第31話 松本隆太が選ばれたわけ
お茶の間に帰ってくると、トレイに湯飲みを乗せた獣座衛門が待っていた。
ごとりと、器用に触手を使ってちゃぶ台に湯飲みを置く。
「お疲れさん。ずいぶんと顔色がよくなったように見えるな。茶を飲め」
「……ああ、いろいろあったけど、いままでで一番、心が晴れやかなんだ」
「何があったか知らないが、気分がよくなってよかった」
「うそつけよ」
俺は、ぼそりといった。お茶を一口飲んだ。不意に獣座衛門が話し出す。
「私が地球で何をしてたのか……」
「?」
「研究のためといったが、半分本当で半分は嘘になる」
「あのフィギアのこと……」
「そうだ。俺は地球をさまよい、ひとりの日本人と出会った。それはある意味じゃ、俺にとってひとつの転機だった。彼がいなければリュウタと遭うこともなかった」
「そんな大げさな……」
「そうじゃない。俺が組織に捕まったのは地球からの脱出に出遅れたからなんだ。滞在期日をオーバーしたため宇宙船のエネルギーが足りなかった。地球近郊の小惑星に墜落したのを地球の探査機に見つかって回収されてしまったんだ」
「え……?」
「期日どおりに地球を発てたならこんな羽目にはならなかった。俺はとんだ間抜けだった」
「どうして期日を? まさか忘れてたんじゃないだろ?」
「……病気を患ってしまったんだ、彼がな」
「……?」
「彼は俺を匿って以降、日に日に衰弱していたようだ。俺はそのことに気づかずに、ずっと体調の変化に気づくことができなかった。もし同じ地球人だったならもっと敏感に察知できたろうにな……皮肉なことに、その時一番近いところにいたのは宇宙人だった」
獣座衛門は続けていう。
「地球の文化、日本のことを教えてくれたのは全部彼だった。俺は彼を死なせたくはない。しかし、しきりに彼はいうんだ。俺のことは放っておけと。苦しみを堪えているのか安らかな顔だ。これが日本の謙遜という文化なのだろう? しかし俺は嫌だった。恩人の命を救わなければ俺の気が済まなかったのだ。わかるかリュウタ?」
「ああ、わかるよ」
「情けないことに、いくら科学の発展した宇宙文明といえど、専門家でもない俺が瞬時に彼の病気を突き止めることは不可能だった。俺は試行錯誤した。見かねた様子の彼は、その折に本当のことを教えてくれた。この奇妙な状況にだ。彼には息子と孫がいた。しかし、彼の暮らす土地は田舎という、人類にとっては快適ではない環境だったようだ。息子は孫を連れて都会に出て行ってしまった。彼が俺を匿ってくれた理由。それはそんな寂しさに似た感情があったかららしい」
それって……。
「なぜ今更になってそんなことを? 私は未だに理解できないのだが、いよいよ期日に差し迫った時には決断に迫られた。故郷への帰還を捨てるか、命の恩人を捨てるのかをな」
「どうしたんだ?」
「俺は、息子の連絡先を突き止めて彼に成りすまし電報を打った。それが、その時、俺のできる唯一のこと。そして、宇宙に発った。それ以降、男のことはわからない」
「その男って?」
「松本幸太郎という男だ」
「……なぁ、獣座衛門。お前が病気だと思ってたそれって、たぶん病気じゃないんだ」
「……なんだと?」
「地球には、いや人間は老衰ってものがある。この地上でもっとも安らかで苦痛の伴わない死に方なんだよ」
「まさか……」
「これは俺の推測だけど、君達宇宙では延命治療のテクノロジーが高度に発達してて、老衰って概念がもう存在しないんじゃないか? それが、ある意味では幸福な魂のことにも繋がってくるようにも思うんだ」
獣座衛門は意表を衝かれたように考え込む。俺はいう。
「その証拠に、……松本幸太郎は老衰の診断が下ってる。俺のじいさんだ」
「……」
獣座衛門は窓の方を見た。地球を見てるように思えた。じっとして、しばらくしていう。
「幸太郎は、もう随分前に死んでたんだな……」
これはたぶん、偶然の産物なんかじゃない。だって資料には書いてあった。――私の報告を見たNSIAのスタッフは今、血まなこになってその人物を当たっているだろう――NSIAはとうとう探し当てたんだ。その正体が俺だった。死んだ松本幸太郎の代わりに、その血を継ぐ俺をオペレーターに仕立て上げたのにはそうした意図があった。だからこそ俺はNSIAにとっては最後の切り札だった。もしかしたら、心を読む力を持った獣座衛門も、そのことを薄々感じ取っていたのかもしれない。
「……!」獣座衛門の丸い大きな目玉から僅かに涙が滲む。まるで泣いてるかのようだ。
「このロボットハウスに閉じ込められて記憶を取り戻した。それからずっとそれだけが気がかりだった。お前と会えて本当によかった」「……」
俺は複雑な心境だった。死は永遠の別れだ。それが獣座衛門にとって良いものになったんだとしたら、天国のじいちゃんもうかばれるような気がしたんだ。
* * *
その時、俺はウォーキングクロゼットにいた。
資料を読んでいた。やっぱりこの資料にはまだ俺の知らなきゃならないことが多く残されている。オペレーター計画の全貌。ロボットハウスのこと。そして小野田獣座衛門のこと。俺は覚悟を決めて、《禁止領域》の項目のページをめくった。
「……!」
『――●●●=●●歳=●●●●●――宇宙人の目的はオペレーターの命を吸うことではないのか? もっといえば、NSIAはそのことを知っていた。はるか昔の宇宙飛行士の大事故がオペレーター計画を困難にしたものとされるのが、我々がNSIAから伝え聞かされている真実なのだ。しかし、それはある種のミスリードだった。組織にとってパイロットはオペレータ以上に代わりの利かない人材。その証拠に検体Aはどう見ても人間の死体だった。損壊が激しくどんな見た目だったのかも不明だ。しかしカムフラージュにしか思えない。公には人によく似た動物の死体とされている。彼らの食料とはすなわち人間の魂なのだ』
『――中国人=●●歳=●●●●●――管制室で何が行われているのか私は知ってしまった。オペレーター計画とは名ばかりで、人間と相対したときの宇宙人の反応を見ている。つまり俺達が本当の意味で必要とされている理由はここに立っているだけで達成されている。宇宙人から宇宙の真理を聞きだす任務は、俺達を納得させるためのお飾りでしかなかった。なぜ俺がそれを知ってるのか? ジェイコブだ。ジェイコブは俺を宇宙に搬送したパイロットだけど、管制室とも内通してる。ジェイコブは知りたがってる。本当のことを。だから俺の知りたい管制室の情報と引き換えに、彼には本当のことを話してる。ウィンウィンの関係性にある。俺は祖国の機関に情報を持ち帰る、いわば二重スパイの状況にある。マクシミリアン最高官はどう思ってるのか。それだけが気がかりなんだ』
『――●●●=●●歳=●●●●●――宇宙人の感情に騙されてはいけない。あいつは嘘をつく。また人間の感覚で感情を読み解こうとすると痛い目を見る。連中は、悲しみを感じたときに笑い、強い怒りに反応し涙を流す。それも怖気立つほどの強い怒りだ。おかげで俺のこの有様だ。まんまと騙された。もう取り返しがつかない。宇宙人の涙を見てはならない』
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