第22話 覚悟と妥協 勇気に属するのはどちらか。

 静かな空間で目を覚ます。



 左手でベッドを押して、体を持ち上げる。うつ伏せで寝ていたせいで顔が痛い。窓からは白い日光が差し込んでいる。朝になり、しっかり海が見える。天気は曇り。昨日よりも波が激しくなっている。風も強そうだ。



 壁に掛けられた円盤時計は七時半を示している。その真下の鏡に、無造作に張り付けられた小さなメモ用紙。綺麗な書き手は、溌剌とした方の死神だった。




『別の方のお迎えのため、離れなくてはいけなくなりました。悔しいです。明日死んでしまうあなたの、生きる今日を誇ってください。  



                          髪の長い美人死神より』




 今日も、まだ生きている。死ぬことが分かっていても生きている。



 これは幸福な事なのだろうか。それとも絶望か。



 明日までの限られた時間を有意義に過ごせると考えるか。



 死ぬことに怯え続けて、何もできずに死んでいくか。




 どちらでも構わないと私は思う。そこに優劣をつけようなんて気はない。怖いのは当たり前だし、希望を見続けることだっていいことだ。




 どっちも、あっていいものだ。片方が欠けてしまえば、もう片方も無くなってしまう。無くなるくらいなら、残しておいてほしい。

 絶望も、幸福も、向き合っているからこそ、得られるものなんだから。



「あれま、随分顔がすっきりしていますね」



 シャワールームから上裸で出てきた死神が、頭を拭きながらニヤニヤしている。



「ぐっすり眠れましたから」

「そうですか。それはよかった。明日死ぬっていうのに寝不足で動けないとかシャレになりませんもんね。あっははははは!」



 減らず口が減らない。死神は暇さえあれば笑って、卑屈を垂れる。けど、死神だから言える卑屈があるのも事実だ。それは時に、人間の私には、新たな発見になったりする。




『人間同士じゃ言えない。死神だから言えることがある』




 ほんと、その通りだな。




「さて、今日は記念すべき! 正真正銘、あなたの人生の最後の一日。やりたいことは決まりましたか?」




 そんなもの、決まってない。死ぬ前にやりたいことなんて、死ぬほど数えても数え切れない。でも、何よりも『やっておきたいこと」は、見つかった。




「私の生業は物書きです。私の最後は、私が書き残します」

 消えていく記録を、書きたいように書こう。仕事も注文もない。書きたいような書き方で。



 ──────────────




「書くといった割には外に出てくるんですね」



 早々にホテルをチェックアウトし、近くの大手ハンバーガーショップで軽い朝食を済ませた私たちは、賑やかな朝の海辺を歩く。

 海の中にはサーファー、砂浜には犬の散歩をする女性。朝からたくさんの人が海にいる。しかし祭りのように騒がしい訳ではない。波の音と風の音。背後から聞こえる車の走行音がBGMとして流れている。



 羽目を外してはしゃいでるイメージが強かったのだが、この朝の光景は穏やかの一言に尽きる。

 波に乗る人々は波風を立てない。身を任せて楽しんでいるだけ。止まらない波を止めるのではなく、止まらない波を慈しむ。



「朝から海に入るなんて。物好きですね。人間て」



 嘲笑うような楽しんでいるような。奇妙な笑みで死神は海を見る。



「サーフィンはメジャーなスポーツだと思いますが」

「スポーツの話じゃないですよ。進化の話です」




 進化の話?




「わざわざ海から陸上に住処を変えて、こんだけ文明だのなんだのを発展させたのにまた海に戻るなんて。出来ない先祖返りでも期待してるんですかね」



 いや、サーフィンにそんな気概ないと思うのだが。



「波に乗るのが気持ちいいらしいですよ。以前何かで読んだことがあります」

「普段から社会の荒波に揉まれ続けているのに、何を好き好んで波乗ろうとするんでしょうね。マゾなんですか?」



 そんなことはない。



「死神さんは、言葉の意味をそのまま捉えて考えるんですね」

「人間は言葉作りすぎなんですよ。もっとギュッとまとめればいいのに」

「でも、言葉がたくさんあるおかげで、伝え方もたくさんできたんですよ。文字書きとしてはありがたいことです」

「幾ら伝えても受け取り手がその通りに感じるわけじゃないでしょう。伝えるためのものが伝わらないなら意味無いでしょうに」




 そう、想いが伝わるとは限らない。こっちは親切で言ったつもりでも、向こうは不快に思ったりする。色んな状況で、互いが互いのことを知らなくて。それでも必死に繋がろうとして。人間は馬鹿だなと、私は今でも思う。



 周りと関わらなきゃ生きられない世の中を、私は憎らしく思う。救いようもないし、綺麗汚いで一喜一憂するし。自分たちがやったはずのものに勝手に泣いて、勝手に悔いて。分かり合えないことを分かり合おうとして。

 答えを見出すために議論を、自分の正当性を示すための決闘場と思い込んで。




 キリストも仏陀もなんでこんな世界と人間に教えを説こうと思ったのか理解できない。知能の混入した欲求ほど醜いものはない。地位、名誉、経済力。SNSのフォロワーが何人だとか、友達何人だとか。

 血の気の無いリアルに入り浸って、ありもしない信頼に依存して。そこにないものを見えるように錯覚して、不安定な外部に身を委ねて。




 自分だけじゃままならない。自分一人じゃ生きられない命を抱きしめる。誰も逃げられない枷から、誰も逃げないよう、記憶に溶接する。そんな柵から、私は明日消えていなくなる。



 そんな私だから書けること。そんなもの、書けるならとっくに書いている。あるならとっくに分かっている、

 死ぬ前しか書けないことがあるなら、今現在を生きている人間は、皆書けるはずだ。



 一分後でも、一時間後でも、一週間後でも。

 人間はいつだって死ぬし、どこだって死ねる。

 特別でもなんでもない。何事もない日常で人は死ぬのだから。

 知っている知っていないは関係ない。

 簡単に思い出せて、容易に理解できて、簡潔に完結する。

 そんなものなんだ。生きることなんて。



『書きたいものは、もう決まってますから』




 希望も、絶望も、勇気も、落胆も書かない。

 無慈悲で純粋で当たり障りない残酷な、現実の結末とその過程を書くだけだ。


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