あの夏の在り処 『棗の実がなるとき』

【作品情報】

『棗の実がなるとき』 作者 Askew

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054888695887


【紹介文】

 ある日、僕は空気になった。

 朦朧とした境内で、揺れる階段を眺める日々。

「ねぇ、キミこんなところでなにしてるの?」

 凛とした声が僕に輪郭を与えた。

 夏の日に、少女は秘密を持ってやってくる。

 棗の実がなるとき、僕は与えられた輪郭を失った――。


「もうじき夏も終わるなぁ」と思った折、ふと読み返したくなったのです。

 八月の末とはいえ、まだまだ暑さ厳しい頃合いですから。夏を舞台とした件の作品に、また新たな発見があるのではないかと。そんなふうに思いまして。

 ちゃんとした人間でなかった"僕"は、何もそこに縛られていたわけではないのです。他に居場所を知らなかったと云いましょうか、動く気力も湧かなかったと云いましょうか、そこを後にする意味を見出せなかったと云いましょうか。

 動いたところで、一体何になるというのか。


 どうせ、逆しまになったあの世界で、彼の手を取り直せるわけでもあるまいし。


 そんな──如何に云い繕うと心地良いとは呼べぬその場所が、彼女との出逢いによって"輪郭を与えられた場所"として塗り替えられる。新たな色彩が加わる。


 忘れられない、夏が始まる。


 ところで──皆様は小春日和という言葉をご存じでしょうか? はい、晩秋から初冬の暖かな日和を指す、その意味を初めて知った十人中十人が「いや、春の季語じゃないんかい」とツッコまざるを得ない、あの小春日和にございます。

 あれは、文字通り小さな春を指しておるわけでして──。

 とどのつまり、秋の中にも冬の中にも、そして恐らくは夏の中にも、小さな春はひそんでいるのでございます。春が終わって夏が来る、夏が終わって秋が来る──ではないのです。季節ごとに途切れたりはしないのです。


 ──首元の白いうなじには大粒の汗が光っていた。

 

 今ひとたび、二人で泣いたあの夏に帰ろう。

 四季は繋がり、移ろうものなのですから。それぞれが終わりを迎えはしないのですから。

 あなたのなくしてしまったあの夏も、きっとこの夏の何処かにあるのでしょう。

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