Ⅰ 帰ってくる西瓜

 その頃、僕は住んでいた下宿の近くにある青果店でアルバイトをしていた。


 その青果店というのはちょっと変わった店で……いや、見た目も売ってるものもごくごく普通の八百屋なのであるが、オーナーはなぜかユーゴスラビア人という、その下町情緒漂う八百屋の店構えに相反して、ぢつはいわゆる外資系のお店だったりした。


 とはいえ、そこで働いている間、僕はそのオーナーという人物に一度も会ったことがない。


 店は不在のオーナーになり代わり、店長代理を任されたという背の曲がった怪しげな日本人の中年男が仕切っていた。


 仕切るといっても、彼はお金の管理と仕入れをする以外は昼間から店の奥でごろごろとしているだけで、開店中の店番は僕や他のバイト達がすべてやっていたのだが……。


 ただ、一度だけオーナーらしき人物の人影を見かけたことがある。


 あれは何かの用事で、深夜、店の前を通りかかった時のことだ。となりの建物との狭い隙間にある裏口から、それらしきスーツ姿の人物が店に入っていくのを見かけたのである。


 となりとの隙間は、街灯の明かりもほとんど届かぬ真っ暗闇であったが、その日本人離れした大柄のシルエットからして、たぶん、その男性がユーゴスラビア人のオーナーだったのだと思う。


 ある時、店長代理の男にオーナーが店に来ることはないのか? と聞いてみたところ、夜にだけ、たまに訪れることがあると言っていたから、おそらくは間違いないだろう。


 さて、そんな謎めいたオーナーのことはともかくとして、ギラギラと真夏の太陽が照りつける中、庇が涼しげな影を作る青果店の軒先には、大きくて瑞々しいスイカがいくつも並んでいた。


 僕は、その緑に黒い縞模様の球体が並ぶ棚の方へと、なんとはなしについつい視線を向けてしまう。


 表現がよくないが、なんだか刑場に並べられた晒し首のようにも見える人頭大のスイカの一番端に、一際大きなものが一つ、その外見とは裏腹にあまり人目につかないようひっそりと置かれている。


 大きいし、もう充分に熟れて食べ頃だと思うのだが、僕はそれをあまりお客さんに薦めようとは思わない。


 と言っても、別に僕が意地悪なわけでも、それを後で自分が食べようなどと姑息なことを考えているわけでもない……。


 そのスイカは、どうにも変なのだ。


 初めは僕も「これはいいスイカだ」と、買いに来るお客さんには積極的に薦めていた。


 無論、お客さんの方にしても、その持ち帰るのに苦労するであろう大きさと重さを特に気にする風もなく、むしろ、たいそう喜んで買ってゆく……。


 いや、今だって薦めれば、きっとお客さんはあのスイカを迷わず選んで買ってゆくだろう。


 ところがである。


 あのスイカは……どうやら戻ってくるらしいのだ。


 いや、〝戻ってくる〟というのは返品されるとかそういう意味じゃなく、どうもスイカ自身が独りでに……。


 こんなことを言うと、僕の頭がどうかしているように思われるかもしれないが、ここ半月ほどの経験からして、どうにもそうとしか考えられない……。


 あのスイカは何度売っても、次の日の朝には必ず店に戻ってきているのである。


 そりゃあ、僕だって最初からそんなバカなこと信じていたわけではない。


 アレが店に仕入れられ、そして、その日のうちに初めて売れたその翌日、午後から店に出た僕は、その店先である奇妙な既視感デジャヴュに囚われた。


「あれ? これ確か昨日、売ったはずじゃ……」


 僕は、他のものよりも一際大きなそのスイカを見つめ、思わず疑問を口にした。


 それはまるで何事もなかったかのように、平然と、昨日置いてあったのとまったく同じ場所に存在していた。


 その大きさや黒い筋模様のパターンからして、どう見てもこれはあの一つ抜きん出て大きかったスイカである。


 しかし、そのスイカは確かに昨日、僕自身がお客さんに売ったはずなのだ。ならば、こんな所にそのスイカがあるはずがない。


 僕ははじめ、もしかしたら腐りでもしていて返品されたのではないか? と、そう考えた。


 しかし、その考えはすぐに間違いであると気づく。そんな傷物で返品されたならば、余計、こんな店先に商品として出されているわけがない。


 では、なぜ、ここにあるのか?


 僕は考える……。


 だが、その答えはまるで見当もつかなかった。


 どう考えてみても、昨日売ったものが店に置いてあるわけがない。


 とすると、このスイカは昨日売ったものとは別物なのかもしれない。


 大きさや模様はそっくりでも、新しく仕入れられたものなのではないだろうか?


 いや、むしろそう考える方が明らかに常識的である。


「あのう……ここにある大きなスイカは今朝仕入れたんですか?」


 僕は店の奥の間を覗き込み、おそるおそる店長代理の男に尋ねた。


「んん? ……ああ、そいつか……そうだが、それが何かしたか?」


 その背中の曲がった怪しげな男は、畳の上にランニングシャツ姿で寝転んで、気だるそうに扇風機の風に当たりながら無愛想に答える。


「あ、いえ、別に何も……」


 さすがに「昨日売ったスイカに見える」などと言うわけにもいかず、僕はそう返すと苦笑いを浮かべて誤魔化した。


 ともかくも、仕入れた本人が言うのだから間違いはない。やはりこのスイカは昨日あったものとは似て非なるものなのだろう。


 売ったはずのスイカが店に戻ってるなんて、この暑さにやられたのか、僕の頭もどうかしているな……。


 と、その時はそれで納得したのであるが。


 それから数日後、再びあのスイカは好評の内に売れ、そして、その翌日、またしても店の棚に戻っていたのだった。


「………………」


 僕は、スイカの丸い巨体を前にして唖然とした。


 しかし、前回のこともあるので、また同じようなスイカが仕入れられたのだろうとすぐに思い直し、その日は忙しく仕事をする内にそんなことも忘れてしまった。


 スイカは個々で大きさや形、黒筋のパターンが微妙に違うとはいえ、所詮は皆、同じ球体なのだ。


 似ているものがあったとしてもおかしいことはない……というか、それが当然だろう。


 そう。そんなことがあった二回目くらいまでは、僕もそう考えて納得していたのだ。


 ……だが、そうした既視感デジャヴュは、その後も時を置かずして幾度となく続いたのである。




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