第23話 欠けた記憶 それは初めからそこにない。

「私は死神。あなたをお迎えに上がりました」



 入院中の僕の隣に現れた、死神を名乗る男。真っ黒なズボンに真っ黒なインナーに真っ黒なパーカー。全身真っ黒な格好は、雪のちらつく今年の冬では、些か薄着だ。

 あの時から何一つ変わらない。格好も、貼り付けられた笑顔も。



「お久しぶりですね。死神さん」



 子どものころ、祖父母から暴力を振るわれていた時に、一度僕は彼と会っている。



「そちらこそ。相も変わらず生きようと必死ですね。見てるだけで疲れます」


「残り少なくとも無下に扱わない。もったいない精神の賜物ですよ」


「それが原因で奥さんと喧嘩してましたよね?」


「それは言わないお約束です」



 死神さんはいつも明るい。



 笑って、冗談言って。偶に嫌味も言われるけど人間でいる僕らからは分からない視点で物事を見ている。

 僕は彼から見た世界の話を聞くのが好きだ。しかし、ただ話を聞くだけでは済まない。彼が来るってことは、嫌なことも一緒にやってくる。



「さて、以前聞いたかと思いますが『やるべきこと』をやってもらいます」


「この体で出来ますかね。あの頃とは違って、僕はもう老体ですから」



 実際、二週間前に手術をうけたばかりで、体を動かすのは現実的にほぼ不可能だ。ちゃんちゃんこを着てから早二十年。筋力も体力もみるみる落ちていった。ご飯を食べるのも一苦労。年とともに忘れたことは多いけど、ボケてると言われたことがないのが小さな自慢だった。

 そんな幸福な人生も、もうすぐ幕を閉じる。死神が来たということは、そういうことだ。



「大丈夫ですよ、この場で終わりますから」


「なら、すぐにでも」



 死神は命を奪うと、一般的には言われている。しかし、彼は命を奪わない。僕が死ぬまで、彼は僕の隣で「やるべきこと」をやらせる。それが彼の死神としての役割。

 断ろうとは、思わなかった。何時いつか訪れる死。それを常に想って生きてきたから。最後の時間を死神と共有するのも、一興かなって。



「分かりました、ではパパっと片付けてしまいましょう」



 死神は、壁に立てかけられていたパイプ椅子を開いて、腰を掛ける。そして、ただ淡々と、口を開いた。



「最後にやる事は質疑応答です。一つだけ質問をするので正直に答えてください。まあ死神は『覗ける』ので、嘘ついても無駄ですけどね」



 分かってますよ。そう心の中で思って、死神の目を見る。真っ黒で、どこまでも飲み込まれてしまいそうな瞳。優しくも、怖くもない。ただの瞳その物が其処にハマっている。

 無機質で、見るためのものとは思えない瞳は、寸分も揺れない。口角が上がっていても、目じりが垂れても、目だけは決して笑わない。それと同じくらい、彼が話す僕の命の義務は、淡白で冷淡だ。



「あなたに、」



 死神が、語を紡ぐ



「御兄弟は、いらっしゃいますか?」



「いませんよ。僕は生まれてこの方一人っ子ですから」







 正直に、特に何も考えず、そう答えた。

 死神は、どこか満足そうだった。



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