死神振返り

母親の断片(1) 穏やかな記憶

「男の子ってわんぱくなイメージだったんだけど、お腹にいるときからそうなのね。毎日蹴られるの」



 昼と朝の間。

 外は晴れ間。何処からか静かな風が、真っ白なカーテンを揺らす。

 夏が過ぎて秋に入り始めても、風はまだほんのりと暖かい。

 歩道に植えられた木々の葉はすでに枯れ落ちて、用務員のおじさん二人が朝からせっせと掃いている。

 陽が短くなって夜の時間が長くなる。度々不安を考え込んでしまって怖くなるけど、私のお腹には、命より大事な命がある。




 この子のためなら私は何でもできそうな気がする。




「ちゃんと母親にならなきゃね」



 あの子も、ちゃんとお姉ちゃんになろうとしてるんだから。



「いよいよ出産予定日ですけど、体調はどうですか」



 いつも優しい笑顔で話してくれる後輩も、今日はちょっとだけ不安げだ。



「どうだろうね~。前回は一週間遅れたし、もしかしたら今回もそうなるかも」


「上の子は産まれてからものんびり屋さんですもんね」


「のんびりしすぎて心配だけどね」




 町の小さな産婦人科。海の近くで、夏には潮の匂いで一杯になる病室で私は出産のため入院している。

 悪阻がひどかったり、食事を真面に取れなかったりしたけど何とかここまで無事にやってこれた。

 一度無事に出産したとはいえ、無事に産まれてきてくれるまでは気が気じゃないし、産まれてきてからも不安はずっとある。

 この子が、お腹の中で一人で成長して、それに気づいた時から、私はもう死ぬまでお母さんになる。

 大きくなって、いつか成人しても結婚しても白髪が生えてきても、私はこの子と上の子のお母さん。

 ずっと心配しながら死んでいくんだろうな・・・・・

 なんだか残酷な気もする。残酷で、可愛そうな運命な気もする。




「でも、私って、恵まれてるんだろうね」


「確かに、先輩は超売れっ子小説家として大きな賞も取ったり、経済的にも相当高い地位にいると思いますよ」


「ううん。そうじゃなくてね」




 そう。そんなことじゃない。お金でも、輝かしい賞も恵まれてはいるけど、それ以上の事が、私の周りにはたくさんあった。




「私って、本当に恵まれてるなって」




 私は、本当に恵まれている。

 優しい母と手厳しい父に育てられて、大きな病気もなく、すくすくと大きくなった。

 学校で喧嘩はしても、いじめられることはなかった。

 友達も多くはいないけど、今でも一緒に遊ぶ友達も、こうやってお見舞いに来てくれる後輩もいる。

 高校生の時には、夜遊びして、反抗もして。その度に父と大喧嘩した。

 大学まで行かせてもらったし、人並みの恋愛も経験した。

 フラれたし、フッたりもした。

 無事に就職もできたし、ずっと書いてた小説で新人賞を取って、憧れの作家になれた。

 色んな人が、私の作品を、小さな机で書いた拙い世界を好きだと言ってくれた。

 何冊かは映画化もしてもらえたし、ドラマ化もしてもらえた。





 それに、何より、




 大きな問題もなく、私はこの子たちを授かれた。

 妊娠が出来なくて泣きながら必死に努力する方々がたくさんいる。

 妊娠しても、何の前触れもなく突然赤ちゃんが死んでしまうこともある。

 親が出産を、認めてくれないこともある。

 望まない妊娠も、育てられない環境も、奮ってしまう暴力も、制限される生活も。



 世の中にはたくさんの壁があって、障害がある。

 どうしても自分の力だけではどうしようもないことばかりだ。

 でも、私には最初から全部あった。

 親も友達も学校も社会も友人も旦那様も子供たちも。

 私は、すべてに恵まれた、恵まれすぎているほどの、恵まれた。




「だから、何か恩返しがしたくてね」


「出会った時から何にも変わらないですね。先輩は」


「そうかな?そんなことないと思うけど」


「変わりませんよ。いつまでもお人好しなところとか」


「これお人好しっていうのかな」


「お人好しですよ。好しすぎて胃がもたれそうです」


「ひどい感想だな~」


「感性が豊かと言ってください」




 こんな他愛もない会話で、私は、私たちは笑いあえる。

 これも幸せで幸福で幸運な事なんだって。

 子供を産んでから思うようになれた。

 この子たちが大きくなって、学校通えるまでは仕事はやらないけど、落ち着いたらまた書こうとは思ってる。





 次の小説のテーマは、家族愛にしようかな。

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