第十話 姉の看病が気が気でない ②

 奈緒のいない帰り道。

 いつもだったらここで話すんだけどな、日常の些細ささいな話とか、オタクトークとか。

 今日はそれが出来ない。だって、奈緒は寝込んでいるんだ、苦しんでいるんだ。

 ただ、誰と話すでも無く、木枯こがらしの吹く街を寂しく歩く。


「ただいま」

 僕は家に戻った。

 しかし誰の反応も無い。いつもなら優奈か父さんが「お帰り」と言うのに。

 父さんがいないのは分かった。車が無かったから、多分お出かけだ。

 でも、優奈の声までしないって事は、まさか…………

「グー、カー……」

 何だよ驚かせんな!

 リビングルームのソファで優奈は寝ていた。

 脇にはコントローラーが落ちている。

 テレビにはFPSのゲームオーバーの画面が映る。

 ゲームしすぎて寝落ねおちか。とことん馬鹿姉貴だ。

「優奈、起きろ! なあ優奈ぁ!」

「ふわぁ……あっ! あれ、颯太君……ああああああああ!!!!」

 優奈はテレビの画面を見て絶叫ぜっきょうした。

「ああっ、過去最高のキルを叩き出したと思ったのにぃ……」

「それよりも勉強は……」

「うるさいなぁ」

「……ねえ、奈緒はどうだった? インフルエンザだった?」

「うん、インフルエンザだったよ。今はあたしの部屋で寝ている」

「優奈の部屋で?」

「そう。夜、颯太君と一緒の部屋で寝たら感染うつっちゃうから。今夜は颯太君とあたしが同衾どうきん……」

「あーはいはい、優奈が僕達の部屋で寝るのね。奈緒はいつも下段だから、優奈は下段に寝てね」

「はーい」


 僕はリビングルームを出て、二階の共用部屋へ行った。

 そこに奈緒はいなかった。やっぱり優奈の言った通り、優奈の部屋で寝ているのか。

 荷物を置いて、隣の優奈の部屋に入る。足の踏み場もない程にゴチャゴチャ散らかった汚い部屋だ。

「おい、颯太……ゲホッ、ゲホッ……入るな、感染うつるぞ」

 優奈の部屋に入った途端、こう言われた。

「で、でも……心配で心配で……」

「心配なら尚更なおさら入ってくるな! 俺はお前にインフルエンザになって欲しくないんだ」

「どうして?」

「当たり前だろ。ゲホッ……俺まで胸が痛くなるんだから……」

「わ、分かった。そこまで言うなら!! でも、夕飯の時にまた来るよ。多分、何も食べてないだろうから」

「まあ、何かしら食べないと薬も飲めないから……。マスクはしろ、お前、マスクも着けずに……ゲホッ、ゲホッ!!」

「ご、ごめんね……!」

 僕は優奈の部屋を去り、リビングルームへ戻る。


「入ってくるな、って言われちゃったよ」

 ゲームを再開した優奈に僕は言う。

「まあ、感染リスクを考えるとねぇ」

「確かになぁ……。でも、夕飯の時にまた来るって約束したよ。すりおろしリンゴでも食べさせてあげないと……」

「リンゴ……。消化は良いけど、もっと栄養のあるものが良くない?」

「そうだなぁ。冷蔵庫を見てみるか……」

 僕は冷蔵庫を開けて、中身をざっと見渡す。

 うーん、栄養のあるもの、元気が出そうなもの、そして潰して流動食りゅうどうしょくに出来るもの。何かあるかな……

 あった! これだ!

「すりおろしニンニクはどうかな?」

 僕は提案してみる。

「ああ、良いね! きっと元気が出るよ。夕飯として、食べさせてやりなよ」

「だね!」

 そんな訳で、僕は奈緒にすりおろしニンニクを食べさせてあげる事にした。

 きっと元気が出るだろうなぁ……。


 いざ夕飯の時。

 父さんからLINEが来た。市役所しやくしょに用があって出かけているみたい。思った以上に手続きが長引いているので、遅くなると。

 だから夕飯は僕に作って欲しい、奈緒にはリンゴを買ってあるからすりおろして食べさせて、との事。

 だけどリンゴよりも良いものがある。そう、ニンニク!

 僕はニンニクをたっぷりすりおろして、皿に盛った。

 これで絶対に元気が出るな! 待ってて、今行くよ、奈緒!

 僕はマスクを着け、すりおろしニンニクをどっさり盛った皿とスプーンを持って優奈の部屋に行った。


「奈緒、夕飯を持ってきたよ」

 僕は横たわる奈緒のそばに来た。

「おお、ありがたいな。夕飯とは……すりおろしリンゴか? 鼻がまっていて匂いが分からん……」

「ううん、もっと良いもの。食べて、あーん」

 僕はすりおろしニンニクをスプーン一杯分すくって、奈緒の口に運ぶ。

 口の中に入ったら、パクッと……ギギィィィィィィッ!!

 食べた瞬間、僕の頭上にありがたいプレゼント……じゃなくてゲンコツ一発! 何これ酷い! 恩を仇で返すなんて!!

「酷いよ! 奈緒!」

「それはこっちの台詞せりふだ、馬鹿が!! なんて物を食わせるんだ!!」

 奈緒は身体からだを起こし、僕に対して怒鳴った。枕元まくらもとに置いてあったペットボトルの水をガブガブ飲む。

「ご、ごめん……」

「ったく、口の中が……。歯を磨いてくる」

「や、やめて。無闇むやみに部屋から出ないでよ、優奈達に伝染うつしちゃうから!」

「じゃあどうすれば良いのか?」

「持ってくる、歯ブラシを! この場で磨いて!」

「分かった、持ってこい」

 僕は一階の洗面所に行く。

 奈緒の歯ブラシは……この白いやつだ。

 歯磨剤しまざいは……ミントのこれだ。

 コップは……黒いやつだ。コップに水を入れ、歯磨きセット一式を持って優奈の部屋に。

「これで磨いて」

 僕は奈緒に歯磨きセット一式を渡す。

「ああ」

 奈緒は歯を磨いた。

 磨き終えたら、コップの水で口をゆすぎ、コップの中に吐き戻す。

 そして歯磨きセット一式を僕に返す。

「颯太、そのコップの中に入っているものを飲んで貰おうじゃないか」

「いっ、いいいっ……! な、なんて事を言うの?」

「おいどうした、飲めないのか? 俺からのお前への罰だ。さっきはよくもあんなものを食わせやがったな!!」

「飲めるかよ、こんなの! 汚いだろ!!」

「ああっ? お前はこれと同じくらい俺を不快な目に遭わせたのだぞ?」

「いやいや、それはねぇ、あのぉ……」

「何をグズグズ言っている。さあ、飲め!」

「ううう……分かった、飲むよ、飲むっ!!」

 僕はコップの中の液体を……うええええええええええええっっっっ!!!!

 マジで気持ち悪っ……。

 筆舌ひつぜつに尽くせぬ不愉快ふゆかいな味……。

 何だこれ…………うげぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっ!!!!

「目には目を、歯には歯を。お前のやった事をやり返しただけだ」

「いや、これはオーバーキルでしょ……。もうやめ……て……。てか奈緒、元気になったね」

「まあな。意外と早く治るかも知れん」

 奈緒はリレンザを吸引きゅういんし、解熱剤げねつざいをペットボトルの水で飲んだら、静かに横になった。

 まぁ、元気そうなら良かった。これで僕も一安心。でも……口の中がパニックだぁぁぁぁぁぁ!!


 僕は一階に戻り、まずは洗面台へ。

 奈緒の歯ブラシセットを洗って戻した後は、念入りに歯を磨く。この気持ち悪い感覚を消す為に!

「もう、腹立つなぁ……。ゲホッ!」

 ありゃりゃ、ちょっと咳が出て歯磨き中断。大丈夫……だよねぇ?

 歯磨きが終われば、リビングルームに戻る。僕と優奈の夕飯を作らないといけないな。

「ゲホッ、ゲホッ!!」

 うわ、また咳だ!!

「だいじょ……ゲホッ、ゲホッ!!」

「ゆ、優奈も?」

「アハハハ、大丈夫だよ、インフルエンザって事は……ゲホッ、無いと……ゲホッ、ゲホッ!!」

「明らかに大丈夫じゃ無いよね。もしかして……ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ!!!!」

 僕も優奈も咳が止まらなかった。


 ――翌日。

「意外と短かったな、インフルエンザ。もう治ったわ。修学旅行を出席停止で休めたし、塞翁さいおうが馬だ」

「よくそんなお気楽な事が言えるな、奈緒ぉ……。僕達はこんなにぃ……」

「ぐるじいのにぃ……」

 症状が引いてお気楽そうな奈緒を尻目に、僕と優奈は咳、高熱、悪寒、吐き気に苦しむ。

 診断を受けたらインフルエンザだった。あー、苦しい! 気持ち悪いっ!!

「リレンザ吸えばすぐに治るだろう」

他人事ひとごとのように言うなよ、奈緒があんなもの飲ませるから……ゲホッ!」

「はあっ? 潜伏期間を考えろ」

「もうっ……。そろそろ僕ら……ゲホッ…薬飲まないと……」

「ああ、だから食べ物を持ってきてやったよ。姉貴……お前も共犯きょうはんのようだな」

「な……何の事っ?」

 優奈は困惑する。

「とぼけるな。食べさせてやるよ、二人とも。美味しい美味しいすりおろしニンニク。さて、どっちから先に行くか……じゃあ、颯太からだな!」

 いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!


 僕と優奈は奈緒よりもずっと長く、四日間もインフルエンザの症状に苦しんだ。

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