第19話 七瀬彩奈の復活

(*前回の続きで塾長のお話からです。まだ見てない人はそちらからどうぞ)


 じゃあ遠慮なく。


 君は高校生にして初めて身近な人の『死』を経験しているわけだ。


 どうだい?とかは聞くつもりはない。


 きっと絶望の縁という縁にまで追いやられ、そこからダメおしに奈落の底に突き落とされ、今は暗闇の中を歩いてる気分だっただろうからね。


 お葬式に参列している時に比べれば今は幾分かマシになってるとは思うけど。


 彼方かなたちゃんに続いて後追いされてたら泣いちゃうよ?


 泣いてください。じゃなくてね…。


 まあ本気でやるつもりなら止めていたけど。


 え?放任主義の塾長がそんなことしないだって?


 ひどいなー。

 流石に私も人だよー。ほんとほんとー。


 さて茶番はここまでにして、ここで一つ質問しようかな。


『心の傷を癒してくれるものって、な〜んだ?』


 思いつくだけ答えてみて。もちろん理由付きでね。


 趣味。

 なるほどなるほど、自分が楽しいと思うことに没頭して考える余地を与えなくするってことね。


 外れ〜


 じゃあ次。


 綺麗な景色を眺める。

 大自然とかを見ると宇宙に比べて自分がいかにちっぽけな存在か感じると。


 いい線は言ってるけど違う。

 問題を置き換えているだけで解決はしていないんだよね、それ。


 はい次。


 お、ドヤ顔で回答しようとしているってことは答えを期待していいんだね。


 時間。

 よく「時間が解決してくれる」っていうもんね〜


 あっているように思うけど全然違うね。


 実は一番やっちゃいけないことだと私は考えている。


 その理由は答えが出た後で説明するね。


 じゃあ他は…。


 もう思い浮かばないって感じだね。


 正解発表をしようか。



 正解は…



『自己受容』



 これに尽きる。


 ん?これって「私ならできる」「私は強い人間だ」ってことですかだって?


 それは全然違うね。


 今、彩奈あやなちゃんが言ったことは『自己肯定』。


 それじゃあ先に『自己受容』と『自己肯定』についての違いを説明しようか。



『自己肯定』っていうのはね、自分が出来ないのにも関わらず「私ならできる」「私は強い人間だ」と自らに暗示をかける行為だね。


 つまり、自分に嘘をついているってこと。


 類似したことの一つに『緊張』がある。


 人が緊張するのは、自分が今持てる力以上のものを出そうとする時に発生してしまう。


 自分が持つもの以上のものは出ないのに大きく見せようとする。


 人間って傲慢だよね。


 彩奈ちゃんも経験したことがあるよね?


 これからもあるかもしれないけど、「自分緊張してるな〜」って思ったら、今まで生きてきた自分にできることだけを考えたらいい。そうすれば結果なんてかってないでてしまえ。だ。



 じゃあ次、『自己受容』について。


『自己受容』とは、言葉の意味そのまま。


 ありのままの自分を受け入れること。


『自己肯定』が60点の自分に対し「自分は100点だから」と己を騙欺へんぎする行為なら、『自己受容』は60点の自分を受け入れた上で「100点に近づくにはどうしたらいいだろうか」と前へ前へと進む行為だね。


 この説明だけでもどちらがいいか、頭のいい君ならわかるよね?


 それで先の時間の話にも関係のある話になるんだけど…


  ***


「それで先の時間の話にも関係のある話になるんだけど…」


 ギリギリ理解が追いついた私_七瀬彩奈ななせあやなは塾長の授業とも取れる『自己肯定』と『自己受容』のお話を聞いてすごく納得させられてしまう。


 恵比寿天の容姿から時々、神様のように見まごう時がある。


 存在レベルで圧倒されて天界に召されてしまいそう。


 ちょっと自分でも何を言っているかわからなくなってきた。


「大丈夫?頭、ショートしてない?」


 ニヤッと口角を上げてこっちの様子を探る。


 疲労感を隠し平静を装って答える。


「ええ、大丈夫です。続けてください」


「『時間が問題を解決する』ってあったよね」


「はい。それと『自己受容』にどのような関係があるんですか?」


「お、乗り気になってきたね。やる気が見られる生徒は大好きだぞ」


 嬉しそうになる塾長。


 たまに見せる無邪気さが生徒である私を巻き込んでくる。

 それにつられてこちらまで楽しくなる。


「『時間』は確かに問題を解決する」


「さっき、違うって言いませんでしたっけ?」


「少し語弊があったね。表面的には解決している。」


「表面的に、ですか?」


「そう。『時間が問題を解決する』仕組みは、時間が経過して単に忘れていっているだけ。記憶の触れられない部分に鍵をかけて二度と取り出さないようにしているんだ。悲しいことにね」


「忘れる…」


「怖いかい?」


「当然です!私はぜっっっっっったいに!彼方姉さんを忘れることはありません!これから先に何があっても!!!」


「素晴らしい姉妹愛だね。でも、今の君じゃあダメだ。すぐに限界が見えてくる」


「どうしてそんなことが言えるのですか?」


「『私が彼方姉さんの代わりを努めなきゃ!』って思っているだろう?それはさっきの『自己肯定』にすぎない」


「っ…!!」


 こればかりは何も言い返せない。

 事実そう思っていたから。


 私がやらなきゃ、と無意識のうちに自己暗示してしまっていた。


 分かっている、そんなこと。


 まだ彼方姉の足元には及ばないって分かってる!


 それでもっ!


 私は姉が行けなかった所まで到達する義務があるの!


「ひゃうん!?」


「ほらほら肩凝ってるじゃないの〜」


 いつの間にか目の正面に座っていた塾長が座っている私の後ろに来て肩を揉んできた。


「いだだだだだだ!!!!!ちょっ!じゅく…ちょっ!」


「ほらほら〜最近、姿勢意識してる?」


 最近は堕落しすぎて確かに姿勢がガタガタだね。


 生活習慣もろとも直していかないとね…。


 あ…。


「塾長、私わかりました」


「ん〜何が?」


「『自己受容』についてです」


「自分の考えを話してごらん」


「ふと『自分が堕落していてダメだったんだな』と感じました。これが『自己受容』ですよね」


「自分で理解できたね、えらいえらい」


 塾長に頭を撫でられるけど嫌な気はしない。


 塾長の手はほんのり暖かくて私の凍り付いていた部分を溶かしていくような感覚がする。


「過去を忘れるでもなく引きずるでもなくしっかり受け止めてどうこれからを生きていくかってことですね」


「…」


「塾長…?」


「いや、これまで中学生でまだまだ子供だなと思っていた彩奈ちゃんがワンステップ成長して少し遠くに行ってしまったなと。そう思っただけ」


 塾長の撫でていた手がさらに強くなる。


「塾長〜痛いです〜」


 こうやって乱雑に扱われるのは久しぶり。


 そもそも私をぞんざいに扱う人の数が少なすぎる。

 塾長と彼方姉くらいだね。


 最後にこう扱われたのは1ヶ月前の彼方姉だったかな。


 彼方姉に何か嫌なことがあるとすぐ私を部屋に召喚するので、その度にセクハラされていた。


 今となっては寂しくなったけどね。



 ピチャッ



 なんの音?


 音の発生源は私の腕で。


 そこには一粒の透明な液体があった。


 室内だから雨が降るわけでもなく、雨漏りしているわけでもなく、自分の汗でもない。


 なぜだか感情が昂る。

 なぜだか体が震える。



 なぜだか…



 涙が流れている。


 

「なんで…?」


 さらに涙がポツポツと私の腕に溢れる。


 最近は無気力に生きているだけで茫然としていた。


 涙を流すことすらできないほどだった。


「彩奈ちゃんの受容力が過去をも抱擁した、受けいることができた、ということなんじゃないのかな?」


「そう…グスッ…なんですか…」


 この温かい想い…。


 これだけは、この気持ちだけは忘れないように生きていきたい。


 その思いを、この瞬間の自分を、両腕それぞれを反対側の肩に置いて大切そう抱えた。



  ***



「落ち着いたかい?」


 感情を吐き出した私を気遣う塾長。


「ええ、お見苦しいところを見せてしまいました」


 涙を拭いておそらく目が赤くなっているであろう私は申し訳なさでいっぱいだった。


「君ら姉妹の醜態をどれほど見てきたと思っているんだい?」


 やれやれと肩を竦める塾長。


 そんなに嫌そうじゃないのがコミカルだった。


「うう…それを言われると困りますね…」


 確かにいつも醜態晒しているし、彼方姉も醜態晒していたことは塾長から聞いている。


「どうだった?私の話したエピソードは」


「為になりました。これからやるべきこと、目標がまず決まりました」


「その目標とやらは?」


「まずは日本でトップの女優を目指します!」


「これは大きく出たね〜」


「ダメでしたか?」


「いいや、目標は高いに越したことはない。むしろ意外だったよ。ビックマウスな様はまるで彼方ちゃんみたいだった」


「彼方姉さんみたいに?」


「そうだね〜。やっぱり遠くに行ってしまったみたいで少し寂しいな」


「でも私は彼方姉さんのようにはまだなれません」


「『まだ』ね…いつかはなると…」


「そうです!私は七瀬彼方ではありません!その妹!『七瀬彩奈』です!」


「たった数時間で良い目をするようになった。今の君ならきっと彼方ちゃんと同じステージへ…いや、そのさらに上に行ける。そう信じられるね」


「見ていてくださいね!私のこれからを!」


「行ってきな〜。また人生に迷ったらここに来るといいよ」


「是非!」


「そこは是非じゃなくてだな」


 ふふふ、と二人して笑う。


「では、今日は失礼します!また勉強しにここにきますね」


「いつでもおいで。私はここにいるから」


「はいっ」


 塾長に一礼して金泉きんせん寺を後にする。



 帰る道すがら私はやるべきことを考えていた。


 まずはマネージャーや友人、関係者各位に謝罪しないと…


 それで溜まっているお仕事を全部こなして学校に通う。


 いつまでも沈んではいられない。


 そんなことをしている間にもライバルたちは成長している。


 差をつけられるわけにはいかない。


 やることは山積みだけれど、まずは…


 

 最初に向かうべき場所を思い浮かべた瞬間には私はすでにいくべき場所に向かって駆け出していた。

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