第3話 殺したら死ぬ。当たり前のことだ

「世界は私に額突ぬかずけ」

 それが耳原社長の口癖で、朝礼の打率は五打数五安打、耳に胼胝たこが出来るとはこういうことを言うのだと私は強く確信している。

「私は強く確信している。世界は私の悦びのために在るのだ。私が生を謳歌するための舞台が世界だここだ。だから世界は私に額突け。平伏しろ。隷属しろ。諸君、私の為に尽くし給え。働き給え。巡り巡ってそれこそが諸君らが諸君らの世界を額突かせる方策となるのだから」

 相変わらず高慢で傲慢で意味不明なことをのたまって朝礼が終わる。ど低能中小企業たる耳原商事は朝礼から一日が始まるのだ。なお、当然朝礼は労働時間には含まれない。

「耳原君」

 朝礼後、耳原社長に声を掛けられる。

「なんでしょうか」

「先月の君の営業成績は大変良かった」

「有難う御座います」

「そこで今月は先月の二倍がノルマだ」

「わかりました」

 私はわかったのでわかりましたと言ったが、意味はわからなかった。

 こうして今月のノルマが二倍なった私は寸暇を惜しんで営業に赴く羽目になった。会社を出ると太陽が馬鹿みたいに眩しい。きっと太陽は馬鹿なのだろう。だから人の気も知らないでこんなにも燦々と輝いているのだ。暑い。これは夏だった。

 お得意先の耳原商事への道中、耳原橋の中程なかほどでこの世の全ての不幸を背負ったようなつらをして耳原川を眺めている人がいた。自殺五秒前感すらある。私は営業のため話しかけることにした。

「こんにちは。暑いですね」

「暑いですね。こんにちは」

「暑いからうんざりしますね」

「うんざりしますね暑いから」

「私は耳原を販売しているのですが如何でしょうか」

「お金が有りません。難病の妹の為、お金が必要なのですがそれすら無いのです。ですからここで死んで私の生命保険で賄おうかと思ってました」

「成程。悪くない思案ですね。しかし生命保険金なぞ微々たる額なのではないですか。人は死にますからね。そんなことに一々お金を払っていられないというのが保険会社の考えなのでしょうし、私だって概ね同意しますよ。人は死にますからね。当たり前の事象です」

「仰るとおりです。それで他の金策を考えていた所なのです。愚かな姉で妹に申し訳ない」

 私は同情し、何か良案があるやと考えた所、神の啓示とばかりに素晴らしい方策を思いついたので早速開陳することにした。

「そういうことであれば、私の勤務先から大金を奪えばいいでしょう」

「そんなことをしても良いものなのでしょうか」

「勿論です。私の会社はとても阿漕あこぎな高利貸を営んでおりまして、私は常日頃からこの仕事に嫌気が差していたのです。特に社長がとんでもない悪党で、彼女が悪事よって得た蓄財を貴女の妹さんのために費やすことは正当なる金銭の循環であり、私達は私利私欲無く人助けの為にこれを為す訳でもない以上、これは正に正義の実践と言って差し支えないでしょう。正義です。私達にこそ正義があるのです」

「他人の財産を奪うのは犯罪だと思うのですが、そう言われるとなんだかやってもいいような気がしてきました。やりましょう」

「ええ、やりましょう。そうだ、名前を聞き忘れてました」

 私は妹思いのお姉さんに名前を尋ねる。

「私は耳原耳原です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします。私は耳原耳原です」

「私は耳原耳原です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします。私は耳原耳原です」

「私は耳原耳原です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします。私は耳原耳原です」

「私は耳原耳原です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします。私は耳原耳原です」

 こうして二人意気投合し、私の勤務先である耳原金融に向かった。耳原金融は雑居ビルの四階に居を構えている。狭い階段を上り、耳原金融のフロアに侵入する。社員は私を含め数名しかおらず大抵外出している。幸いにも皆出払っているようだった。借金漬けにした債務者へ取立てでも行っているのだろう。

 成金趣味で統一された社長室には絵画や壺が飾られており、当然馬鹿でかい金庫もあった。ここに大金が入っているのだ。

 こんなこともあろうかと私は金庫の解錠番号を把握しておいたのであっさりと金庫を開扉することに成功した。金庫の中には沢山の札束と宝石、権利証が入っていた。

「やりました」

「やりましたね」

 私達は笑顔で頷き合ったのち、金庫の中身を全てバッグの中に収めた。

 これで後はおさらばするだけだと社長室を出ようとしたその時、耳原社長が戻ってきた。開扉された金庫と私達を見てまなじりを吊り上げる。私達といえば、驚きの余り硬直してしまった。そしてそれは致命的な隙であった。

「お前ら!」

 耳原社長は俊敏な動きで高級簡易殺人器を取り出し、耳原さんを殺した。彼女はピクピクンピクピクンと痙攣して死んだ。殺したら死ぬ。当たり前のことだ。

 このままでは殺されるとようやく私も簡易殺人器を取り出す。私が簡易殺人器を向けた時、耳原社長が高級簡易殺人器を向けてきた。同時だった。そのせいで殺人器同士が反発し機能しなくなる。私の簡易殺人器は完全に壊れてしまった。しかし耳原社長の高級簡易殺人器は一時的な機能が停止しただけのようだった。流石さすが高級なだけある。

 高級簡易殺人器が復活すれば為す術も無く耳原社長に殺されてしまう。何か手段は。成金趣味の部屋に視線を巡らせ起死回生の一手を探る。これだ。私は趣味の悪い、けれど矢鱈やたら頑丈そうな壺を掴み、耳原社長の頭に全力で叩きつけた。鈍い音と同時にいまかつて経験したことない重たい衝撃が右手から伝わる。会心の一撃だ。耳原社長は手足を痙攣させながら倒れ伏した。ぱっくりと割れた頭蓋から鮮やかな血液が流れている。赤い。そして生臭い。

 現実が故のリアリティに悟る。嗚呼、耳原社長はいままさに死のうとしつつあるのだ。これは好機だった。悪魔の囁きに耳を貸す。私は高級簡易殺人器を用いず、悪趣味な壺を只管ひたすらに叩きつけ、耳原社長をなぶり殺しにした。殺したら死ぬ。当たり前のことだが新鮮だった。清々しさすらあった。

 そしてどうやら私は嬲り殺しに夢中になっていたらしい。気が付くと警察官がいて、そのまま逮捕された。そうして捜査の一環として、耳原警部補から取調べを受ける。

「耳原耳原、お前には殺人罪の容疑がかかっている」

「いや、確かに社長を殺しましたけど、皆も殺しているじゃないですか」

「それはきちんと殺人器を使って適切に殺人しているだろう。確かに殺すこと自体は問題ない。誰だって死ぬからな。しかしお前は殺人器を使わず、あろうことか被害者に多大なる苦痛を与え、死に至らしめている。そのような苦痛は本来自然発生的には生じえなかったものだ。それをお前は被害者に無理矢理に押し付け、その人格をも傷つけたのだ。その罪は重い。当たり前だろう」

 私は苦し紛れの反論を試みたが、いとも容易く論破されてしまった。そりゃそうだ。

 こうして私は公正な司法手続に則り、長年にわたっておびただしい苦痛を与えられた。はりつけ。水責め。親指螺子締め機。爪責め。凌辱。人格否定。不眠。火炙り。その他諸々。思い出すことすらおぞましい。だけど私は死ななかった。殺されなければ死なない。当たり前のことだ。私は死ねなかった。

 そうして苦役を終えた後、漸く私は解放された。解放されて最初にすることはもう決まっていた。ずっと前から決めていた。私は簡易殺人器を購入する。そして簡易殺人器を用いて私は私を殺した。私はピクピクンと痙攣して死んだ。殺したら死ぬ。当たり前のことだ。それは素晴らしい安らぎだった。

 

 

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