第2話 心と心の平行線
身長156cm、体重46kgと体格は平均的。勉学に関して言えば、偏差値50と平均値。家族構成は父、母、姉、そして、リアと一般的。
現在、恋人はいないものの、友人は多くも少なくもなく、クラスで目立つタイプではなかった。
どこまでいっても、
それが彼女の自己評価だった。
ただ唯一、彼女が他の人間とは違う箇所がある。
それは不運にも幸運であるという性質だ。
例を挙げるとしよう。
たまたま、リアが朝寝坊した冬の朝があった。間違いなく、遅刻する時間に起きた不運にも関わらず、リアは遅刻にならなかった。その日、大雪が降って休校になっていた幸運が、彼女が遅刻にならなかった理由だ。
リアには一人の姉がいた。その姉は大変、優秀であり、国内随一の難関大学へ進学していた。不運であるならば、リアは優秀な姉と比べられ、余りにも普通である自分との差にコンプレックスを抱いていただろう。だが、幸運にもリアの両親、及びに姉は普通である彼女に惜しみない愛を注いでいた。そのお陰かリアはコンプレックスに悩まされることはなく、伸び伸びと過ごすことができていた。
そのように、一見、不幸な状況の中でも幸運に恵まれるという一種の奇跡とも呼べるのがリアの性質だ。
そして、今もまた彼女は不運にも幸運に恵まれている。
「……本当なのか?」
「もちろんです」
リアの宣言、『この世界“アピスク・エシ”を救います』という言葉を聞いた黒衣の青年は確認の言葉を口にする。聞き間違いようのないことを理解していながらも、彼はリアに問い直す。
「それは、本当に君の意思なのか? ……理由は? 理由はあるのか?」
「苦しんでいる人がいるなら、手を差し伸べるべきだからです。それに、アピスク・エシに召喚されてから私は今までの私じゃありません。私は強くなりました。なら、苦しんでいる人を救えます」
「その過程で死ぬかもしれない。それでも他人を救いたいのか?」
「私は死にません。なぜならば、私は“真”の勇者なのですから! 死ぬわけがないのです。お約束なのです!」
そう言ってリアは胸を張る。
リアの自信の源は彼女が慣れ親しんでいたら小説や漫画、ゲームなどの多くの物語で勇者は世界を救う者であると描写されていたからに他ならない。『勇者は強い』という意識がリアの自信の根底にあるのだろう。
世界を救うに足る大儀になっていないリアの答えだったが、その純真さがクロノの心に響いたのかもしれない。
「先ほどのアオノとの遣り取りで見苦しい所を見せた。すまない」
「え? いえ、えっと……」
今までの研ぎ澄まされた剣のような雰囲気を一瞬にして霧散させたクロノにリアは目を白黒させる。
異世界に突然、召喚されたという不運の中でも、同郷の人間とすぐに会えたという幸運。特に、召喚直後に出会ったアオノは彼女に親愛を示した。
しかし、そのアオノと同じ勇者と呼ばれる者の一人、更に、自分と同郷の人間であり、そして、他の者から話は聞いていたものの会うのは初めてであるクロノに対してリアは良い印象を覚えることができなかった。
この世界に召喚されて以降、世話になっていたアオノと殺気を交えて話すクロノに警戒心を抱いていたというのが大きな理由だ。
「……莉愛」
そのクロノが頭を下げた。その上、今し方、掛けられた声は今までの冷たいものとは全く違い、優しいものになっている。
「あ、はい! なんですか?」
「……君はどこまで知っている?」
ゆったりとした口調でクロノはリアに尋ねた。それに驚き、リアは慌ててクロノの顔を正面から見つめる。
クロノの表情は優し気で、懐かし気で、そして、悲しみを堪えているようだった。
「莉愛?」
複雑な感情に彩られる端正なクロノの顔に見惚れていたリアだったが、クロノの質問にまだ答えていないことに気が付き、意識を戻す。
とは言え、クロノが行った質問の答えを彼女は持ち合わせていなかった。
「どこまで知っているかって聞かれても……」
正直な所、リアはこの世界について知っていることは皆無である。
ある日、突然にアピスク・エシに召喚された後、“真”の勇者となって世界を救って欲しいとクオリアス王国の王女から頼まれ、自分が召喚される二年前に召喚された同郷の勇者たちから戦闘技術の手ほどきを受けた程度の知識しかない。
世界情勢については、魔王が率いる軍団と王国の人間が戦っているという簡素な説明を受けたのみであった。魔王軍の情報はおろか、戦端が開かれた理由すら彼女は知っていなかった。
眉を八の字にして済まなそうな表情を浮かべるリアにクロノは軽く微笑む。
「なら、いい。それに……いや、なんでもない」
それだけ言って、クロノはリアの隣を通り過ぎる。
クロノが動く姿に首を回すことで対応するリアだったが、視線が動くと同時に体も無意識の内に動いてしまう。その結果、グラリと重心が後ろに傾いた。
「キャッ!」
小さく悲鳴を上げるリアの体は床へと向かっていく。スローモーションで遠ざかっていく天井の薔薇が目に入る。それを最後に目を閉じてしまったリアは覚悟を決めるが、覚悟していた衝撃がいつまでも来ないことに疑問を覚える。
「怪我はないようだな。足首を捻ったかと思ったが、杞憂だったか」
クロノの声が近くから聞こえる。
「気を抜き過ぎだ」
リアが目を開けるとクロノの顔がすぐ近くにあった。
「へ?」
動かない、いや、動けないリアはクロノの瞳を見つめることしかできない。
徐々に赤みが強くなる頬と共に、彼女の触覚は自身の腰に回された力強い腕の存在を認識した。
何もない場所で転びかけるという間抜けな行動の羞恥、そして、異性の端正な顔が自分に近づいているという興奮。
純朴な少女にとって刺激が強すぎた。
発熱する頬と思考。頬の赤みは天井に描かれた薔薇と大差ないだろう。
リアにとって異世界であるアピスク・エシ。そこに召喚されて以降、最も彼女の心を震わした瞬間が今であった。
しかし、そのことを気にも留めずに、リアを自分の足で立たせてクロノは身を引いた。
「……明日、俺の戦い方を見せる」
「へ? あ、はい」
そう言って、クロノは彼女に背を向けて歩き始める。
「それまでは休んでいてくれ。明日の詳細については、後でアオノから説明させる」
クロノはそれだけを言い残し、扉を開けて虹の間から出て行った。
後に残されたリアは何もできず、閉まった扉を見つめている。ややあって、自分を取り戻したリアは最後に一言、呟いた。
「え?」
どうやら、自分はまだ混乱しているらしい。
顔を両手で覆ってしゃがみ込むリアの髪から覗く彼女の耳は紅に染まっていた。
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