第11話 元カノと身体測定(奏目線)

「鳳さん、タイム……8.7秒ね」


 え!? やった! タイム上がってる!

 体育教師から渡された記入用紙を見て、私は密かにガッツポーズをした。

 平均的なタイムよりは劣っているものの、中学の時に比べれば、それでも足が速くなっていることは確か。

 そもそもインドア派の女子からしたら50mのタイムが平均だからなんなんだろうという話になってしまうんだけどね。


 言ってしまえば、私は運動が苦手な方で体力だけはある方みたい。

 趣味が読書だと身体を動かさないことの方が遥かに多いから、気を抜くと体型にもろに出てしまう。それは女子的にノーと言わざるを得ない。


 なので私は定期的にジョギングをするように心掛けている。そのおかげで体力だけは普通にある運動苦手系女子というちょっと不思議な状況になっているんだけど。

 

「奏ちゃんお疲れー」

「ありがとう。風花さんもそろそろ計測だよね? 頑張ってね」

「ありがと! あたしこの次だよ」


 それでもタイムが上がったことは素直に嬉しいから少しウキウキしながら風花さんが待っているスタートライン付近に戻ると、ちょうど次の走者は風花さんらしい。

 先生の合図で風花さんはまるでロケットのようなスタートダッシュを決めて、グングン加速してあっという間にゴールしてしまった。


 ……速っ。


「何秒だった?」

「んー……7.3秒ぐらいかなー。受験で鈍ってたみたいだね」

「それでも男子並みに足が速いことは変わりないと思うんだけど……これより速いの? どうなってるの一体……中学の時って運動部だったりした?」

「いやー帰宅部でしたよー。家に帰るスピードなら誰にも負けなかった自信があるね!」


 そのスピードって足の速さに関係してるのかな? やっぱりしてないよね?


「それにあたしって小柄だし、他の女子よりも重さが無いからそれも関係してるのかもね~! あっはっは!」


 笑いながら、風花さんは自らの胸部を手で叩く。うん、目が笑っていない。いっそ清々しいほどに目から光が消え失せてしまってる。

 どうしよう、触れて慰めた方がいいのかな……? ん? あれは……?


「どうしたの? 奏ちゃん、あっちに何かあるの?」

「あ! 見ちゃダメ!」


 私の制止は時既に遅く、風花さんは見てしまった。私の視線の先で躍動し続けるとあるものを……。

 そして、絶望しきった顔になってしまった。


「あ、あ、ああ……」


――視線の先には高校1年生どころか女性にしては大きすぎるほどの塊を胸にくっつけた女子が50m走を計測している姿があった。

 

 走る度に、その大きな塊は擬音にするならばるんっと付くぐらいの揺れ方をして、確実に風花さんの精神を削ってしまっているのが分かる。足は遅いみたいだけど、それがかえって目の前の残酷な現実を長く見せつける要因にもなってしまっているんだけど……。


「……………………神様って残酷だよね」


 その女子が息を切らしながらやっとの思いでゴールに辿りついてもしばらく閉口していた風花さんが隣でぼそっと呟くのが聞こえてしまって、私はどうすればいいのか分からなかった。


 でも、あの子って……この間逢坂くんといた人だったよね……同じ学年だったんだ。

 とりあえず、次は身体測定だ。


×××


 廊下で逢坂くんたちとすれ違ってから、養護教諭が待機してる教室に入って、順番がくるのを待つ。

 ……逢坂くんあの顔だとあまり伸びてなかったのかな? やっぱりそういうのって気にするんだ。


「やーあたし絶対身長伸びてないからなー。自分でも分かるもん」

「私もそんなに変わってないと思う。もう大丈夫そう?」


 さっきまで落ち込んでいた風花さんだったけど、今はすっかり普段の柔和な笑顔に戻って普通に会話を出来るまでには回復したみたい。


「え? ああ、うん。ちょっと心にダメージは残ってるけど、ストレス解消にすれ違い様に三柴の足を踏んでやったからスッキリしたよ!」

「あはは……2人ってなんか同じ中学ってだけじゃなさそうだよね」

「え!? そんなことないよ!? どの辺が!?」


 ……んー? なんだかものすごく必死に否定されてるなぁ。


「距離感とか? なんだか同じ中学ってだけであそこまで近い距離感で接する事が出来るのかなって感じかな?」

「うっ……そ、そういう奏ちゃんだって逢坂クンのこと実際どうなの!? そっちも同じ中学ってだけで済ませるには納得のいかない感じだよ!」

「え!? そんなことないよ!? うん! ヒト科ヒト目お友達!」


 友達……友達かあ……。

 自分で言ってすごく傷付いた。この話題はなんとなく、お互いにとってタブーらしいってことが分かってしまった。

 私と逢坂くんは元カップルだけど、風花さんと三柴君は一体どういう関係なんだろう……。


「次、鳳さん」

「あ、はい」


 呼ばれてしまったので会話を途中で切って、カーテンで仕切られた空間の中に身体を滑らせる。

 身長に体重、それから胸部計測まであるから一応カーテンで区切られてるみたい。

 女性しかいないといっても、やっぱり人目は気になるものだから、これは正直言ってありがたい。


「身長は156cm……体重は――はい、オッケー。次胸部計測ね」

「はい」


 身長は1cm程度伸びたかな? 体重は……うん、もう少しダイエットした方がいいかも……。


「80cm……っと、はい」

「ありがとうございました」


 中学の時に比べればやっぱり育ってたなぁ。今までのだと少しきつくなってきたし、今度新しいのを新調しないと……。


「どうだった?」

「身長はあまり伸びてなかったかな」

「はってことは……まさか奏ちゃん……バストの方は……?」

「えっと、その……」


 口で言うのは恥ずかしかったし、記入用紙をそっと手渡す。


「……つまり、C……? 中学の時は!?」

「い、今とあまり変わってないよ?」


 迫力に気圧されて、私は咄嗟に嘘を吐いた。嘘を吐いたという罪悪感が胸の中を支配する。


「嘘だッ!! 中学の時点でそんなに大きいはずがない! 中学の時からCなんて都市伝説だよっ!」

「ご、ごめん! Bでした! 嘘吐きました! ごめんなさい!」

「そ、育ってる……!?」


 嘘を吐いても傷を付け、正直に言っても傷を付ける。私は一体どうすれば正解だったんだろう……。

 というか人のサイズをそんな大声で言わないで! 恥ずかしいから!


「ほ、ほら! 風花さんの順番だよ! きっと育ってるよ!」

「奏ちゃん……そうだよね! 悲観してたってしょうがないよね! あたしの成長を見せてやる!」


 そう意気込んで、風花さんは笑顔でカーテンの向こう側に。

 


 ――そして数分後……死んだ目をした彼女は静かに私の隣に体育座りで腰を下ろした。


「身長もバストも変わり無しですよ……Aですよ……あたしの成長……止まってるんじゃ……」

「そ、そんなことないよ! これからだよ! 私たち高校1年生だよ!? 前を向いて歩いていこうよ!」


 これからは成長の話は風花さんの前ではしないようにしよう……! そうじゃないと心がどんどん荒んでいっちゃう!


「そ、そうだよね! まさか高校1年で成長が止まってるなんてないよね!」

「無いよ! それに皆成長期だし、きっと風花さんが平均なんだよ! 大器晩成なんだよ!」


 まさか自他共に認める人見知りで恥ずかしがりの私が友達にこんなフォローをする日がくるなんて! 今日ほど頑張って対人スキルを磨いて良かったと思った日はないよ!


「よっし、あたし頑張るよ!」

「その息だよ!」


 良かった! 元気になってくれたみたい!」


「88!? あなたいいもの持ってるわねぇ……」

「ってことはFですか!? やった! 大台です!」


 そんな会話がうっかりカーテンの向こう側から聞こえてきて、私と風花さんの間に流れる空気がビシリ、と音を立てて固まってしまった。

 カーテンの向こうから出てきた女の子は、やはりというかなんというか、50m走で風花さんに多大なダメージを与えた子だった。

 

「………………………………神様ってほんっとうに残酷だよね」

「あはは……ごめん、流石にもう、フォローは難しいよ……」


 さっきよりも長い閉口の果てに紡がれた言葉は希望の欠片もない、苦みたっぷりな呟きでした。


「キョニュウ……コロス……ミナゴロシ……ソウスレバ……セカイ……ヘイワ……」


 こうして風花さんは乾いた笑いを漏らしながら物騒過ぎる言葉だけを呟くことしか出来ない精神状態になってしまいましたとさ。


 あの子が逢坂くんと……ふーん……へえ……私は元カノだし、別に全くいいんだけどね? ふーん……そっかあ……。


 なんだか私は私で、風花さんとは全く別の観点で複雑な心境だよ……。というか元カレが他の女の子と仲良くしてるだけで心の中で言い訳するって……私ってダメだなあ。


 ちなみに風花さんは帰るまでにはすっかり元気になって元通りになりました、まる。

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