第26話 家
特にこの国では、官職を持つ
我々が生産活動を支配しているのに、あんな
実際には、ヴァイザー帝国の殆どの貴族は大変に多忙、又はそれに付属する行政組織が極めて優秀というのが実体あったが、地面に這いつくばる劣等種を蹄で蹴り上げながら農作業に従事させるタイプの荘園主は、武士があたかも『劣等種』の如く空から一方的に蹂躙されかねないことを頭では分かっていても、身体で感じたことは無かったから事あるごとに下剋上を狙っていた。
ロッサノ・ディ・フランシアもその一人だ。フランシア家の家長として、そこそこの大きさの荘園を経営していたし、荘園間での小競り合いもそこそこ強かった。
そんなある日、イェンス爵領のキチガイエルフが何かヤバいことをしたらしいぞという噂が流れてきた。
イェンス爵領と言えば、この国で一番端っこの、インフェン大穴を抱える、なんというかまぁ、可哀想な所だ。あの不気味な大穴の周りは、盗賊やら、劣等種が勝手に住み着いているが敢えて放置していると聞いた。
支配種は、『家』を重視する。比較的長命であるが故に、生命が無限でないことを知っているからだ。土地を、家宝を受け継ぎ、生きた証を後世に受け継がんとすることが、彼らの誇りであり、生きる意味だった。そんな彼らが、数百年という現実的なスパンで確定的に破滅を撒き散らすような穴の周りに、腰を据えて住むはずは無かった。
しかし、
一方で、まだ誰も本格的に手を付けていなかったらしいあの広大な土地を手に入れられれば、我が家の名声と実力は、そこらへんの下級貴族を凌ぐものとなるだろう。
この国は戦争中だ。しかし、まだ全面的な衝突にはなっていない。
逆に言えば、いつ、出征が命ぜられるかは分からない。
聞けば、キチガイエルフはワイバーンに乗れないから荘園経営に手を出したと言う。これを叩けば武功も上がるし、良い戦慣れになるだろう。彼は年寄りと、長女を呼び出した。
「スザンナ。お前、年は幾つになる」
毛並みが整い、見た目も麗しい、自慢の娘だ。
「はっ! 18になります!」
「カタリナのことは知っているか?」
「はっ! 同胞を殺戮した畜生と聞いています!」
話が早い。
「カタリナは空を飛べぬ。今回、我々で正義を果たそうと思う」
途端、娘の顔に緊張が満ちた。初陣だ。
「お前の初陣を祝い、本刀を授与する」
白手袋を嵌め、紫の布に包まれた刀
日光を反射して、玉が散る。
家禄が、次代に受け継がれようとしていた。
「父上と先祖の信任に応えるべく、最善をお約束します」
年寄り連中の中から、啜り泣きが聞こえる。
誇りが受け継がれた厳粛な瞬間であった。
****
「お嬢様、おめでとうございます」
一連の行事を終え、部屋に帰ったスザンナは、執事であるマルコの前で、さながらイヤイヤ期の如き癇癪を起こしていた。
「おめでとうもクソも無いわよ! なんで私が大穴に寄らなきゃいけないのよ!」
パパは気でも狂ったのかと思ったが、実に厄介なことに、どうやらそうでは無いらしい。さっき執事に押し付けた紫の布の中身がそれを物語っていた。
「私もロベルタみたいに自由市民になりたかったのに!」
「あなたは長女ですから、諦めて下さいと何度も言ったでしょう」
それで言うと、エルフの癖に自由市民になったカタリナとかいうのに腹が立ってしょうがなかった。それを通り越して、嫌悪感すら抱きつつあった。
家の利益とか、歴史とか、そんなものよりも、今は個人がどれだけ幸せに暮らせるかの方が大切な時代なのに、この国は時代遅れが過ぎる。
武功なんてものに興味は無かった。ただ、毎日自由に、楽しく過ごせればそれで良いのに、とうとう私は『家』の中に組み込まれてしまった。もうおしまいだ。
「年寄りがお呼びですよ」
「……はぁ」
まぁ、そんなことを言ってもしょうがないのは知っている。
本音を出すのは部屋の中だけと決めている。
「しゃーねぇか」
「しゃーねぇです」
パッカパッカと廊下を歩くと、劣等種が床を掃除するために這いつくばっていた。
今までは気にも留めなかったが、今回の
「殿下、お待ちしておりました」
昔は『姫』だったのになぁ。と思いつつ、いわゆる「お誕生日席」につく。
「今回我々は、リカルド、ロメオ、サムエル、ベッペ、リカルド隷下、総勢2500騎でカタリナの首を取らんと驀進します。今回の相手カタリナは自由市民。空は飛べぬという情報ですが、伝令と長槍をそれぞれ1羽雇う予定です」
まだ年は若いが、白いヒゲをたっぷりと蓄えた幹部が『作戦なんてありません』ということを堂々と話す。今から話すのは、誰が一番に突っ込むかとか、誰が旗を掲げるかとか、
「長槍って何だっけ」
瞬間、居合わせた全員からナメられた感じがしたが、どうせ興味はないので関係は無い。疑問点を残さない方が良い。
「
「ああ、そうか」
我々が用いるような
正直、小さい頃から家庭教師に教えてもらった様々な軍議軍略というのに、全く興味が無かった。そんなモン、数が多いほう、脚が早い方が勝つに決まっているでは無いか。
この他に、飯はどうするかとか、荷はどうするかとか、どこで鎧を付けるだとか、そういった話があーだこーだと展開された。なんでも、大穴に近づけば近づく程、そういったモノの調達が難しくなるようだ。
「一番の問題は、大穴がいつ吹き飛ぶか分からんということです。もし吹き飛んだら、もうそのときは駈けて逃げるしかありません」
「心配するな、伝令役には大穴にも注意を払うように言ってある」
大穴には、ある伝承がある。
昔、そこに住んでいたエルフが居た。
我々の方で丁度一代ほどが過ぎた頃、そのエルフの皮膚は赤く爛れ、如何なる治療魔法も、これを癒やすことは出来なかった。
ついには、そのエルフの全身は朽ちた。最後の最後まで、苦しみ抜いたという。
それ以降、大穴の近くには誰も近寄ろうとしなくなったのでした。
夏にする怖い話の定番だったが、本の挿絵や描写がやけに写実的で、妹たちはビビっていた。
「相手は劣等種。幾ら数が居たとしても、我々が突っ込めば霧散するしかあるまい」
話は『どういう隊形を整えてから突っ込むか』というところに移行していた。
ぶっちゃけ暇でしょうがない。私は後ろの方で『監督』していれば良い――正直、居ても居なくても大して変わらないのだ。
パパもこんな感じだったのかな、と一瞬思ったが、きっと積極的に発言して場を引っ掻き回していたんだろうな。
その晩出された葡萄酒、生まれて初めて飲んだお酒は、期待していたような甘く水々しいものでは無く、苦く、酸っぱいものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます