第3話 まず正ヒロインのルートを破壊します
「おじゃましま~す!」
「いらっしゃいゆみちゃん!」
作戦上、狙うべき時間は昼間。まずはスマホを使ってお兄ちゃんをマンションから釣り出し、続いてその間にお兄ちゃんのお家に上がり込む。昨今のライノウイルス禍による閉校&連日の家出が常態化していることで、お姉さんは真っ昼間から遊びに来た私を一切疑わない。いや、邪魔だとは思っているかも知れない。けれどそれはこちらも同じだし。お兄ちゃんの彼女だからそう簡単に消すこともできないと思っていたが、逆手にとればこちらは彼氏の従妹。いくら邪魔だからといって、拒絶は難しい。
「お姉ちゃん、お兄ちゃんの彼女さんだもんね。だったら私にとってもお姉ちゃんみたいなものだよ~」
「そうですか? まあ確かに先輩とはずっと一緒に居ますからね。お姉ちゃん……ふふ、実は私末っ子なのでそういうの憧れてたんですよ。もっと呼んでかまいません。ママとかでも良いですよ」
つまりこうなる。だって私は可愛いから。可愛いものに正面から甘えられると人間は薄々下心を感じながらも抵抗できない。最初から断固として抵抗する意思を持っていなければ、あっさりと流されてしまう。しかも、お姉さんは本心から懐かない私に焦れていた。こんな時に都合よく転がり込んできたチャンスを逃すだろうか? いいや、逃さない。必ずや私を手懐けようと猫なで声とお菓子と隙をさらけ出して懐柔にかかる。敵を見誤った女の末路というのは哀れなものだ。
「えへへ……お姉ちゃん、お膝の上に乗っていい?」
「え~? じゃあ特別ですよ?」
膝に乗った直後に惚れ薬をシュッとしてみた。
*
「はぁい。ゆみちゃんミルクの時間でちゅよ~」
哀れなのは私だったらしい。
「どうしてこうなったの……ゆみがなにしたの……?」
「赤ちゃんが喋っちゃ駄目ですよ」
女が低い声で呟く。目が笑っていない。冗談を言っている顔ではない。
「……」
この冗談であってほしい状況のおさらいから始めよう。今私はベビーベッドの上に居て、あのやべー女の監視を受けている。惚れ薬と言って渡されたものは惚れ薬というよりもむしろ普段秘められた欲望を解き放つタイプの薬だった。確かに惚れ薬と言っても間違いではないが、うっかり使ったこっちは大迷惑。先程シュッとかけたら急に目をキラキラさせ始めてあれよあれよという間にあの女の家までテイクアウトだ。こちとら女児だぞ、大人相手に抵抗なんてできるわけがない。一体私が何をした? そう、悪いことだね。
「はいあ~ん」
「あ~ん」
哺乳瓶から飲まされるミルクがやけに美味しい。それにしてもこの女手慣れている。私以外にも何人か拉致監禁しているんじゃないだろうか。というかお兄ちゃんはこんなのと一緒で大丈夫なんだろうか。なんなら倒錯的なプレイにつきあわされている可能性がある。
「ふふ、ゆみちゃん可愛いですね。私、末っ子だったから、こういうのに憧れていたんですよ。私ばっかりお世話されて子供扱いされて蝶よ花よと愛でられてきたから……こういうの一度はやってみたかったんです。友達の弟や妹に構ってあげるのも好きだったんですが、なんでしょうね……邪念みたいなものがあるのか、逃げられちゃってばかりで。なのに私ったら頼りになる先輩を好きになっちゃうし、先輩も私のこと大好きだし――」
この女の欲望のままにお世話される人間は溜まったものではないだろう。お兄ちゃんを選んで正解だと思うが率直に言って死ね変態。
「――これはもう誰かのお世話を焼くとかこれしばらく無理なんじゃないかなって思ってたんですけど、そんな時にゆみちゃんが現れたんです。嬉しかったなあ。その上あんなに私のこと大好きになってくれるんですもの。あ、大丈夫ですよ、ちゃんとお家に帰してあげるからもう少しだけ付き合ってください。今だけちょっと妹じゃなくて赤ちゃんになってほしいなってだけで……」
「う、うぅ……!」
「うー? そう、それですよ。なんとなく意思の芽生えを感じる喃語。とても良いと思います。私大好きです」
さてはこの女、自分が嫌われる想像ができないタイプか? やるじゃん。でも犯罪だぞ?
「あ、おトイレとかも心配しなくていいですよ。私、赤ちゃんごっこ本格派なので……服が汚れたら買ってあげますからね」
最悪だ。
「あの、お姉ちゃ――」
女は両腕を掴み、顔を近づけて、猫なで声を上げる。
「そうだ! 着替えもあるんですよ~! これはごっこ遊びなので気合を入れなくちゃいけないでしょ~? 大丈夫ですよ、あくまで遊びですから! 時間が来たらちゃんと元通りだからね……ね?」
ヒューッ! キレの良い狂人一丁! スマホのカメラ向けながらの台詞とは思えないよお姉ちゃんだ~い好き! 泣いちゃう!
「や、やめ……てぇ……」
「待っていてくださいね、ゆみちゃん。今丁度良いサイズの服を隣のお部屋から持ってきますから!」
「それ、何時から用意してたの!?」
るんるんと口で言いながら部屋から出ていった直後、お姉さんの携帯に電話が入る。お姉さんが慌てた様子で部屋から離れていく。どうやら私の悪運は尽きていなかったようだ。
*
三分後。ベビーベッドから聞き耳を立てて様子を伺い続けているがお姉さんは帰ってこない。
「い、今だ……。今しかない、逃げ出さないと……! 私、人間として何かこう大切なものを失う……尊厳とか!」
ともかく今、遠くでお姉さんが誰かと通話したままで帰ってこない。
幸いにも荷物は何一つ奪われていない。逃げ出すならば今しかない。
「あ、い、う、え……喋れる」
一旦撤退して仕切り直そう。惚れ薬の性質を理解せずに使ってしまったのが私の失敗。こういった性質の薬ならば使うべきはお姉さんじゃない。最初からお兄ちゃんに使うべきだった。思い出してみれば、お兄ちゃんは私に誘惑された時にドギマギしていた。つまり、私に対して少なからず思うところがあるからこうなった。
\まあ私は美人だからな/
あと五年もすればお兄ちゃんも今以上にグラっと来るに違いない。そう五年後、お兄ちゃんの隣に居るのはあの赤ちゃん怪人ではなく私だ。その為に、今は逃げる。
「スマホよし、服よし」
ベッドから飛び出して、部屋の中を確認。お兄ちゃんの写真が飾ってあったのでこれは没収だ。あのヤバ女の視線にお兄ちゃんの写真が晒されているのは耐えられない。それから首を伸ばしてあの女が廊下に居ないことを確認する。
「廊下よし!」
全力疾走だ。マンションの部屋の外へと逃げ出した。
――次の瞬間。
強い力が背後から肩を握りしめる。自分の名前を呼ぶ女の声が聞こえる。見つかった。
抵抗できない力で私は持ち上げられて、すぐ近くにあったダンボールの陰に押し込まれる。思わず悲鳴をあげそうになってしまったところで、聞き覚えのある声が耳の中に飛び込む。
「あ、先輩! ゆみちゃん見ませんでした?」
「ゆみ?」
ダンボールの陰から頭上を見上げる。
「さっき走っているところを見たなあ。なんか家の方に向けて急いでいたみたいだけど……」
お兄ちゃん! ゆみを助けに来てくれたのね!
「あらやだ……ゆみちゃんったら忘れ物しちゃったみたいなんです。先輩、私ちょっと追いかけてきますね。いけないわゆみちゃんったらいけないわ」
「それは大変だ。今なら少し追いかければ見つかる筈だから……俺の車使ってよ」
慣れた仕草で車の鍵を渡すお兄ちゃん。何度だ。一体何度この女に運転させたんだ。悔しい……けどこれで助かった! あの女の足音がゆっくりと遠のいていく。
「……出てきていいぞ、ゆみ」
お兄ちゃん、愛している。
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