わると次の芸人が呼ばれ、それが終わると次の芸人が……といった具合でオーディションは進行し、二時間ほどで終了した。

「クソっ! なんで俺が八つ当たりされなきゃならねぇんだよ!」

 先程のAD、貝塚がガラス張りの喫煙ブースで苛立ちの声をあげた。映像業界において、ADの扱いはとにかく厳しい。貝塚は吸っていたたばこを灰皿の金網に押し付けて潰した。その背中に、新しくブースに入って来た人物からの声が刺さる。

「いやぁまったく、災難だったな」

 声の主は、カルチェラタンの岩森だった。カルチェラタンもまた、オーディションに集まった芸人の一組だった。

「ああ岩森、お疲れさん」

 岩森はたばこに火をつけ、煙を吐き出す。

「あのクソ、仕事できねぇくせに調子に乗りやがって」

 あのクソと言うのは、言うまでもなく番組プロデューサーのことだ。

「大変だなADは。あんな扱いされて」

「……そういうお前は調子良さそうだな。もう少ししたら売れっ子芸人かぁ」

 岩森と貝塚は、大学からの知り合いだった。カルチェラタンがオーディションで大日テレビに来るようになってからは、よく飲みに行くようにもなった。

「お前も早く出世しちまえばあのP《プロデューサー》にも偉そうにされなくてすむだろ」

「そんな簡単に出世できるかよ」

「お前の関わってる番組が視聴率すうじ取れればいいんだろ?」

「できれば、俺が考えたコーナーとかがバズれば最高」

「お前、マンザイ・グランドステージも関わってるよな?」

「あんなの、関わってる人間が多すぎて手柄のうちに入らねーよ。それに、マンネリしてきて視聴率すうじ落ちてきてるし」

「……俺が考えてやろうか? お前の企画」

「お前がか?」

「おう。その代わり、俺を使ってくれるのが条件だが」

 岩森の提案に、貝塚が飛びついた。

「本当か? なら願ってもない! 助けてくれ!」

「まあ、詳しい話は飲みながらにしようぜ。今日の夜、芸人の先輩とも飲むんだ。お前も来いよ」

 岩森は時間と場所を告げ、喫煙ブースを後にした。仕事が終わると、貝塚は約束していた個室居酒屋に赴いた。そこには岩森とコットン飯田の二人が待っていた。

「お、来た来た。コットンさん。こいつ俺の大学の同期で、今は大日テレビでADやってます」

「どうも。貝塚です」

「ピン芸人のコットン飯田です。よろしくお願いします」

 互いの挨拶が済むと、三人は運ばれてきた料理に箸をつけた。話題は身近なゴシップから事務所や仕事場への不満、そして本題のテレビ番組の話へと移っていった。

「俺とコットンさんで企画を考えて、それを貝塚が自分の企画として立ち上げるのはいいとして……あとはきっかけだな」

「せめて関わってる番組がめちゃくちゃバズれば、俺の企画でも目を通してもらえるようになるだけどな」

「きっかけか。マンザイ・グランドステージは?」

「あの特番は毎年視聴率落ちてて、ちょっと良かったくらいじゃ駄目なんですよ。そもそもが、視聴率取れてて当たり前の大型特番なんですから」

「じゃあ、その大型特番でとんでもないことが起これば、話題になるんじゃないのか?」

「とんでもないことって?」

「前代未聞の事件が起こるとか」

「生放送ですし、そんなことが起これば確かに話題になるかもしれませんね。でもどんなことが起こるって言うんです?」

「それはな……」

 飯田は声を潜めて、身を乗り出した。岩森と貝塚もそれに合わせて同じ姿勢を取る。

「実はな、江戸門って男がいるんだが……」

 どこにでもある何の変哲もない居酒屋の一室で、ある男は成功の為、ある男は己の保身の為、またある男は出世の為に、卑劣な共謀を巡らせるのだった。


「無人島ロケ、ですか?」

 特番の打ち合わせと称してレンタルスタジオに呼び出された禎太は、渡された資料に目を通して困惑した。

「相方の江川じゃなくて、僕ですか?」

 禎太は向かいの椅子に座る、塚本と名乗るプロデューサーを見た。この塚本と言う男は、プロデューサーを名乗るには随分と若く見えた。

「そうなんですよ。江戸門さんの方でやってみたいと」

 資料に書かれたロケの内容は、芸人が三日間無人島でサバイバル生活を送るというものだった。企画書には復刻!! 電波超人と題されたロゴがでかでかとプリントされている。電波超人という番組は禎太がまだ生まれて間もない頃に放送されていた、とにかく芸人が体を張って色んなことに挑戦する伝説的な番組だった。

「でも、僕より相方の方が面白いリアクションすると思いますよ」

 禎太の言う通り、エドエガワはコンビ内での役割をハッキリとさせていた。禎太がネタを書くことに注力する代わりに、禎太の苦手な人付き合いやリアクション等を担うのが江川の役目だった。それに、禎太はグランドステージの為にネタを仕上げる時間が少しでも欲しかった。企画書によると、撮影は決勝の一週間前。そこから三日間拘束されるのは、禎太には厳しく思えた。

「江川さんには江川さんで、ドッキリをしかけようと思ってます」

「え、そうなんですか?」

「はい。内容は、相方がある日全然違う人間になってたらどうするのか? というもので赤の他人を江戸門さんということにして三日間過ごしてもらいます。なので、江川さんが偽の江戸門さんと過ごしている間、江戸門さんの痕跡があるとマズいので、江戸門さんにはその間無人島に行っててもらいたいんですよ」

「なるほど、それは面白くなりそうですね」

「なので、三日間だけ江戸門さんのお宅を使わせてください。携帯もお借りして、その間に江戸門さんには代替機をお渡ししますので」

 禎太は、突然知らない人間が江戸門禎太として接してきてテンパる江川を想像して笑った。

「なので、当日まで江川さんにはご内密に。もちろん他の方にも何も言わないで下さい。当日は、朝10時までに羽田空港に来ていただいて……」

 売れない芸人にゴールデン特番のオファーを断れるはずも無く、打ち合わせは進んでいった。禎太はネタをロケ前日までに済ませ、残りの日数で調整するようにスケジュールを調節した。


 そしてロケ当日。禎太に運命の日が訪れる。

「江戸門さん! あれが三日間過ごしてもらう無神島いながみじまです!」

 レンタルボートで波に揺られること数時間。塚本と禎太は鹿児島の海上にいた。塚本に呼ばれて微睡みから覚めた禎太の目に、青い空と海に挟まれた、自然が青々と茂る大きな島が飛び込んで来た。

「うおお、すごい!!」

 東京生まれ東京育ちの禎太は、初めて見る無人島に心を躍らせる。この無神島いながみじまは、鹿児島と沖縄の間にあるトカラ列島にある島の一つで、現在は住人のいない無人島だ。小宝島のさらに東に位置する島で、普段から近づく者などいない、文字通りの絶海の孤島。

 島に上陸した禎太は、塚本から説明を受ける。

「既にロケハンはやってるんで、この島に危険な生物はいないのが分かってますので、安心してください。ただ、崖など危険な場所はあるので、なるべく近づかないでくださいね。生活は主にこの砂浜でお願いします。その他にも定点カメラを仕掛けてる場所がありますので、案内します」

 塚本によるレクチャーが一通り終わると、塚本は禎太にサバイバルナイフと釣り糸、それと緊急連絡用の携帯を渡し、ボートで島を後にした。


「貝塚。首尾はどうだ?」

 塚本=貝塚は、ボートを運転しながら着信に応じた。

「岩森か。うまくいったぞ。今頃は偽番組とも知らずにサバイバル生活を楽しんでるさ」


 水平線に吸い込まれボートが小さくなっていくにつれ、禎太の心細さが肥大していく。そんな不安を消すかのように、禎太はしかけられたダミーのカメラに向かっておどけるのだった。

「さあ! 始まりました無人島サバイバル生活! エドエガワの江戸門です!! よろしくお願いしますー!!」

 禎太は三日間、森をうろついて果実を探したり釣りをしたりしながら、サバイバル生活を敢行した。そして当然、彼を迎えに来るボートが現れることは無かった。

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