死神後半戦 「2」

第20話 天秤に掛けられた心臓。その天秤は正義か。

「昔から性格悪かったんですね。幻滅します」

「あの人に何吹き込まれたかは知らないですけど、幻滅するほど評価されてました? ワタシの事?」



 けらけらと笑いながら、私と死神を乗せた車は海岸線を走っていく。

 高速道路を経由して、サービスエリアでアイスクリームを懇願する死神を半分置いてけぼりにしながら、海の見える町まで下りてきた。



 陽は既に沈み、歩道では大学生のグループが肩を組んで大声を上げている。。

 話に聞いていた通りの光景すぎて、観光したことないのに既視感がある。

 せっかくならイルカのショーでも観てみようかなと思っていたが、既にお腹はいっぱいだ。



 まあ、私の死ぬ前に『やりたいこと』には含まれていないし。べつにいっか。




 さて、これで「やるべきこと」は全て完了したわけですが、あなたが死ぬにはあと一日と少しあります。

 私たち死神は、その期日を早めることも遅らせることもできません。

 症状も既に出てしまってますから、寿命も奪えません。

 残りの時間は死ぬまで退屈な時間。そして最後の自由時間です。




 母の親友と別れて、最初に立ち寄ってタピオカのお店で死神と合流した時。何の前振りもなくそう言われた。




 死ぬ前に「やりたいこと」が出来る最後の時間。

 死神は死ぬまで付き続けるが、それだけ。

 最後にやりたいことは自分一人だけでやらせてもらえない。




「やりたいこと、か……」




 死ぬまでにやりたいこと。

 私は今までの人生、そこそこ幸せだったし、その気持ちは、こんな死に損ないになっても変わらない。



 弟は残酷な目に遭ったけど、何とか立ち直って、今は立派に高校教師やっている。素敵なお嫁さんとも結婚させてもらった。

 父も、広くなった家で会社の方々と飲み会したりと大仕事終えた独り身を楽しんでいる。



 家族は、みんなちゃんと幸せでいる。

 それぞれがそれぞれで幸せで、そこに私が混ぜてもらう必要はないし、そんなの野暮だ。




 私が幸せでいて欲しいと願う人は、洩れなく、幸せだ。




 倒れた時、幾つもやりたいことが浮かんだ。

 あれは、紛れもない「死にたくない」という私自身の意思だったし、私自身の願望だった。

 けど、振り返って、私はそれらをやってどうするのかと疑問を持った。

 やったからといって何なのだと、思ってしまった。

 死ぬまでにやりたいことなんて、死ぬ前にならなきゃ思い浮かばない。

 その死ぬことは、いつだってどこだってあり得る。




 布団に入って、目を閉じたら、そのまま目覚めないかもしれない。

 毎日が死と隣り合わせで、私たちは毎日それから逃げ続けてる。




 逃げ続けた結果が、生きることなんだ。




 生きようと思って生きてるんじゃなくて、死にたくないと思っているから生きていける。

 何処からともなく迫ってくる終わりから、私たち人間は逃げ続けてる。




 だから、「死ぬまでにやりたいこと」っていうのは、素敵な事じゃない。

 映画になるような、輝いてるものでもないし、涙を誘うような美しいものでもない。




 生きることにしがみついて離れようとしない。

 死ぬことを恐れに恐れた駄々で、悪あがきだ。

 みんな、生きてることに酔っている。

 生きる意味も意義も初めから無い。死ぬことよりも都合のいい方を選んだ。

 人間は、そんなものだ。




 そんな人間だからだろうか。私は、知りたいと思った。

 人間以外にとっての死ぬことは何なのか。




「死神さん。あなた達にとって、『死』とは何ですか」




 命はどこかで途切れる。時に潰える。

 自分一人ではどうしようもなく、如何することもできない。

 だから私は、己のためだけに命を使う。

 先祖への感謝も、後裔への配慮も知ったことか。

 この心臓は、私が止める。



————



「死神が『死』について熟知していると思ったら大間違いですよ」




 砂まみれの歩道橋。

 真っ白だったであろう外観は、海の潮にやられて茶色く錆びてしまっている。

 ここは川と海の境界線。そして接続点。

 この歩道橋は海と川を繋ぎ、隔てている。

 川は決して海にはなれず、海も決して川にはなれない。

 それなのにこの二つはどこに行っても一緒にあって、どこまで行っても繋がっている。




 真っ暗な海からジメジメとした風が吹いてくる。

 反対の真っ暗な川の方からは犬の鳴き声が聞こえてくる。

 さっきまで通っていた国道の真上。景色は暗闇に囲まれている。





 消えていく車の後退灯。静まり返る夜の住宅街。

 光が決して入り込まない海。

 真っ白な街灯に照らされる、真っ黒な死神。その影は二つともない。





 知らない街に来た時、私はいつも楽しくなかった。

 修学旅行だけが唯一の旅行だった私には、そもそも、旅を楽しむ余裕がないのかもしれない。

 観光地に行くより、名物料理を食べるより、私は、行った先の日常に染まりたかった。




 特別でも非日常でもない。

 あたかもここに住んでいるように振る舞って、ここにいるのを普通だと思う。

 何にも変わらない日常の一部を感じたかった。

 この街は海に出れば、自ずと観光になってしまうから、苦手だ。

 しかし同様に、この海は、ここの住人にとっては日常でもある。

 特別が日常にある。想像すると、何でかこそばゆい。




「死ぬことなんて、大したことじゃないんですよ」

 サァサアという渇いた波の音に混ざって語りだす死神の顔は、初めて会った時と同じ笑顔だった。




「一生逢えないなんて言っても、一生の内に会えただけで幸せなんですよ。世の中に何人会うことのない人がいると思ってるのやら」




 頬杖をついて、手すりに寄りかかり、死神は遠くの暗闇を見つめる。

 その右隣で私は反対側の闇を見つめ、さらにその隣で、上空の闇を見つめる死神がいる。

 暗い。夜はいつだってそういうものだ。




 フランクリンが凧を上げて電気を発見し、エジソンが電球を生み出して、夜を実質「無い」も同然になった。

 LEDが生まれて、太陽光やら風力やら。電気の進化を続けている。

 あらゆる街から電気が消えることはない。人間は眠らず動き続ける。

 世界は明かりを灯し続ける。それでも、夜は暗くあろうとしている。




 地上を照らし続ける太陽と同じように、月は地上を隠し続ける。

 他の星から見えないように。そして、他の星を見れるように。




「物の見方なんて、人間みんな違うんでしょ? なら人間のご友人に聞けばいいじゃないですか」

「私に友人いないの知ってて言ってます? それ」

「いやいや、別に友人じゃなくてもいいんですよ。お父上も弟さんもいるじゃないですか」




 例え弟でも父親でも、血が繋がっている家族という括りでも、私たちは他人だ。

 共有する時間は長くても、性格も半生も、環境も違う。哲学的な問題を語り合うのに、何の不満も問題もない。




 けど、私が知りたいのはそれじゃない。




 同じ人間の考える死生観じゃなく、死神だから言える死に方を知りたい。



「だから、あなた達に問うんです」



 死ぬことを知らず、死に様だけを見てきたあなた達だから、見える死を私は知りたい。



「大した事は言えませんよ」



 大したことじゃなくて構わない。

 私ではない。私たちではない。

 死神から見た「私たち」はどう映っているのだろうか。

 他人はどこまで行っても他人だ。知り合っても、長く共にいても、越えられない垣根があって、登りきれない壁がある。




 しかし、壁を知らぬ顔で、通り抜けて来れる者がいる。

 それは死神という存在で、何よりも人間に近い、人間ではものだ。


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