第17話 過去と今には君がいる。未来の君は、どこにいる。

「どうしてここに連れてきてくれたんですか」



 霊園内の小さな楕円の屋根の建物。普段はここで故人を弔う会が開かれる。

 なかなかに大きい会場だが、人がいなければ、だだっ広い部屋でしかない。

 供物と墓の掃除を終えた私たちは、炎天下を主催する太陽様とはそりが合わず、空調の効いたここに逃げ込んだ。



 汗が引いてペットボトルのお茶を半分飲み干した頃、私は死神に質問した。



『やるべきこと』だから。それは分かっているが、もし理由があるなら聞きたい。

 それだけのことだった。



「『やるべきこと』だったから。が、あなたの欲しい答えではないでしょうね」


「また便利術ですか?」


「いいえ、ちょっとの観察と相当量の勘です」



 三人掛けの椅子の一番左に私。その一つ隣に座っている死神は、一気にリンゴジュースを飲み干す。

 そのまた一つ奥では、スポーツドリンクを握った死神が髪をほどいて項垂うなだれている。



「『やるべきこと』だったのいうのは本当です。でも、今回のは同時に弟さんの頼みでもあります」




 弟の?




「弟さんは、今となっても死神が見えてしまうようなのです。そしてありがたいことに、弟さんは我々を死神と知ったうえで、普通の人と同じように接してくれます」



 立ち上がった死神は、殻になったリンゴジュースをゴミ箱に投げ入れる。

 リンゴジュースは空中で微動だにせず、綺麗な軌跡を描いて、ゴミ箱に吸い込まれていく。



「なので、時々暇つぶしの相手をしてもらってます。死にもしない人間の近くにいると色々不都合が生まれるので、本当に時々ですが。そしてこの度、あなたを迎えることになりました。要らぬ心配ではありましたが一応それと大まかなルールを伝えたところ、あなたをここに連れてきてほしいと。偶然項目と同じなのでお受けしただけです」




「寿命のことは、話しましたか?」


「いいえ、その辺はなーんにも。特に言う必要もないかなと思ったので」



 そっか。それならいいや。

 自分のせいで死ぬだなんて思ってほしくない。知らなくていいままのことだってある。




「今すぐ伝えることもできますよ。やりますか?」


「いいえ、必要ありません。私が死んでも言わないでください」




 そう、本当に必要のないことだ。弟が長生きできるなら、それでいい。




「弟さん、ひどく後悔してましたよ」



 後悔? 何を後悔していると?



「例のコトが起こって終わって落ち着いてから、あなたが変わってしまったことを悔やんでいるみたいですよ。弱さと戦えなかった自分が悔しいって」



 弱さだなんて。その件にどこにも弟の落ち度はない。

 悪いのは気の狂った祖父母だ。

 弱いものを執拗に狙って、追い込んだ糞ジジイと糞ババアがいけないのだ。



「何にも悪くありません。弟は、本人が一番の被害者なんです」


「えぇ。私も彼にそう言いましたよ。悪いのはあの二人だって。そしたら、『家族を信じなかった自分にも責任がある』って」




 行き場のない衝動が込み上げる。


 どうして、弟は自分を責める。


 あんなに怪我を負わされて、怖い思いをさせられて。


 命まで奪われそうなったのに。






「ただただ、悔しいって」







 死神が言葉を繋げる。







「姉さんを苦しめてしまう今を作ってしまった、自分が悔しいって」







 弟は優しかった。

 いや、もはや優しいという表現では生温い。

 いつも暖かくて穏やかで、包み込むような雰囲気で溢れていた。



 弟には友達も多かった。登校中に同じクラスの子がいれば、皆が弟におはようと言った。



 帰り道はいつも誰かと一緒だった。

 五人くらいの集団で帰ることもあれば、一番仲のいい子と二人の時もあったけど、常に弟の隣には誰かがいた。



 小学校にいる間、弟はずっとモテモテだった。

 学校で告白されれば何日でも悩んで、真っすぐな答えを返した。

 何通もらったかも分からない恋文には、何度も何度も書き直して一番きれいな字の手紙を返した。



 控えめで、友達もいない私とは正反対だった。

 羨ましかったし、コンプレックスも感じてた。



 でも、弟は、自慢の弟で、私の誇りだった。

 誰にでも誠実で、真っすぐで。素直な弟だった。

 弟は、それまで嘘だってついたことはなかった。

 だから、弟の嘘は、あの時が初めてだった。

 弟はしばらく学校に行けなかった。

 怪我も治さなきゃだし、簡単には治らない心の傷は、数えられないほど。

 その間に、弟のいない学校で噂が流れた。




「弟は暴力を受けて入院している。弟を妬んだお姉ちゃんがやった」





 つらかった。





 罪のない自分を勝手に犯人に仕立て上げた子供たちは、恐ろしかったが怖くなかった。


 怖かったのは、自分が弟の邪魔になってしまっていること。


 弟はこれから大きくなって、苦労しても、人より大きな幸せを掴むべき存在だと、私は思っていた。


 だから、自分が害になると思い込んだ私は、弟から離れた。





 弟の幸せに私は必要ない。いてはいけない。

 姉として、家族として。弟の近くにいるのが怖かった。





「それで、ずっと弟さんから距離を置いていたと」





 死神は俯瞰する。同情することは絶対にない。



 それはあってはならないし、あることがありえないこと。




 霊園を出て、車の中。




 夏はまだまだとめどなく、月と太陽に合わせて、巡り、巡る。


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