第3話 妹の思い
一通り検査を終えて夜となった。
部屋の電気が消え、月明かりが差し込む病室のベッドの上で、忙しさから解放され落ち着いた私_七瀬彼方(ななせかなた)は頭の中を整理する。
検査を受ける中で、今の私が動かせるこの体_もとい『辻井要(つじいかなめ)』についての情報を知る。
辻井要。男性。175センチ。今年の4月から高校生。黒い髪の毛で前髪で目が隠れるくらいには長い。顔は整っている方かな。筋肉も普通についているくらい。平均という言葉が一番合いそうね。
流石に情報が少なすぎる…。
そりゃ、病院で知る情報というと客観的特徴と噂くらいよね。
春から高校生なんてまさにそうだし。
交友関係・性格あたりは早く知っておきたいが、どうやら急な検査で時間が取られたため今日のところは面会謝絶となっている。
明日には要くんの家族や友人が来てくれるだろう。そこで私の今後の方針について考えればいいか。
要くんには申し訳ないけど二度目の高校生活をさせてもらうことにしましょう。
それにもう一度現実で妹_彩奈(あやな)を拝みたいし。
今日1日は誰も経験したことのないことばかりだったな、と結論づける。
知らない男子高校生(予定)に転生して、男の人の体を動かしてみるという新鮮さがあった。
その反動もあってか体が疲労を訴えてくる。
新しいことを経験すると結構体力を持ってかれるのね…。
まるで初めて遊園地に行った子供がはしゃぎすぎて帰る頃に疲れ果ててすぐにでも眠りにつきそうなほどにね。
私はベットに入り目を閉じる。
明日も初めてのことばかりだと思うけど今日はもう寝ましょう、明日のために。
明日のためにと思考を巡らせる内に私の意識は沈んでいった。
***
時は『七瀬彼方が交通事故に遭い病院に運ばれた』場面まで遡る__。
私_七瀬彩奈は彼方の妹だ。4月から高校生。女優を目指して日々特訓に励んでいる。多くの女優を輩出する事務所に所属する女優の卵だ。
姉_彼方のことは女優として、姉として、そして一人の人間として尊敬していた。
そんな姉が交通事故に遭った、とレッスン中の私にマネージャーがわなわなと震えながら慌てた様子で伝えてきた。
顔が青ざめてくる。血液の流れが悪くなる感じがする。
得体の知れない脅威・恐怖が背中から私の全身を包み込むような嫌らしい寒気がする。
呼吸が荒くなるのが分かる。吐き気を催し、嗚咽が溢れてしまう。
冷静にならなければと自分に強く言い聞かせるほどに私の中で焦燥が追い上げてくる。
それの繰り返しで負のループに陥ってしまう。
気が動転して普段とは全く別人に変貌した私に周りにいた人が駆け寄ってくる。
「彩奈、大丈夫?」「体調悪くない?」「病院行った方がいいよ!」
温かい言葉が辛うじて私の耳に届いたが、それ以上に冷たい現実が私の意識を刈り取った。
***
私は夢を見ていた。主に姉と一緒にいた記憶が作り出した、そんな夢を。
***
「彼方お姉ちゃん、お家を出て行くってほんと?」
小学校高学年の私が彼方にあどけなさの残る声音で疑問をぶつけてた。
この頃の私って、彼方姉が大好きで離れたくなかった時よね。
「そうだよ。お姉ちゃんはお仕事のために別のおうちで暮らすことになるの」
「嫌っ!!!お姉ちゃんと離れたくない!」
そう言って彼方の胸辺りに飛び込んで背中に手を回し、決して放さまいとギュッと抱きしめる。
「ずっと離れるわけじゃないよ。もちろん実家にも返ってくるし、彩奈も私の新しいお家に遊びにきてもいいんだよ?」
当時二十歳過ぎで同年代の中でも抜群のプロポーションと美貌を兼ね備えた彼方姉は優しく温かい声で私の頭を撫でて宥める。
「でもでもでも、ずっとお姉ちゃんと一緒にいたいの!」
抱きしめていた腕がさらに強くなる。
「大丈夫よ、彩奈。そのうち一緒にいる時間がまた増えるから。だから、それまで彩奈も勉強とか家事とか頑張るんだよ」
「うん…」
納得はしなかったんだよね。でも私じゃ止められないのは理解してた。
いつもそう。彼方姉はふとした瞬間にどこかに行こうとしてる。
解いた腕から彼方が放たれる。彼方は玄関へ歩み家を出ていく。
彼方姉がいない空っぽの部屋を見て寂しくなる。
***
私が自分の部屋で目を覚ました時には既に姉はこの世にいなかった。
あの夢を見たから不思議と違和感はない。
感かな。なんとなくそんな気がした、のだ。
しかし、悲しいわけではない。
目頭が熱くなるのを感じる。
彼方の笑っている姿を思い浮かべた時には、姉への想いと共に涙がポロポロと溢れていた。
その場で崩れ落ちてしまう。
「ひっぐ……どうして……どうして…!」
床を叩きつけてしまう。
それに呼応するかのように言葉尻が強くなる。
帰ってこないのはわかっている。
だけど仕方ないと思いたくない。
時間が巻き戻れば何か変えることができたのでは、と実現不可能なことを考えてしまう。
「どうして…」
誰にも届かない声と虚無感が部屋を埋め尽くした。
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