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目覚めると毛布がかかっていて、明かりがついていて、室温もすこし暖かくなっていました。
起きたですか。すこし離れたダイニングキッチンでヒトミちゃんはなにかつくっていました。窓のそとは暗くなっていました。悪いですが、いま手が離せないので、雨戸を閉めてくれるですか。
変な夢を見たよ。ソファから起き上がって、少しだけ結露した窓を開けながら、わたしはヒトミちゃんにいいました。遠くの山を見ていたら、変なかっこうの貴族さんがやってきて、ふたりでいっしょに山をながめるの。そうしたら山が生き返るんだよ。
ヒトミちゃんは眉をくもらせて、不満げな目でわたしを見ました。ヒカリ、とわたしの名前を呼びます。夢のなかであっても、ほかの人間に近づくのはやめておくです、危険です。
貴族さんでも? 冗談めかしてわたしはたずねます。ヒトミちゃんはため息をついて、おなべをかき回しながらつぶやくようにいいました。貴族なんて、もういないですよ。
わたしは戸袋から雨戸を引っ張りだします。完全に閉めきるまえに、暗くなったそとの様子をちょっとだけ眺めてみます。灰がまた、上空からひらひらと降ってきていました。暗闇のそこに、灰の白っぽさがぽうっと浮き出ています。わたしは雨戸を閉めました。
夕食はシチューでした。乾パンもついています。美味しいです。でもパイン缶は出ませんでした。食べ終わるとヒトミちゃんがサプリメントを差し出します。組み合わせはヒトミちゃんが考えてくれるので、栄養バランスは完璧です。おかげで身長も伸びます。
お風呂も沸いているですよ。タオルと着替えをもってきて、ヒトミちゃんはわたしに手渡しました。いっしょにはいろうよとわたしが提案しても、馬鹿いってないでさっさと浴びてくるです、とヒトミちゃんは相手にしてくれません。しかたなくひとりで脱衣所にはいって、服を脱ぎます。洗面台の鏡に自分のすがたが映ります。ふたつの、ちいさな瞳の、みすぼらしい姿。いつものことながら、わたしはすごくがっかりします。わたしもヒトミちゃんみたいにかわいかったらよかったのに。心のそこから、真剣に、そう思います。
お風呂からあがるとヒトミちゃんはリビングの壁掛けモニターと戦っていました。画面にはぼんやり「起動中」の表示が出ています。ヒトミちゃんはおおきな瞳をわたしのほうへ向けました。ちゃんと衛生的になったですね。わたしは得意げに笑みをつくって、いい匂いになったよ、といいました。ヒトミちゃんはすこしだけ頭を揺らして、また壁掛けモニタへと視線を戻しました。
復活した画面をつかってわたしたちは「マリオカート」で対戦しました。もうおなじみのゲームです。ヒトミちゃんは相変わらず正確無比な操作でぐんぐんと差を開いて、ほとんどのレースで圧勝します。無慈悲です。でもときどき、コンピューター操作のほかのキャラクターが引き当てたアイテムが連続してヒトミちゃんのカートを足どめしたりすると、わたしが勝ちを拾うこともあります。まあ、運の要素もあるですからね。ヒトミちゃんは指をほぐしながら負け惜しみをいいます。あれれ、悔しがってるね? わたしはここぞとばかりに煽り散らかしてやるのですが、そういうときはだいたい、次のレースでボロ負けするのがおちです。ままならない。
きっかり一時間遊んだあとで、そろそろ就寝の時間ですとヒトミちゃんはいいました。きちんと睡眠をとるですよ、明日からは「がっこう」も始まるですからね。寝室にはベッドがふたつあります。ずっと使われてなくて、どこかよそよそしい気配があって、でもふとんは、まだ十分やわらかかったです。ヒトミちゃんはベッドに腰をおろして静かに息をつくと、まだ寝ちゃダメですよ、と注意深く呼びかけます。大丈夫だよ。わたしは壁にもたれかかって返事をします。ヒトミちゃんはちいさくうなずくと、足もとあたりに視線を落として、それからゆっくりとおおきな瞳を閉じていきます。息を吐きます。ふいに電力供給が遮断されて、空調と明かりがまばたきの間に落ちます。いいぃぃぃん、と機械の残響がします。
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