後輩の記録(1)聞こえない顛末
何週間か経って、冬。
気温が着々と下がっていくなか、手足が冷たく鋭くなっていくような感覚が、今年はどうも鈍いような気がする。
毎年私を悩ませていた、凍てつくような寒さが今年はない。
顔を引きつらせる空気も。優しくない夜も。
こんなふうに、私が急に寒さに疎くなったのは、先輩がいなくなってしまったから。
そして、死神に憑りつかれたせいで、寒さに慣れてしまったから。
死神と病院で出会った次の日、私は早朝から悪寒に襲われた。
秋口の寒さでは説明しきれない寒さに身震いして凍えていたところに、死神が現われ、こう説明した。
「その『悪寒』は死神が憑りつくと必ず現れる症状です。それを感じる限り死ぬことは変わりませんが、死ぬまでの期間はまだ残っているという証拠でもあります」
昨日と変わらぬ笑顔で、死神は何事もなく〝死ぬ〟と、私に伝えた。
実感はない。体も悪寒以外は好調だ。
熱もだるさもないし、意識もはっきりしてる。ごはんもきちんと食べれた。
仕事にも行って、帰りに買い物をして夜中に荷物をまとめる余裕もある。
もうすぐ死ぬなんて微塵も思わない。
けど、いつか死ぬという未来に、一秒後を含めることはできた。
「随分と熱心ですね。ふつう信じなくて動かないのに」
「目の前で人が亡くなるのを見たばかりですから。今まで通りに命を考えることに違和感が出来てしまいました」
「それはいい心がけです。多くの人が明日もある保証のない命に感けて蔑ろにして、そのまま知らぬ間に死ぬのがオチですから」
「人の生き方が嫌いなんですか? 悪態付きまくってますけど」
「人の生き方が嫌いという訳ではないですよ。人の命の考え方が嫌いなだけです」
バランスボールで仰け反っている死神は、些か人間のようだ。
だが、それにしては覇気がない。
いや、覇気がないというより纏っている空気というか、雰囲気というか。
存在という概念が当て嵌められない空間が、そこにいる。
それは死神と合わせて移動する。死神の体の輪郭に沿って存在する。
「摩訶不思議」だけが、それを言い表せる人間の言葉だった。
「ところで、この間言っていた『やるべきこと』はどうなったんですか」
「あー、あれですか?もうとっくに終わりましたよ。三つしかないのに、三つとも全部急いで終わらせちゃうんだから。こっちとしては暇だのなんの」
「死ぬ期間を早めたりはしないんですか? 健康体の命のほうが栄養価が高いみたいなことは?」
「どこからの受け売りですかそれ」
バランスボールから流れ落ちると、死神はお腹を抱えて笑い出した。
それはもう盛大で壮大に。そんなに笑うこと、人生全部通してもそうないぞ。
ってくらいの大声で。
「何か、私変なこと言いました?」
転げまわるほどの面白さがあるとは思えないのだが、死神はどうも気に入ったらしい。
というか、ツボにはまったらしい。そのせいで若干過呼吸気味だ。
「いぃやw、だって、命に栄養なんてある訳ないじゃないですかwww。そんなww人間の勝手な想像と、本物の私たちを一緒にしないでくださいよ。あっははははははwwwwwww」
妙に癪に触ってくるセリフも、高そうな自意識も、触らなければ噛みつかれることもない。
楽しそうに笑ってたということだけ覚えておこう。
「あの、じゃあ教えてほしいのですが、結局私の『やるべきこと』は何だったんですか?」
お腹を押さえたまま、左手で涙を拭き取った死神は、明るい声で質問に答える。
「あなたのやるべきことは『女子会をする』『遺書を残す』『4キロ歩く』です。遺書以外1日で終わりそうなものばかり。結果として本当に1日で終わりましたけどね」
「死ぬ前にやる事としては随分あっけないというか、簡単な事ばかりですね」
「あなたの場合は至極全う。所謂〝普通の人生〟でしたから。そこまで難しいこともありません」
「〝普通〟じゃなったら、難しくなるんですか?」
「まぁ、それなりに」
今度は胡坐をかいて、死神は再びバランスボールに搭乗。そして大きなあくびをする。
死神には、私の死も、話の内容も、さほど興味がないみたいだ。
それなりに。その言葉が、何だか怖かった。
「淡白ですね。言葉も声の張り方も」
「生憎ですが、鶏むね肉はあんまり好きじゃないです。やっぱり肉は生で血が滴っていないと」
「急に死神チックなこと言いますね」
「いいホラー加減でしょう? 死神ジョークってやつです」
そんな言葉今までで一度も聞いたことない。
いや。死神そのものと話すこと自体ファンタジーだし、当たり前か。
「あ、一応言っておくと、亡くなったあなたの先輩の、お姉ちゃんでしたっけ? 先に生まれてた女の人間の子。あの子は碌な死にかたしませんよ」
その文章は、上手く鼓膜を揺らさなかった。
「お姉ちゃん」「碌な死に方」「しません」
その言葉だけが、脳に届いた。
「どういう意味ですか?」
「そのまんまの意味です」
心臓が、息を止める。
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