第19話 孤独では生きれない。必ず何処で邪魔と出会う。
「狭いところだけどごめんね。一応営業中だから、お店を離れるわけにはいかなくて」
「あ、いえ。そんな」
立ち話も早々に、私は店の裏に通された。
六畳ほどの小さな事務所。壁際の長机にパソコンとポットとお茶菓子。
それと女性のものと思われるカバンと、椅子が三つ置いてあるだけ。
物が少ないせいか、実際の部屋の大きさより広く見える。
「適当に座って。いまお茶を入れるわ」
「あの、お手伝いします」
「何言ってるのよ。お客様にお茶出し手伝ってもらったら、お店としても年増としても恥ずかしいことよ。あなたは大人しく座ってて」
穏やかで屈託のない笑顔に力が抜けた隙に、ぐいぐいっと椅子に押し付けられる。
既に成人してもうすぐ齢三十になろうとしている身としては、少し後ろめたいのだが。
しかし、ここで無理にやろうとしたらそっちの方が迷惑になってしまうだろう。
ご厚意に甘えさせてもらおう。
「ところで、一つ聞きたいのだけどいいかしら?」
「はい。なんでしょう」
トレーに乗ったカップからうっすらと湯気が出ている。ほんの少しリンゴの匂いがする。
お手製の紅茶なの。と叔母さまは優しく微笑む。
「ありがとうございます。頂きます」
紅茶の絶妙な甘さが口の中から鼻を通り抜ける。
えぐみのないリンゴの甘さのあとに、ほんのりと辛みが伝わってくる。
紅茶そのもので、既に完成されている。
砂糖やミルクを入れてしまえば一気にバランスが崩れてしまうだろう。
すごく美味しい。上品で華のある味だ。
「一緒にいた全身真っ黒な男性。あの方は、あなたの旦那様?」
ゔぇ⁉
含んでいた紅茶が入ってはいけないところに流れ込んで、噎せ返る。
「そんなに驚くことだったかしら?」
いや、そんなに驚くことですよ。
死神が旦那って。いやそれより、この人は死神の真っ黒い格好が見えていた。
それはつまり......
「見えているんですか?」
咳き込みながら叔母さまに質問で返す。
「あら、もしかして見えてるって言っちゃいけなかった?」
「できれば言って欲しくもないことです」
命的にも関係的にも。
「あらそうだったの!ごめんなさいね!てっきり新婚旅行だと思って」
満面の笑みで嬉々として笑うこの人には、多分悪気も裏表もない。
純粋に聞きたかったから聞いただけ。本当の意味で天然なんだろうな。
ピュアというか、素直という
「ごめんなさいね、びっくりさせちゃって」
「いえ、まさか私も他の人に見られると思ってなくて。必要以上にびっくりしてしまいました」
紅茶を置いて口元を拭く。
ホントにびっくりした。
隠す理由も時にないけど、自分だけに見えてるものって、次第に隠してるという認識になってしまうのか。
ベッドの下にエロ本を隠してる思春期男子が、母親に発見された時の気持がわかったような気がする。
「でも意外ね。とても仲良さそうに見えたから、てっきり私のことも聞いているものかと思っちゃって」
「あなたのことに関しては何も聞いてません。あいつは毎度連絡しないで有名なので」
「あら、そうなのね。だから私が見えてることに驚いたのね。なるほど。それで合点がいくわ」
「あいつのコト、知ってるんですか?」
「知ってるもなにも、私はあの子の最初の仕事相手よ?」
最初の・・・・仕事相手・・・・・?
「私、もう死んでるの。お盆中にあなたを任されたから、特別に今日だけ普通の人にしてもらってるの」
伏線とは、見つけられる罠だ。
注意深く観察して、覚えておけば答えを解くヒントになる。
ただし、それは死神の知識には含まれない。
死神に伏線が要らない。なぜなら張る必要がないから。
死神は常に、答えだけを丸投げする存在だから。
・ ・ ・ ・ ・
「あの子との出会いは、私がまだ二十代後半くらいの頃かしら?」
コップから上る湯気を吹いて、叔母さまは目を細める。
「誰だって聞いてもないのにいきなり表れて『死神でーす』なんて言うものだから。普通なら混乱するけど、その頃はちょっとあってね。すんあり受け入れちゃった。そのまま勢いで私が死んじゃうってことも聞いちゃった」
「怖くなったりしなかったんですか」
「怖い以前に、実感が湧かなくってね。理解はできても受け入れるまでは時間がかかったわ」
叔母さまは優雅に紅茶を啜る。上品香りがこっちまで流れてくる。
「でも、心が決まった、いいえ、多分心は決まってなかった。でも動かないとやってられなくて『やるべきこと』は一週間くらいで終わっちゃった。そのせいで長いこと暇しちゃったけど」
どうやら、死ぬまでの期間は疎らなようだ。この人は話の中だけでも少なからず一週間以上は死神といる。
私は、今日で三日目。残りは、一日と十数時間。
「残りの時間は、何をしていたんですか」
「まず、遺品の整理でしょ。あと遺書も残して、妹と弟にも連絡して職場も辞めるって言っておいたわ。それで殆ど終わっちゃってね」
私は、何も用意できてない。遺書も書いてないし、連絡なんてもっとできてない。
死に際でいつまでも迷っていられないって分かってるけど、
それでも、私は逃げて、我儘なままでいる。
紅茶に浮かぶ自分の顔を睨む。
大層な別嬪さんでもない私は、いつまでも臆病で言い訳を続けている。
死神と出会ってからだってそう。
思ってることを言わないようにって、そうしながら一緒にいる。
偶に言えたと思ったら、何だかイヤな気分になってまた逃げてしまう。
「だから、あれは最後の、一日だけ我儘だったのかしらね」
叔母さまは私を見ずに、声だけを真っすぐ飛ばしてきた。
「十月の七日に、あなたのお母様に最後のあいさつに言ったわ」
十月の七日。弟が生まれたこの日に、母は死んだ。
「その日の朝。お母様と話したわ。私にとっても彼女にとっても、最後の談笑ね。」
ここから先、当分は過去の話である。母の生きていた、過去の話だ。
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