第2話 パパはね、魔女なんだ
その日、私は迎えに来たパパに大人しく連れ戻された。あれ以上お兄ちゃんの家に居るのは耐えられなかった。はっきり言ってちょっと泣きたくなってきた。敗北者、私は敗北者……。
帰ってきた私はパパの書斎のソファーベッドに飛び込んでバタバタと手足を振り回す。。
「最悪ッ!!」
「最悪なのはゆみちゃんじゃないかな?」
パパは眼鏡の位置を直しながら呆れてため息をつく。
ぐうの音も出ないが認める訳にはいかない。
「パパそういうこと言う!? パパ嫌い!」
「まあパパはそんなゆみちゃんのことが好きだけどね」
「なんで!?」
「そうだなあ。ゆみちゃんが可愛いからだろうなあ」
そう言いながらパパは分厚い本に視線を落とす。私のランドセルより重くて、私の頭よりも大きくて、私に読めない分厚い本に。
「けどお兄ちゃんを困らせたらいけないよ。大事な家族なんだから。ゆみちゃん自身を困らせてしまうことにもなるからね」
「でも……悔しい……パパ、私悔しい……! お兄ちゃんに異性として相手にされていない……! パパ……こんな時はどうしたら良いかな……? 娘に助け舟とか出しても良いと……思うなぁ……!」
「そうだね。相手にしていたらパパ流石に困っちゃう」
反応が薄い。
なんか、無性に腹が立ってきた。
「じゃあわざわざ『お兄ちゃんなら今頃彼女さんと幸せな時間を過ごしているから心配要らないよ。放っておくと良い』とか追い打ちかけないでくださる!? パパしか居ないからパパに愚痴りましてよ!」
「はて……君の乙女らしい初恋にはそこそこ気を遣ったつもりだったのだが。もしやこれは何一つ気を遣えていなかったのかな?」
何一つできてない。
私は恐らく真っ昼間から長時間放置されて氷の融けかけた麦茶とか、どうも電話連絡入れてから慌ててシャワー浴びたっぽいカップルとか、目撃してきたんだぞ。浮かれ倒した大学生カップルを相手にすっかり『ふふ、子供が居たらこんな感じかな?』みたいなイチャつきのダシにされたというのに。
「……」
「分かったよ。あまり責めるような表情をしないでくれ。ゆみちゃんを怒らせてしまったのはパパだからね」
「分かればいいです」
「代わりと言ってはなんだが、今年は誕生日プレゼントを奮発しよう。それでこの件は終わりにしようじゃないか」
「じゃあ新しいスクイーズでも買ってもらおうかしら」
「スク……なんだっけそれ」
「あの握りつぶしやすい奴」
「ああ、あのなんか甘い香りがするクッション。大きい練り消しゴムみたいな」
「スクイーズはスクイーズ! 一緒にしないでくださいます? 何も知らないんだから!」
「分かってるさ。きゅっと握って潰せる柔らかな玩具。ポリウレタン製のものをそう呼ぶそうだね。今の小学生の間では大流行、食べ物以外にもデフォルメされた動物タイプのものもあるそうじゃないか。様々なパステルカラーを使ったいわゆる『ゆめかわ』カラーが人気で、ゆみちゃんのお気に入りはナガセエンターティメントの『ゆめかわヒグマ』の直売店限定モデルだ」
パパはカラカラと笑う。やっぱり知ってるんじゃないか。なんなら私よりもよく知っている。これはこれでちょっと気持ち悪いぞ。
「でもね、ゆみちゃん。君の大好きなスクイーズと同じくらい凄いプレゼントがあるんだよ」
机の引き出しの中から透明な小瓶を取り出すと、私に差し出す。
「惚れ薬だ」
「はい? 今なんて?」
「惚れ薬。シュッと一吹きでいい感じになる」
「そんな魔法みたいな都合の良いものが……」
「ゆみちゃん。僕はね、魔女だったんだ」
「マジョ……!? え、えぇ……!?」
パパは男だ。女装でもしてたのか。それとも男になったのか。一時的に女になっていたのか。まあ線が細くて髪も長いしいけそうだけど。ぽかんとしている私に、パパは引き出しの中から写真を差し出す。
「これ、現役時代の写真」
若い頃のパパとママだ。黒いローブを着ている。これ日本なのかな?
森の中で二人が同じ箒に乗り、手をつないでピースしてる。写真の中のパパはどことなく暗く、前髪で目元が隠れている。しかし、女装はしていない。ちょっと安心した。父親の性癖なんて思春期のゆみちゃんにはちょっと重すぎる話ですもの。
「魔女と言っても別にパパが女とかそういうあれではないからね」
「ごめん。でもなんでいきなりそんな話をしたの?」
「魔法のプレゼントだよ」
「私が使えるの?」
「うん。使ってもらわないと困る。
「ちょっと待っていきなり難しい」
「まあ要するにあげるよ。使いたいだろ? 好きに使ってみな」
この人、いきなり何を言っているんだ。本気で魔法とか言っているのか? いやでもこれは、この雰囲気はすごく真面目だ。冗談は言うが私を騙すような嘘を付く人ではない。そこは私だってパパを信じてる。
「ほ、本当に効果あるの?」
パパは質問に答えず立ち上がり、部屋の片隅にあるハムスターのケージへ近寄る。
そして先程まで私に差し出していた小瓶の中の液体をシュッと一吹き。
「ハムスターめっちゃいちゃいちゃしてる」
「あとは水入らずで好き勝手させておくとして」
パパはハムスターのケージを本棚の上から持ってきたタオルケットで覆い隠す。
「このように、この香水はかけた生き物を惚れっぽくしてしまう効果がある」
本当に力はあるらしい。だけどこんな物、手にしたらどうなるか分かったものじゃない。いや、しかし、これを使えばお兄ちゃんが私に振り向いてくれる可能性が発生する。少なくとも、今、私は勝負の土台にすら立っていない。良いのか?
パパは自分の椅子に座って、机の上に透明な小瓶を置く。一吹きで人を狂わせるような魔法の薬が入った小瓶を。
「と、とりあえず借りておくわ。使うかどうかは別として」
「お試し期間というわけだ。いいよ、まあ誰に使っても構わないが。その結果どうなるかはしっかり考えて使うことだ。惚れ薬なんて使っても、本当にお兄ちゃんの心が手に入れられる訳じゃないからね。スクイーズと同じ、玩具みたいなものさ」
「で、でも、これ。使い方次第では……人生とか……変わっちゃう気がする」
「良いところに気づいたね。やっぱり君は向いている。怖くなったら何時でも返せば良いさ」
パパは小瓶を差し出す。私はそれを受け取る。
「ありがとう。お部屋に戻るね。少し使い方を考えてみる」
小瓶を握りしめ、パパの書斎を出て自分のお部屋に向かう。
少し早足だ。怖いか否かで言えば怖い。だが、何故怖いかといえば想像ができるからだ。今こうしている間にもどうすればお兄ちゃんを私のものにできるか、いくつか作戦が浮かんでしまう。
ひょっとしなくても私は天才なのでは?
「待っててね、お兄ちゃん」
負けっぱなしじゃいられない。
負けっぱなしでいたくない。
私を見ろ、お兄ちゃん。
お兄ちゃんが想像だにしないような可能性を、見せてあげるから。
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