第17話 紛れ込む男

 その時、俺はサラに連絡していた。


「やあサラ、久しぶりだな」

「リュウタ。何かあったの?」

「何かってわけじゃないけど……」

「そうね。連絡してって言ったのは私の方だもの。おめでとうリュウタ。貴方なら宇宙人と仲良くできると思ってた」

「……こんな危険な事だって教えてもらわなかった」

「まさか、私たちのことを疑ってるの?」

「ああ……特にジェイコブは。正直どうしたらいいかわからないんだ」

「大丈夫よリュウタ。この通信はジェイコブは聞いていないから」

「本当に?」

「わかるわ。確かにジェイコブは変わり者だもの。正直バディとして命運を託す人間としては信用ならないわよね……」

「……?」

「そういうことよ、リュウタ。彼はああ見えて繊細な人なのよ。もし彼に通信が繋がってるなら私もこんな陰口は間違っても言わないわ」

「それって?」

「私を信用してってこと。話してみて」

「……実は」


 俺は、自分から連絡したものの事実を話すかどうか悩んでいた。獣座衛門が地球に来た目的。そして数学や地球生物のルーツの話。下手なことをいって、この優しい女性に心配をかけたくなかった。いずれも混乱を煽ることは容易に想像できた。だから俺はいう。


「なあサラ、今日は何月何日なんだ?」

「え? 8月8日だけど?」

「そっか……」


 数学の話を聞いた矢先、その際たるものは暦や時計だ。俺達の関わるものの中でももっとも身近な数字。これも何かが間違っていて、人はその差異には無自覚なのか。


「どうしたの……?」

「え……いや、ははは、なんでかな。ちょっと気になったんだ」

「教えたくないのね。構わないわ。ただよく考えておいて。貴方の不安を私たちも共有できるってこと。そして、そうしないことには私たちは貴方の悩みを理解してあげられないってことも」

「ああ……」

「オーケー。ねぇリュウタ。話は変わるけど貴方のことをダニエルは自分のことのように喜んでいたわ」

「ダニエルが?」

「宇宙に旅立った友人がやってくれたんだって。そのことだけは貴方に伝えてくれって」

「……うん。ありがとう」俺は通話を切った。「やってくれた……か」


 そんなたいしたことをしたつもりはないけど。けれど昨日は、俺が実際に話して伝えた何気ない情報を元にしてジェイコブは新たなテクノロジーの研究が発足したっていう。決してメジャーな学問じゃないらしいけど。それってすごいことだと思う。ある意味じゃ歴史に名を刻む偉業だ。俺の託されている仕事とはつまりはそう言う事なのかもしれない。なんて、今更になって考えていた。



 * * *



「ステイマン?」サラに続けて、ステイマンにも連絡していた。「やあ、二日ぶりだな」

「今どこにいるんだ?」

「マイアミのビーチさ。君を宇宙に送り出してからバカンス休暇を貰ったんだ」


 俺を懐柔したらお役ごめんってワケか。今の不安定な精神状態だと、そう受け取っても無理なかった。確かに通信機の向こうからは波の音と人ごみの歓声が聞こえてくる。


「リュウタ、あのことがわかったぞ」と、ステイマンはいった。「ほんとうに?」

「ああ、ジェイク・マースティンという男のことだが……少し言葉に語弊がある。正確にいえば足取りがまったくわからなかった……マースティンは確かにロボットハウスから地球に帰還したが、以降の足取りが一切つかめない。俺の人脈を当たったが本当に何もわからなかった」

「じゃあ……わかったことにはならないだろ?」

「NSIAは彼に大金を支払ってる。自分から身を隠したのかも」

「どういうことだよ?」

「いや……」

「ステイマン?」


 ステイマンはしばらく黙り込んだ。まるで何かを逡巡しているかのよう。


「なあリュウタ。マースティンはリュウタのようなオペレーターに詮索されることを嫌がったんだ。だから行方を晦ました。君にも理解できない話じゃないだろ?」


 そういうことだったんだ。だからジェイコブもおいそれと俺には教えなかった。もう一人の男のマイク・ジェフマンは系列組織の関係者だ。ジェイコブは彼のことを本当は知っていたのかもしれない。


「ありがとうステイマン……」

「なんてことないさ」と、いった。通信を切った。だけど、俺は内心では心穏やかじゃない。むしろマースティンに対する詮索の意識がよりいっそう強くなるばかりだった。


 その時、ほとんど間をおかずに再び通信機が振動する。


「……!」


 びくりと体が反応する。ここ数日ロボットハウスで暮らしてるけど管制室の方から連絡してくるのは初日の一回きりだった。それ以降は常に俺の方からタイミングを見計らって連絡するようにしている。その時ふと脳裏に過ぎったのはステイマンの顔だった。


「……ステイマン?」


 何かを言いそびれたのか。そうだ、きっとステイマンは俺に何か伝えるべきか逡巡してたんだ。決心がついた、だからまた、改めて電話してきたんだとしたら。俺は急いで受話器を取り上げた。それから声をかけた。


「ステイマン!」


 受話器越しからの応答はない。しばらくして、聞き取りにくい英語の声が聞こえてくる。


「な……なんだ?」


 英語でごにょごにょと声が聞こえる。ザワザワと雑音も聞こえてくる。どこかで聞き覚えがある。なんだろう。声は段々と聞き取れる音量になった。俺はゾッとした。恐ろしくなった。通信機の向こうはジェイコブではない何者かに繋がっているように思えた。


「……!」


 その時に、フッと思い出したんだ。ざわつく雑音の正体。ステイマンと外出したときのことだ。チャールズロペス邸の帰り道にワシントンDCに寄り道した。ナショナルモールのそばの混雑した町の人ごみのそれによく似ていたんだ。やっぱり受話器の先に繋がっているのはケネディ宇宙センターの管制塔じゃない。俺は声を潜めて勇気を振り絞っていう。


「だ……誰だっ」


 返答が無い。緊張の糸が張り詰める。しばらく沈黙。上ずったような声が返ってくる。


「ジャパニーズ?」

「……!」


 ゾッとして息を呑む。俺は震える声でいう。


「う……うん?」


 そうしたら、今度はごそごそと布が擦れるような音がして、ボンボンと受話器が衝突するような音がした。うるさい音が耳元で断続的に続いた。それから相手はいう。


「……申し送れた、私はブライアンという」

「ブライアン?」


 男は焦ったような口調だった。俺が聞き返す前に矢継ぎ早に話を続ける。


「そうだ。いいか、君は何と言う名前だ?」

「……!」

「ああわかった! いい、いいからそのまま。確かにそうだな。人に名前を聞いておいて答えないのはルール違反だな。私はCIAの諜報員をしている―――ブライアン・ウィリアムズという……といっても、それを証明するすべがないか……ああ、今から連絡する電話番号に問い合わせてみてくれ……いち、いち、さん――――」

「ちょっと待って! そんなに矢継ぎ早に言われてもわからないよっ」


 ブライアンは電話番号を言い終わると、悲鳴をあげるように悲痛な声で俺にいう。


「私の身元を証明したいんだ! そこにはファックスはある? あってもダメだ! 監視されてる! 君が地球と交信できる一切合切の情報機器も同じだ。つまり無断でこの回線を乗っ取っている私が同時に身分を証明することは不可能と言う事だ! わかったか?」

「ちょ……ちょっと待ってくれよ! 無断で回線を乗っ取ってだって? あんたまさか、それ正気の沙汰じゃないぜ!?」

「待て……落ち着いて聞いてくれ……だから私はそれをいっている。確かに私がやっていることは君からしたら非常識に思えるだろうな。だけど安心してくれ。そのために私は自分の身元を証明しようとしている。いったろう? 私は米国の諜報員だ。その私が国益を害するようなことをしでかすと思うかい? 絶対にありえないよ!」


 まるでまくし立てるようにいうブライアン。俺は受話器の向こうでジェスチャーを交えて必死の形相で身の潔白を主張するブライアンの姿が脳裏に過ぎった。俺はいう。


「どういうことなんだよ?」

「ああ、よかった。今から言う事は君の心にとどめておいてくれ。決してそれが君にとって不利になることはない。あったとしても思い過ごしだと決め付けてすっかり忘れてしまえば問題のないことだ。待て……最初に教えてくれ、君の名前は?」

「名前?」

「ああそうだ。ファーストネームだ。それくらいいいだろう?」


 ブライアンと言うCIAを名乗る外人は流暢な日本語を話した。けれど相変わらず口調は切迫して焦っている。俺は言い渋ったけれど、意を決して話して伝えた。そうしたらブライアンはいう。


「リュウタ……良い名前だ。リュウタ。心して聞いてほしい。まず……これは衝撃的だろうが……ああ、どうしよう…………神よ……」


 突然ブライアンが祈るように逡巡し始めた。不思議な感覚だった。信仰心の深い外国人はこういうものなんだろうか。俺は思わず息を飲む。けれど、しばらくしていう。


「まず……君はNSIAという組織に連れ添って宇宙へと旅立ったはずだ。しかしNSIAという組織はここ米国には存在しない。架空の組織だ」

「…………は?」


 俺は。意味が理解できなかった。頭が真っ白になる。そうしたらブライアンはまたあの切羽詰るような勢いで、矢継ぎ早にまくし立てた。


「いい。大丈夫だリュウタ! ゆっくりと状況を飲み込んでいけば良い。君は何も思い悩む必要は無い!」

「うそ……だろ?」

「残念だが、私の今言った言葉の中には嘘が紛れ込む余地はない。真実しかないんだ。君は時間をかけてもその現実を受け入れなければならない」

「でも……俺はケネディ宇宙センターから宇宙船に乗ってロボットハウスに来たんだぞ!?」


 いよいよ、俺は自分の記憶さえも信用できなくなる。ブライアンは冷静に答えた。


「そうだ……それは何も間違っていない。私の言葉と君の言い分は何も矛盾していないわけだ。わかる?」

「意味がわからないよ! どういうことなんだ!?」

「……簡単に言おう。その、君を宇宙に連れ去った組織は、何らかの方法で宇宙の知的生命体との交流手段を持った」

「ど……どういうことです?」

「違法テクノロジーと、勝手に宇宙人との交流を図った。これは人類史上に類を見ない恐るべき犯罪だ」

「! ……どうすれば?」

「……君の身の保身の意味もある。表面上はそこの司令部の言う事を良く聞くように。いいか? 間違っても組織を疑ったりしてはならない。なぜなら宇宙は第三の密室だ。君と宇宙人は人質なんだ。他の何者も手の届かない密室に監禁されている。今は大人しく相手の言う事を聞くんだ。いいね? さもなくば君の身が危ない」


 ドサッ……と、受話器の向こうから聞こえてきた。俺は驚いてびくりと飛び上がる。ブライアンが静かな声でいう。


「また連絡する……少し野暮用ができてしまったんだ」


 ブツッと、通話が途絶えた。

 俺は、しばらく放心状態になってその場から動き出せなかったんだ。

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