第18話 七瀬彩奈の憂鬱
4月某日。本来なら今日は入学式に出席する予定だった。
その入学式を他所に私_
『学習塾 寺子屋
建物の前の門にはそう書かれていた。
寺子屋。
江戸時代に和尚さんが街の子供たちに主に読み書き・計算を教えた学問施設を、それとな〜く皆さん思い浮かべるかな?
合ってると思います。
でもそれは江戸時代のお話。今は現代。
「学習塾」とあるので当然学びの場である。
現代版の寺子屋。
業績を出す大手進学塾が蔓延る昨今、個人経営で圧倒的な進学実績を誇っている金泉寺。
そのため毎年入塾希望者が後を絶たない。
しかしながら入塾基準は塾長の独断と偏見によるものである。
単に学力が高いだけだとまず「他を当たってください」と門前払いされる。
私が見た感じでは何かと問題を抱えている人を多く採用している印象が強い。
もともと勉強嫌いの彼方姉がある日突然「私、勉強したい!!!」と言い出して、金泉寺に通い始めた。
彼方姉をお迎えに行ったときに、私が塾長のお眼鏡に適ったのか「いつでも遊びに来てもいいよ〜」言ってもらえたので、不定期ながら小学校から今まで途絶えることなく足を運んでいる。
勉強したり、本を読んだり、塾長とお話ししたり。
成り行きで行き始めた場所が今ではかけがえのない
さて、ではここでなぜ金泉寺にきたのか。
理由はもちろん塾長に会うため。
ちなみにアポは取ってない。
逆に連絡を取ると「連絡してくる暇があるならはよこい」って怒ってくるタイプの人。
その真意は「悩む時間取るくらいならもっと他にやるべきことがある。だからさっさと選択しなさい」らしい。
聞いたときは確かに理にかなっているなと。
成功か失敗かにかかわらず、行動した結果が現れるのが早いに越したことはない、って今は解釈してる。
実際いつ行っても必ずいるの、塾長は。ちゃんとおうち帰って寝てるのかな?
現在、絶賛メンタルブレイク中の私なんですが、部屋に篭って彼方姉の動画を繰り返し見てるだけだと本当に気が滅入りそうになったので何とか重い腰を上げてここまでやってきた。
とりあえず金泉寺の門をくぐって左に曲がり、生徒用の入り口から教室に使われている部屋に入る。
この教室は外履で入ってもよく、もともとあった金泉寺の空いていた敷地をいっぱいに使って増築してある。
ガラッと扉を開けるとお目当ての人が椅子に座ってて参考書を読んでいるのが見られる。
塾長は一言で『恰幅の良い体型』の人である。
七福神の内、唯一日本の神様の恵比寿天のような垂れ耳が特徴的だ。
決して太っているとか言いたいわけではなく安心感があるってこと。
捉え方は間違っちゃダメ。
私を目視したが参考書を見続ける塾長。
質問がありそうな生徒がいたら自分から声をかけさせる。
生徒の成長をなによりも最優先するという徹底した先生だね。
それにしっかり習ってる私もきちんと塾生やってるよ。
「おはようございます、塾長」
「おはよう〜、そろそろくることだと思っていたよ」
何でもお見通しと言う声が続くよう。
「相談があります…」
「内容はだいたい見当がつくけど、言ってごらん」
先ほどの間延びした声は消え、私の目を見て真剣に射抜いてくる。
私は率直に悩みの内容を話す。
「姉、
「ふんふん、なるほど」
「私はどこに向かうべきなのでしょう?」
「どこへ…ね」
う〜ん、と頬杖をつき少し斜め上を見て考える塾長。
「どこにでもいけばいいんじゃない?」
「へっ!?」
シリアスさんがどこかにいっちゃったよ!?
「ちょちょちょ塾長!私、結構真面目に質問したんですけど!?」
「まあまあ、そんな肩肘張ってたら動きが制限されちゃうよ?」
「今はそんな話ではなくてですね…」
「どう?人と会話するのは?久しぶりなんじゃない?」
「あ…」
言われて初めて気がついた。
彼方姉が亡くなってからと言うものの、友人やマネージャーからのメッセージには返信すらせず、ましてや家族の会話にもおざなりな相槌を打っていた。
モノクロ映像が頭の中で再生される。
その時の私は感情が動いていなかったのだと解らされた。
女優を目指しているのにこの体たらくは酷い。
塾長と喋ると、女優に向けて演技力を高めるためにもと喜怒哀楽をバンバン外に出していた。
やっぱり塾長には敵わないな。
いつもなら「裏をかかれた!」と負けた感じがしてとても悔しいけど、今日ばかりは嫌らしさを感じることはなく羽毛に包まれる程よい心地よさがあった。
「お葬式の時に見た彩奈ちゃんよりも目の輝きはあるよ」
「え?いたんですか?」
「ひどいな〜お経を読んでたのはこの私だったんだけど」
「ええ…全く気がつかなかったですね。ごめんなさい」
「いや、全然いいんだよ。気がついてたらむしろ怒ってるところだった。『二度と金泉寺の敷居を跨ぐな!』ってね」
おお…さらっと怖い。
本当にやりかねないから葬式で沈んでてよかったと思う。
実際二度と立ち直れないんじゃないかとも思っていたし。
「さて、前振りはこのくらいにしておいてそろそろ本題に入ろうか」
本題に入るのが長いのは塾長の癖。
とてもありがたい前振りだったけどね。
ちなみに彼方姉もこの癖を受け継いでたし、私も伝染してないか心配だな。
「お願いします」
「彼方ちゃんが亡くなったのはとても残念だった。彼女と話していると元気がもらえたからねえ」
「同じことを姉も言っていました」
「嬉しいねえ。もちろん彩奈ちゃんとも話していてとても楽しいよ」
彼方姉や塾長には聞く者に活力を与える魔法の言語を持っているように思える。
到底今の私が追いつける次元ではない。
いつの日か追いつき追い越そうとは思うけれど。
「ありがとうございます」
素直に感謝を伝える。
「彼方ちゃんが目標だったのは教えていたらわかる。女優としても姉としても尊敬していたことは伝わっているよ」
塾長の人気たる所以は圧倒的なまでの「洞察力」である。
その人の抱えている悩みの本質や性格を読み取る。
「女優の七瀬彼方が築き上げてきたものは今も残っているわけだろう?」
「そうですね」
「そうなると今までと目標は変わらない。目標が足を止めただけで君の目指すべき場所はそのさらに上だろう?」
「確かに…」
納得しかできない。
私はまだまだ彼方姉の足元には及ばない。
彼女がいなくなった今でも超えれる気がしない。
「あ、今『超えられない』って顔したな」
「心まで見透かさないでください!」
心理学の覇者ですか!ってツッコミを入れたくなるね。
「酷かもしれないけど、今の君じゃあ絶対に彼方ちゃんを超えられない」
「…」
分かっている。今のままじゃ自分は絶対彼方姉は愚か、他の女優志望の人たちにすら敵わない。
「彼方だけにね?」
「最後のがなければ完璧に認めてましたね…」
このタイミングってところでボケを挟まれると困る。
「ま、君はささっと立ち直らないといけない」
「それができれば苦労ないですね…」
「なんて言ったって日本、いや世界を目指しているんだろう?あの言葉は嘘だったのかい?」
塾長がおっしゃった『あの言葉』。私の決意。
私と塾長だけが知っている過去の会話が脳裏に。
「いえ、嘘偽りありません。ですが…」
「ふむ、まだ足踏みしてるみたいだね。それじゃあ立ち直るために一つエピソードを語ろうかな」
これから語り始める前に塾長は私の反応を見る。
さっさと立ち直って早く前に進めるならどんな話でも聞くつもりなので当然私は首肯する。
「じゃあ遠慮なく」
そう言って先生は自分の世界に入った。
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