ミスターハリマオの復讐

カトウ ユミオ

第1話 マンザイ・グランドステージ


「いやそれ僕じゃなくて妹ですよ」

「お前の妹まだいたんかい! いいかげんにしろ! どうもありがとうございましたー!」

 舞台に立つスーツの二人組が頭を下げると、割れんばかりの拍手と笑い声が会場を包んだ。

 東京は有楽町に立つ、大日だいにちテレビ第十二スタジオは、同テレビ局の保有するスタジオの中でも、最大の収容人数を誇るハコである。

 普段はビッグバジェット映画のアクションシーンや特撮映画の撮影が行われているこの場所には今、千を超える観覧席が特設ステージを囲むように設けられていた。観客のほとんどは若い女性で、ステージ上に向かって黄色い声を投げかけている。

 激しくライトアップされたステージのソデに二人組の姿が消えると、照明が一気に消え、会場は暗闇に沈んだ。

『準決勝Bブロック! 本日最後のコンビの入場です!』

 進行を務めるアナウンサーの拡声されたガナリが響き、それに合わせてライトが明滅する。

『俺達は東京生まれ東京育ち! 大都会東京の西と東で生まれた二人が今! 日本お笑い界の覇者へと王手をかけるか!? 結成四年目、お笑いランキング十七位! アカツキ芸能社所属! エドォエガワァー!!』

 アナウンスの終了と同時に、ド派手なCGがプロジェクションマッピングと共に演出され、液体窒素が噴出する奥から、二人の若者がステージ中央へと飛び出した。

 【マンザイ・グランドステージ】は、一年を通して行われる、若手漫才師の登竜門である。

 芸能事務所に所属している、プロと認められた結成十年以内の若手芸人が挑戦することができ、約十か月に及ぶ予選が繰り広げられる。

 予選中は、決められた回数だけ予選ライブに出演することができ、直接投票されるポイントを競い合う。そしてポイントを多く稼いだ上位三十二組のみが、全国放送される決勝トーナメントに出場することができるのだ。

「どーもー! 江戸門えどかど江川えがわでエドエガワです!」

「よろしくお願いしまーす!!」

 彼らエドエガワもまた、決勝トーナメントに駒を進めた若手の一組だった。結成四年目にしてトーナメント出場を勝ち取るという快挙を成し遂げた二人は、アカツキ芸能の設立した養成所で出会った。

 小学校からの同級生だったわけでも、兄弟だったわけでもない、純然たる他人同士だった彼らがここまで歩を進めることができた理由は、ひとえに面白いから。これ以上の理由はない。

 家が大金持ちだったり、極端に貧乏だったわけでもない。親戚に有名人がいるわけでもなければTV関係者がいるわけでも、波瀾万丈の生い立ちがあるわけでもない。平々凡々な人生を送って来た二人は、弛まぬ努力と、絶対に売れるんだという気概のみで戦ってきた。

「いやでもお前の地元、牛に選挙権あるらしいじゃん」と江戸門が言えば

「んなわけあるか! 馬だよ、あるのは」と江川が返す。

 エドエガワのスタイルは、所謂しゃべくり漫才と呼ばれるクラシックにして王道のものだ。二十三区内生まれの江戸門が、江川の生まれた西東京を比較してイジるというネタを得意としている。

 養成所で組んで以来、芸風を試行錯誤し、ライブでの結果に四苦八苦し、何度も何度のネタを直した結果誕生したのが、今のエドエガワだった。

「じゃあそんなに言うならいいですよ。次の選挙うちの牛と一緒に投票するんで」

「お前の地元どうなってんだよ。いい加減にしろ、どうもありがとうございましたー!」

 ネタを終え、ソデに引っ込んだ江戸門えどかど禎太ていたは確信にも似た手応えを感じていた。オーディションに受かった時に感じるものよりも、遥かに大きい強い手応えを。

 ぽん。と禎太の背中に、江川が拳を当てた。

 ネタがうまくいった時の江川の癖だ。禎太もそれに応え、江川に見えるように右手の親指を立てた。

 番組は休憩を挟んだ後、結果発表の収録に移る。ステージの上には今日の準決勝を戦った四組の漫才師が立ち、収録とはまた別種の緊張を抱えていた。

『既に各組ネタを終え、そして採点は終了しております! お待たせしました、準決勝結果発表です!』

 司会の大日テレビ小暮アナウンサーの声と共に、セットの大型モニターにAブロックを戦った二組の名前が表示され、観客と出演者の目が釘付けになる。

『準決勝Aブロック、勝者は!! カルチェラタン!』

 発表されるやいなや、禎太の隣に立つスーツの二人組が「よっしゃあ!」と鬨の声をあげた。

(やったな、カルチェラタン)

 声には出さず、そっと禎太は心で呟く。

(次は……俺達の番か)

 カルチェラタンから目線を外し、チラリと横目で江川の顔を見る。表情こそ笑顔だが、目は笑っておらず、額にはわずかに脂汗が光っている。それは江川だけではなく、禎太も似たような顔なのだが、自分でそれに気づくことは無い。

『続きまして、Bブロックの結果発表です! Bブロックの勝者はーー』

 心臓を直接殴られたような感覚が体を走る。禎太の眼は備えつけられたモニターに吸いつき、動かすことができなくなる。黒をバックに金のフォントで表示されたエドエガワの字を睨み、緊張を抑えようとゆっくり呼吸を整える。

 自信はある。しかし、自分がそう思っていただけ。そんなことは今までいくらでもあった。養成所のライブの結果。いけると思ったオーディション。わざわざ名指しで呼ばれた有名ライブのネタ見せーー

 期待して、肩透かしに終わった経験の数々。

(それでも、頼む! 今だけは!!)

 禎太は、そして江川も祈った。自分達の成否を、他人の判断に委ねなければならないことの、なんともどかしいことか。

『エドエガワ!!』

 一瞬、意識が飛んだのかと思えるくらいの静寂。からの、衝撃。

「やっ……!」

 そこから先の言葉を、禎太は出せなかった。横を向くと、江川も目を丸くしたまま、両の拳を顔の横まで上げ、アップライトのような構えのままで固まっていた。

(判定負けしたムエタイの選手か)

 心の中で、脊髄反射でそうツッコんだ。絶対にこのタイミングで思うことではないし、禎太自身も何故そう思ったのか分からなかったが、それほど頭の中が空になっているということに、本人は気づいていない。

『おめでとう!!』

 小暮アナの呼びかけで我に返った二人は、周りの芸人から背中をバシバシと叩かれる痛みと共に決勝進出の喜びを実感した。

「……ったぁーーっ!!」

「溜めたな随分。や、とた、の間」

 ワンテンポ遅れたリアクションを、周りの芸人にイジられながら、準決勝の収録は終了した。


 番組の収録後、出演者は楽屋にて帰り支度を始めていた。楽屋と言っても、出演した芸人は全員個室をあてがってもらえる程売れているわけではないので、大人数用の部屋に四組が通されただけだが。

「やってくれたなクソがぁ……」

 パンツ一丁でスーツをたたみながら、ワトキンソンの町山という芸人が禎太につっかかる。と言っても、言葉に棘は無く、険悪な色は見えない。

 ワトキンソンは、事務所は違うがエドエガワの三年先輩で、Bブロックの対戦相手だったコンビだ。

 以前、エドエガワがゲストで出た、東京コメディ館というライブで喋る機会があり、そこから付き合いが始まっている。

「すいません町山さん、お先に売れさせていただきます!」

「言ったなこいつ!」

 禎太の返しに、町山はガハハと笑う。

「ここで倒れた俺達の想いを背負って、絶対優勝してくれよ!」

「いやダサぁ! ほんとにいるんだな、こういうこと言う奴」

 町山の発言を、少し離れた所で着替えていた相方の石川が拾う。

 今でこそ、このような和気あいあいとした雰囲気だが、収録前の楽屋の空気はこれ以上ないぐらいにピリついていた。あいさつ以降、各組喋ることは無く、時折コンビで固まってボソボソと小声でネタ合わせをしたり、スマホをいじるだけの静かな二時間が続いた。その針で刺されるような張りつめた緊張感たるや相当のもので、出番を告げに来たADが気圧される程だった。

 とてもこれから人を笑わせようとするとは思えない程の剣呑さだが、その二面性もまた、お笑い芸人という人種独特のものだろう。緊張が解かれた後の楽屋の様子も含めて。

 マネージャーからの労いの電話を受けている間に、エドエガワ以外のコンビは着替えを終えて楽屋を後にしていた。

「先行ってるわ」

 と楽屋を出る江川に、「おお」と返し、禎太は脱いだ衣装をたたんでスーツケースにしまった。

 洗面台で顔を洗い、頭を上げる。鏡に映った自分の顔がこちらを覗き込んでいる。多少肌が浅黒い以外はいたって平凡な、飛びぬけたイケメンでもなければ、ド級のブサイクでもない、お笑い的には非常に使いづらい顔だ。

 鏡を見て、ふ。と禎太の口角があがった。

(ほんと、よくここまでこれたもんだよ)

 少し前に書いた通り、禎太はごく平凡な男である。外国人とのハーフでもないし、目立つ特徴があるわけでもない。この、特に何も無い、というのが禎太のコンプレックスであり、芸人を目指したきっかけだった。

 学生時代も、目立つような存在ではなかった。だからこそ、お笑い芸人と言う唯一無二の存在に憧れて養成所に入ったのだ。

 そこで直面したのは、自身のコンプレックスをさらに増幅させるような出会いだった。

 父親が逮捕されてるので、父親と話す時はいつもガラス越しだったというエピソードを持つ同期。幼い頃から子役として活動していた同期。家が貧乏で、友達にバレないように雑草を持ち帰って食べていた同期。

 地元でケンカ負けなしのヤンキーだった同期、センスと発想が抜群で、ネタや大喜利で無敵を誇った同期。帰国子女のイケメンで、養成所生の頃からファンがついていた同期……

 嫌になる程、才能や特徴に溢れた人間たちと養成所で出会った。そんな海千山千の同期と渡り合う為に禎太にできることは、ひたすら努力することだけだった。

 売れている先輩のネタをノートに書き写して徹底的に分析し、毎日一人で大喜利をやり、一日一本ネタを書き、これ以上直すところが無くなるまで書き直す。

 養成所生の頃から、芸能事務所の関与しないフリーのライブに出続け場数を増やし、たまの休みには色々なライブを見に行く……

 それを週五で深夜のコンビニのバイトをしながら、養成所時代を含めて実に五年も続けてきた。

 正直、かなり努力してきた方だと思うし、これで結果が出なかったら、折れていたかもしれない。

 そして今、自分たちは若手漫才師ナンバーワンの称号に王手をかけている!

 これまで歩んで来た道筋を振り返って感慨に浸りながら、禎太は荷物をまとめて楽屋を出た。

「よう江戸門」

宮島みやじま

 楽屋から出た禎太に話しかけて来た男は、同じく決勝行進出を決めた、カルチェラタンのツッコミ担当の宮島だった。

「もしかして待ってた?」

「ああ。ちょっと話したいことあるから」

 禎太と宮島はロビーの受付に、撮影者と書かれたストラップ付名札を返却し、連れ立って大日テレビを後にした。

 宮島と……というより、エドエガワとカルチェラタンは同期の間柄だ。共にアカツキ芸能社の養成所出身で、同社所属の若手漫才師。ひそかに、禎太はカルチェラタンをライバル視していた。

 特にこの宮島という芸人は、喋らせて良し、仕切らせて良し、ネタも書けてツッコミも大喜利もなんでもござれのオールラウンダータイプで、禎太に勝るとも劣らない程お笑いに対してストイックだった。

 禎太と比較すると、ツッコミもできてトークも回せる分、平場では宮島の方が上手だ。しかし、ネタの作成能力については、禎太に軍配が上がるだろう。せめてネタだけは負けまいと、努力を重ねた結果だ。

「マネージャー……大越おおごえさんからさっき電話あったんんだけど……」

 スマホのスケジュール機能に、決勝の日程を打ち込みながら、禎太が口を開いた。

「俺にも来たわ。事務所、お祭りらしいな」

「そりゃそうだろ。どっちが勝ってもアカツキに仕事が入るの確定なんだから」

 マンザイ・グランドステージに優勝するということは、売れることとほぼ同義である。何年も売れずに燻っていた芸人が、煌びやかな芸能界で花咲く為の、最も手っ取り早く、そして最も過酷なチケット争奪戦だ。

 歴代優勝者も例に漏れず、世間的には無名も同然だった芸人たちが、一夜にしてスターダムへと駆け上がっていった。

「で、話たいことって?」

「まあ、話したいことって言うか、言っておきたいことがある」

 そう言うと、宮島は禎太の方に向き直った。

「俺たちが勝つ」

 普段は、口を開けば何かしら面白いことを言おうとする男の、本音だった。

「俺たちだって負けてやれないぞ。ただでさえ一敗負け越してるんだからな」

 禎太と宮島が笑った。

「養成所ライブの成績もカウントしてんのかよ」

「てゆーかそれぐらいしか無いだろ? お笑いではっきり勝ち負けつく機会なんて」

 アカツキ芸能の養成所では、養成所生だけで月に一回ライブを行い、観客の投票で順位を決めていた。エドエガワとカルチェラタンはよく、どっちの順位が上かを競っていた。

「まさかの同門対決になったわけだけど、とにかく俺はこの大舞台で対決できるのが、エドエガワで嬉しいと思ってる」

「俺だってそうだよ。最高のネタを用意しておく」

「つーわけで、次に会うのは決勝で。じゃあ」そう言って宮島は駅へと歩いて行った。

 禎太は遠ざかる好敵手の背を見つめながら、

「いや、次に会うのはうつけ者(アカツキ芸能社の自社ライブ)だろ」

 と呟いた。

 直後、禎太のスマホから、lineの着信音が鳴り響いた。江川からのメッセージを開くと、そこにはこう書かれてあった。

 駅前にある鳥男爵の二階の座敷席。

 禎太はそのメッセージに、あいよ~ と返すと、打ち上げ会場の安居酒屋へと足を向けた。

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