第2話 うつけ者
「で、オールした後、朝の新宿駅で、めちゃくちゃ遊んでそうな娘ナンパしたんだけど……」
同期の芸人、ミルキーロードの
噛むと柔らかい歯ごたえと共に、ジューシーな鶏の脂が舌の上に溢れ、満足感を満たす。一皿298円の安い串だが、売れてない芸人達には十分過ぎるご馳走だ。
雨原の話は、ナンパで声をかけたギャルに「しつけーんだよ!」と腹を殴られ、新宿駅東南口の階段を上から下まで転げ落ちたというオチがついた。
「いやあ、その後、半日それで笑ってたわ」
その場に居合わせた、これまた同期のクラッカーの
禎太と江川は今、有楽町の駅前にある居酒屋 鳥男爵で、仲の良い芸人たちと祝勝会を上げていた。
まさかの決勝進出という芸歴四年目にしてあげた大金星のおかげか、今日ほど美味い酒を禎太は飲んだことが無かった。話題はすぐに、マンザイ・グランドステージへと戻る。
「いや、それにしても俺らの期の代表が、まさか二組も出るとはなぁ」
そう言うのは、ノースウインドというコンビの
「エドエガワが勝ってもカルチェラタンが勝っても、事務所的には得しかせんしな。いやぁ、まったくやってくれたわ」
南河はジョッキに残ったレモンサワーをぐいとあおった。
「でもあれだな。決勝は生放送だから、鉄板のAV男優ネタできないな」
「やったことねぇよ一回も」
雨原の冗談に禎太はツッコんで笑った。
「それにしても、グランドステージのあの
「まあでも、一般人は芸人ほどお笑いの機微に敏感なわけじゃない人が多いし、わかりやすく盛り上げるための演出だろ」
「そもそも、お笑いをそんなごたいそうに扱う必要ないがな。ルーツ辿ってったら河原乞食やぞ。あんなカッコつけられたらウケるもんもウケへんて。人笑かしてなんぼなんやからこっちは。カッコいい、感動する、そんなもんアイドルと役者に任しとけばええがな」
その後も、南河の主張であるお笑い芸人カッコいい・感動不要論を中心に打ち上げは続き、話題が尽きたところで解散となった。
「んじゃあ、まあ。また来週うつけ者で。今日はおめでとう」
同期三人は挨拶を交わし、めいめい帰路についた。店先に残っているのは、エドエガワの二人である。
「どうした、なんか打ち上げ中ずっと考え込んでたみたいだけど……」
そう話しかけられた江川は、にらめっこしていたスマホの画面から顔を上げ、意を決したように切り出した。
「いや、実は打ち上げ中にずっと言おうかどうか迷ってて、結局言えなかったんだけど……」
「うん」
「流石に相方には言っといた方がいいと思って」
禎太は沈黙で、その先を促した。
「グランドステージ決勝に行ったわけだし、これが売れるかどうか千載一遇のチャンスだ。だから、絶対に優勝する」
「もちろん」と禎太は唸った。
「だから、その誓いを絶対に実現するって覚悟の証として……彼女にプロポーズしようかと」
「え! え、マジ!? もうルミちゃんに言ったの!?」
不意打ちを食らい、禎太の声も大きくなる。
「いや、帰ったら言うつもり。まだ決勝行った事も報告してないから、報告した流れで言ってみる」
「なんだよお前ー! なんで打ち上げの時皆に言わないんだよ!」
「いや、もしかしたら断られるかもだし。あと、なんか死亡フラグみたいになりそうじゃん。俺、あの娘と結婚するんだ。みたいな」
「一番ベタなやつな。もうベタ過ぎてフラグにもならないやつ」
「つーわけで、これから俺は準決よりも緊張する戦いに赴く」
「うおお、ハードな一日だな。気を付けて帰れよ」
「おお。じゃあ三日後のネタ合わせで」
「あいよ。じゃあまた」
禎太は江川と別れると、駅へと向かう道すがら、これまでの事を思い出していた。自分でも、やけにあっさりしてるもんだと思う。あれだけ望んだ決勝への切符を手にしたのだ。自分も江川も、もっと浮かれていいと思うし、もっと調子に乗ってもいいと思う。
今から二年前、つまり芸歴二年目の頃、初めてグランドステージの二回戦まで駒を進めたことがあった。その時は初めて賞レースで結果を出したことや、デビューして間もないこともあって、二回戦進出者の結果発表が出されてすぐに、テンションの上がった江川から電話がかかってきた。次の日にあったネタ合わせも、嬉しさとこのまま売れちゃうんじゃないかという皮算用で、お互いが奇妙な笑い声を上げ続けるだけで一日が終わったこともあった。
その時に比べ、今回は決勝進出を決めたにもかかわらず、いやに冷静だ。しかし、この冷静さこそが、自信に裏打ちされたものだと禎太は確信していた。
決勝なんて当たり前。今のエドエガワには、その実力がある。
東京メトロの有楽町線から丸の内線を乗り継いで、荻窪にあるアパートに帰って来た禎太は、相方の結婚に花を添えるべく、渾身を以て日課のネタ作りを始めるのだった。
新宿歌舞伎町。西武新宿駅の沿線にあるここ【ミニホール新宿fool】が、エドエガワの所属するアカツキ芸能が所有しているライブハウス、所謂ハコだ。
客席わずか五十席あまりの小ぢんまりとした会場には、立見が出るほどの客がおしかけ、公演されているお笑いライブを楽しんでいた。
普段はうつけ者には足を運ばないお笑いファンが新宿foolに詰めかけている理由は当然、マンザイ・グランドステージの決勝にまでこぎつけたエドエガワとカルチェラタンの二組を見る為だ。
ライブの香盤は、うつけ者の場合は基本、芸歴で決まる。
まず、ライブの開演十五分前。つまり客を劇場に入れてからライブ本編が始まるまでの「客入れ」と呼ばれる時間に、前座ライブが始まる。
これは養成所を卒業して一年目の最も歴の浅い若手が三組ほど選ばれ、ネタを披露した後に軽いトークを兼ねてライブ中の注意事項を伝える。
その前座ライブが終わると、照明が暗転し、会場の防音処理の施された黒く厚い扉が締め切られうつけ者が始まるのである。
一ライブの出演者は大体二十組ほど、一組の持ち時間は三分だ。先にも述べた通り、香盤順は芸歴の浅い者から先に、芸歴が長い者ほど後になる。今現在、スポットライトの中で汗をかいているのは、十九組目のエドエガワだ。
エドエガワは芸歴四年目。本来ならば、七、八組目あたりに出るような芸歴だ。事実、ノースウインドやミルキーロードは七組目と十組目だった。しかしそれらと同期のエドエガワは十九組目。そして、その次の、ライブの最後にネタを披露する組ーー所謂トリは、カルチェラタンだった。
今日のうつけ者は、例外的に芸歴関係無く、快挙を成し遂げた二組をこの日のメインディッシュにしたのである。
「最後に、これだけ言わせてくれ」
「なんだ!?」
「東京ドリームランドって千葉ですよアレ」
「まだ言ってんのか! いいかげんにしろ! どうもありがとうございましたー」
エドエガワのネタが終わり、暗転する。二人が引っ込むと、ソデにはエドエガワのネタを見ようと後輩や同期、先輩芸人が詰めかけ、すれ違うのも困難なほどパンパンになっていた。
「いやー、今日のお客さんあったかいなー!」
舞台裏手のドアからビルの外に出た江川が開口一番、気持ちよさそうに息をついた。ちなみに、江川の言うあったかいとは、気温のことではなく、今日のお客さんはウケやすい、という意味だ。
「で、決勝、今日のネタで行く?」
「んー、そうだな。今日やつを仕上げてもいいかも」
「わかった」
「ところで」
「うん?」
「エンディングの告知とかで言うの? 結婚すること」
禎太は既に、江川のプロポーズは成功したことを知っていた。
「いや、まだ言わない」
「じゃあいつ?」
「優勝したら」
「優勝したらか」
「だから頼んだ。江戸門。優勝させてくれ」
「いや相方任せにすんな! お前も頑張れ当事者なんだから!」
禎太のツッコミに江川は、
「じゃあ俺も頑張るかー。じゃあ早速、決勝であたる相手の敵情視察でもしてくるわ」
と言って、出てきた裏手のドアへと引き返した。他の芸人と同じく、カルチェラタンのネタをソデで見学するつもりである。
「俺ちょっと着替えてくるわ」
楽屋のある三階まで、階段を上って行った。カルチェラタンのネタは当然頭から見たいが、それが終わったらすぐにエンディングだ。ネタの間、禎太はシャツの下に大汗をかいていたので、今のうちに着替えたかったのだ。禎太は顔には汗をかかないが、その分体に汗をかく体質で、普段から替えのシャツを用意していた。
「お疲れさまでーす」
皆カルチェラタンのネタを見に下に降りてるから、誰も楽屋にはいないだろうと思いつつ楽屋の扉を開いた禎太は、目の前の出来事に思考が止まった。
「え、江戸門……」
そこには芸歴十二年目のピン芸人。コットン飯田がいた。コットン飯田は急に楽屋に入って来た禎太の不意打ちにショックを受け、右手にリュックから取り出した黒い財布を握ったまま固まっている。
禎太がフリーズしたのは、楽屋に人がいたからではない。コットン飯田の手に持っている財布も、それが入っていたリュックも、江川の物だったからだ。
コットン飯田が、楽屋泥棒を働こうとしたことは明らかだった。
雷に打たれたような一瞬の間に、禎太の脳内では次に口から出す言葉の候補が次から次へと浮かんでは消えて行った。金を盗もうとしてはいるが、相手は先輩。相手は先輩だが、盗みを働こうとしている。汗を吸ったシャツの気持ち悪さも吹き飛んでしまうほどに考えを巡らせた禎太の選択は、
「な、なにしてんすかコットンさん~! やめてくださいよそういうの~!」
コットン飯田は、後輩の金を盗むというボケをした。ということにすることだった。
「皆出払ってるタイミング見計らうとか、ガチっぽいじゃないすか~! もっとわかりやすいタイミングでボケてくださいよ~!」
あくまで飯田はボケただけ。禎太はそう思い込むことにした。後は飯田が乗っかってきてくれれば、なかったことになるはずだった。
だが。
「あ? んだお前……先輩に対して! お前俺を泥棒扱いする気か!? ああ!? おい!?」
コットン飯田は逆ギレした。顔を紅潮させ、両の目が飛び出るんじゃないかと思わんばかりに見開き、怒鳴りつける。
そう広くない楽屋に、沈黙が流れた。禎太と飯田の間には、楽屋に設置されたスピーカーから会場の声が流れてくるのみである。
「コットンさん」
意を決した禎太が口を開いた。
「今のは見なかったことにしますから、こういうことはお願いですからやめてください」
「は? やめるって何をだよ!? リュックから滑り落ちた財布を元に戻そうとしただけだろうが!!」
苦しい嘘だった。
「コットンさん。前から噂になってます。コットンさんが出番の日に、金がよくなくなるって。俺も信じてませんでしたけど……」
「お前、俺をゆするつもりか!?」
「その財布、相方のなんです。相方にだけは伝えますし、誰にも言わないように念押ししておきますから、本当にもうこんなことやめてください」
コットン飯田は「お前……お前が……」と言葉に詰まりながらブツブツ呟き、禎太を睨み続けた。
その空気を裂いたのは、エンディングを告げるMC呼び込みだった。
「はいはい! エンディングです! エンディングMCの裸電球ですー! それでは、本日の出演者の方どうぞ~!」
スピーカーからガヤガヤとした様子が伝わって来る。エンディングはその日の出演者が全組集まるので、禎太も飯田も舞台上へ行かなければならない。
禎太と飯田は無言のまま楽屋を出ると舞台に上がった。ライブが終わった後も、飯田は禎太と目を合わせようとはせず、そそくさとfoolを後にするのだった。
新宿foolのある通りを曲がった裏手に、多目的広場がある。その広場はバスケットコートやフットサルコートになっており、時折テントが張られ、全国B級グルメフェア等のイベントが開かれることもある。
午後二十二時半過ぎ。ライブを終えたコンビが一組、ベンチに座って密談をしていた。
「どう思う?」
「どうって、何が?」
「だから、今日のエドエガワのネタ見てどう思ったよ!」
そのコンビーーカルチェラタンの岩森が、相方の宮島に食ってかかる。
「宮島、お前はどう思った? 俺らとあいつらどっちがウケてたと思う?」
「なんだ、話があるって言ってたけど、そんなことかよ」
宮島は妙に幅の狭いベンチから立ち上がり、やれやれとため息をついた。
「そんなこと!? 決勝まであと一ヶ月もないんだぞ!?」
岩森は色めき立ち、宮島の背に向かって捲し立てた。
「俺らかあいつらか、どっちかだ! 事務所がプッシュするのは、優勝した方だ! つまり、売れるのはカルチェラタンかエドエガワかのどっちかなんだよ!!」
岩森はポケットからゴソゴソとたばことライターを取り出し、火をつけて一服した。たばこを吸い始めてから煙を吐き出すまで、岩森の右脚は貧乏ゆすりで小刻みに振動していた。
「まあ、どっちかしか売れないってのはお前の言う通りだな」
今まで、マンザイ・グランドステージで優勝したコンビと準優勝したコンビの両方が売れた例はある。しかし、それはそれぞれ別の事務所の芸人だからだ。今回のように、同事務所からコンビが出た場合、仕事を優先的に回されるのは優勝したコンビだ。
優勝者にテレビの仕事がバンバン来るのと比べて、準優勝者の方はせいぜいライブシーンでの扱いが良くなるとか、ライブのギャラが少し増えるとか、オーディションが優先的に回って来るとか、その程度だ。事務所にしてみれば、売れて稼いでくれるのはどっちでもいいし、準優勝の方を売り込むのに労力を割く必要もない。
「で、今日のエドエガワのネタがウケてたから、不安になったと」
「滑ってくれてたらよかったのに」
「今日の客はいつもの常連の人たちと、俺らを見に来た客だぞ。ウケて当たり前だろ。それに今日ウケたからって決勝もウケるとは限らないからな。あいつらも俺らも」
宮島の一言で、岩森の顔からサッと血の気が引いた。決勝で自分たちが滑ってる画を想像したのだろう。
「大丈夫だよな? 俺たちウケるよな?」
「その為に残りの時間でネタ仕上げるんだろ」
「……今日やったやつか?」
岩森の問いに、宮島はしばらく空を見上げて考えた後、
「いや、別のネタにする。このままじゃ、エドエガワに勝てない」
と呟いた。
ネタの完成度。エドエガワと自分たちとを比較した時、唯一自分たちが負けているとはっきり分かるのがそれだった。きっと本番は、今日見たもの以上のネタを持ってくる。それが分かっているからこそ、岩森も焦っているのだ。
「どうすんだよ宮島。このままじゃヤバいぞ」
身長180cmは超える岩森だが、今はその小心さも手伝って随分縮こまって見えた。
「堂々としてろよ。どっちが勝つかなんて、結果が出てみないことにはわかんねーよ」
宮島の顔に、不敵な笑いが張り付いた。
「むしろ燃える展開だろ? 決勝の相手が同期だなんてよ。勝ち負けも含めて楽しもうぜ」
少年マンガの主人公のような台詞を言って、宮島は公園を出た。その背中を、岩森はただじっと見つめていた。
「わかってんのか宮島。二度とあるかどうかのチャンスなんだぞ……」
岩森は呟きと共に、歌舞伎町の雑踏の中へと消えていった。
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