「なぜ小説を書くのか」に対する自分なりの“らしい”答え
『ERAZER Reboot』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054892070344
先日自作に久方ぶりの感想をもらいまして、あー嬉しいなと。もちろん自分にとって耳ざわりのいい言葉が書いてあったからこそ嬉しい──というのは大前提なのだけれど。
一番良かったなと思ったのは、感想をもらうとかいうきっかけでもないと六年や十年前に書いた作品を読み返すって中々ないのですよ。
で、本来であれば人って記憶を美化しがちなんですけど、私の場合はとんでもないものを書いていたに違いないと思い込むというか、やたらと過去作をいまの自分から切り離したがるというか、縁のないヨソの子として扱いたがる傾向があるのだけれど。
読み返したらね、案外悪くなかったです(笑)
もちろん手放しでコイツはすげぇやと喜べるような出来でもなかったのだけれど、それでもね決して悪くはなかった。記憶に置いておいたそれほど粗悪ではなかった。
どうして小説を書いているのだろう──と自問することがままあるのだけれど、一応自分なりにひとつの答えは出ていて。感想や評価をもらって嬉しいのはまあ大前提として、ああ自分の作ってきたものって案外悪くなかったなぁと。
自分のこれまでってそんなに悪くはなかったなぁと認識し続けるためにこれを書いているんだろうなという気はしている。
多分ですけど、周りからの評価を主たる原動力にできる人の方が、絶対人生楽なのですよ。何が楽ってスパッとやめられるから。あっ、これやっていても誰も応援してくれない、注目してくれない、じゃあ切るかみたいな。止める理由に思い悩む必要がないので。
だから、主たる原動力をそれ以外にもっているタイプの物書きは楽に死ねると思うな。
今回はそんな感じ。ではまた~。
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