後輩の記録(2.7) 死神の理屈

「随分泣きじゃくってましたね。若いって素晴らしい」




 泣きつかれたハナビちゃんを寝室に運んで、旦那さんに迎えに来てと連絡をし終えたところに、死神が現れる。




「あの子はロクな死に方出来ないのになんであんなに一生懸命泣くんですかね」




 未知に疑問を持った様子の死神。その言葉は私を刺す。




「本当に、死んでしまうんですか」




 死神に問う。




「逆に死なない人間がいると思ってるんですか?」





 当たり前のことを当たり前に返される。質問に返って来た質問は意地が悪い。





 答えはもう出ているのに、その答えを目の前で隠される。

 手の届く所にある届かないものを、あからさまに見せつけられている。





「本当にロクな死に方が出来ないのかと聞いているんです」




 声に怒気が混じる。声がトゲトゲして触って物は何でも傷つけんとしている。

 先輩が、何よりも嫌っていた言葉の使い方だ。





「そりゃあしませんよ。母親が弟を産んだせいで死んで、擬地獄ぎじこくを受け入れたと思ったら自分が母親代わりになるなんて。正気の沙汰じゃありませんよ」





 水面下まで立ち込めていた何かに、心臓が浸る。





「あの子はもう、道を踏み外したんです」





 手にあった真っ白な丸い皿が、自然のままに落下していく。

 ひらひらと舞う距離もなく、くるくると回る時間もなく。無機質の割れ、破片に代わっていく。





 その光景を見届けず、ぼやけた音だけが耳に届いた時。

 私は、死神の胸ぐらを掴んでいた。




 黒いTシャツが引っ張られる。皺が寄る。

 死神は微塵も慌てない。不為ふためかない。これっぽちも驚きはしない。

 怒りが消化できず、憤りを分解できずにい続ける私を、冷ややかな目で見下し、見下ろす。

 胸ぐらを掴んでおいて、私はそこから動けない。






 落ちている小さな破片が、左の親指に刺さり、痛みが生まれる。





『情動を死神にぶつけて何になる』

 頭でそれを分かっていて、理性が感情を押しつぶす。

 そこから逃れた一握りの感情が、私を一瞬だけ動かしていた。




「あの子は、たったの四歳なんです。それなのに、誰かのために生きる覚悟を自分で決めたんです。そんなに優しい子がどうして死ななくてはいけないんですか」




「なにも今すぐ死ぬわけじゃないですよ。どうせいつかは死ぬのに何をそんなに」





「死ぬなんてことは分かってます! あの子には、先輩の家族には、死ぬまで幸せになってもらわなきゃいけないんです!!!」





 胸ぐらを掴む力が強くなる。悔しさと絶望に比例して。

 私にはどうしようもない。人が死ぬ運命を変える力なんて持っていない。

 だからせめて幸せでいて欲しい。いつか死ぬならそこまでの道筋は、笑顔で溢れて、心が満たされていてほしい。

 それが誰しもの、誰もが思う願いなのだから。










「それは、大事な事なんですか?」










 色のない声で、死神が問う。












「あなたは幸せになってほしいと言っていますが、それはならなきゃいけないものなんですか。それはあの子たちの望んでいることなんですか」





 訳の分からない言葉の並びに戸惑う。

 望んでいること…………『ですか』……?










「あの子がいつ幸せになりたいと言いましたか」



 死神の顔を見る。死神は天を見上げている。



「『幸せ』とか、『生きる意味』とか。なんで人間さんはそんな物に拘るんですかね。悔いの無いように生きろとか人に誇れる生き方をしろとか。煩わしいったらありゃしない。目の前にあるモノすら大事にできない人間が、幸せを語りながら一生なんかを大事にできるんですか? 



 幸せであることは義務なんですか? 無いよりマシってだけでそう言ってんならクソくらえってもんですよ。



 責任を伴わない義務は『存在するべきじゃない』。幸せでいることが義務なら、幸せでいることに責任を持ちなさい。義務じゃないなら勝手に押し付けるな。

 むやみやたらに希望論だけ語って、そんな無責任で脆弱生物が、何を当然のように語ってるんですか」




 私の手首を掴んだ死神は、強引にそれを首元から引き離す。

 死神の顔に張り付いていた笑顔はそこにない。



 何もない。

 何ものでもない表情が、顔を覆っていた。





 ――――――――





「そんなことが昔あってね。そう考えるとあなたの彼との出会いはこの時だったのかもね」



 静かに暖かい笑みの叔母さまは、母さんのは、優しかった。

 今も昔も変わらない。オレンジジュースをくれたあの時も、手作りの紅茶を振る舞ってくれる今も。

 死んでも尚この人は優しくあり続けている。





 遠くから夕方の定刻を知らせる鐘の音が聞こえる。





 私の中でこの記憶は曖昧に保管されていた。大きくなってから何度か思い出すタイミングはあったけど、夢か現実か判断できていなかった。

 四歳の時の出来事だったし、自分のことでいっぱいいっぱいながらにやりきっていたのだろう。



 それと、これもなんの確証もない記憶だけど。

 私は、自分でがある。それが夢と勘違いしていた原因だろう。




 お姉ちゃんをやめると決めた私は、そこからお姉ちゃんたりえる記憶を消そうとした。

 しかし、消しきれずに奥隅に追いやられて封印に近い形で放置されていたということだろう。

 その封印が今解けた。解いたのは母さんの親友の記憶だった。





「昔の死神は、今より、なんというか、冷徹ですね」



 バラとスミレの描かれたカップに触れる。紅茶から湯気はもうたっていない。



「そうね。まだちゃんと話せてないけど、あなたといる彼は随分と丸くなって可愛げがあるわ」



「あいつに可愛げなんてありませんよ。嘘と皮肉ばっかり言ってきますから」



「皮肉は私もたくさん言われたわ。でも、その皮肉で色んなことを学んだわ」




 死神の皮肉は、我儘みたいでこじつけみたいだ

 耳が痛くて聞き難い。そんな理解したくない本質を、死神は手放さない。

 良薬は口に苦い。あれらが苦いのか良薬なのかは分からないけど。

 あれらは、簡単には飲み込めそうにないものだ。




「そうだ! あなたに渡しておかなきゃと思ってたものがあるの」




 母の親友は、彼女の鞄の中からボロボロの手帳を取り出す。

 背表紙からを開いて取り出したものを数秒眺めて、微笑み、私はそれを受け取った。




「あなたと会うことがあったら、これを渡そうと思っていたの。死因でからでも想いが実ってよかったわ。それは死ぬまであなたが持っていて」





 渡されたものは、チェキプリントされた小さな写真。

 生まれたばかりの私と、その手を握る母と、後ろで鼻水を垂らして泣いている父の、






 初めての家族写真だ。

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