【心配はかけていい】今さらだけどweb小説をピュアな目線で読むのって結構難しくね?
タイトル通りの話をします。多分。たとえばweb小説でも全く交流のない方の作品、あるいは交流があったとして凡その"中の人"事情の把握までには至っていない方とかの作品であれば、純粋な目線で内容を楽しめるというか、「あ~いいですねぇ」で済むわけでして。
ただ、"中の人"事情にある程度踏み込んじゃってる(と私が勝手に思い込んでいる)とね。
作品として面白いとか、出来がどうこう以前に「お、おっと?」って思っちゃう瞬間がある。
その「おっと?」は良い意味なのか悪い意味なのかって訊かれたら、一概にどちらだとも云い難く(そもそもその「おっと?」の多くは私の杞憂に終わる)──まあ、色んな意味で伝えづらい箇所はぼかしてゆくとして、これ何も「ピュアな目線で作品を楽しむことができない! アゥッアゥオゥウア゛アアアアアアアアアアアアアーーーゥアン!」と某号泣会見さながらに悲愴をブチ撒けたいのではなくて。
「結構難しいよねー」というただの感想だから。捉えようによっては、他の人には中々できない楽しみ方ができるというだけの話だからね。だったらそれもまた良しって、その程度のお話(一瞬「芸術は作家の生い立ちとか、作品の成り立ちを知ってた方がまた見る目も変わって面白いしね」とか続けようとして止めた。近いようで違う気がしたので。あっちはたとえ同じ時代を生きている作家であっても「あの表現にはこれこれこういう意図があったんですか?」って答え合わせするのが難しいじゃない? 一方、web小説の方はその作者さんにもよると思うけど、答え合わせしようと思えばできるじゃない? だから、こっちの場合はできるっちゃあできるんだけど、あえて答え合わせをしない面白さみたいなね? 今ここまで書いて、自作語り他人の見る分にはいいけど自分がするのは何だかなーって渋る理由がちょっとわかった気がする)。
で、最近もう一個気づいたことなんだけど、「心配」と「安堵」は似てるなって、何なら心配の中に安堵はあるなって思った。
──急に何云い出してんのこの人って感じだろうけど、まあ聴いて(というか読んで)。いや、別に厭だったら聴かなくてもいいんだけど(どっちやねん)。
たとえば、あなたが誰かのことを気にかけているときって、その誰かに脳のリソースいくらか割いてるわけでしょ。一方安堵はというと「よぉーし! アイツはもう大丈夫だ! だったら、アイツのことはもう二度と気にかけなくていいな! グッドラック!!」っていやいやいきなりそうはならんやろ。大丈夫だ心配ないって、自分に云い聞かせたあともしばらくは思考の対象として居残ってるでしょ。ある程度脳のリソース割いてるでしょ。
あれ? コレ同じじゃね?
──うん、些か屁理屈めいてはいるけど、少なくとも私の中じゃあこうなんだよ。
脳のどこがどう活性化しているとか、そういうレベルの話はこの際抜きにして、私の中では──思考のパターンとしてはどっちもどっちなのよ。
つまり何が云いたいかというと、たとえば──聞こえ悪いかもけど、あなたが日頃心配をかけている側だとしてね? 相手を安堵させたいがために虚勢を張るとか、嘘をつくときってあると思うんだよ。けど、(あくまで私の理屈上)心配と安堵って似たり寄ったりだから、その相手だってあなたを心配する気持ちの中に安堵を見出す瞬間だってあると思うねんな。そう考えると、向けられた心配を悪いものと見なして無理に払拭しようとするのも、何か──違うかもしれないねって。
もちろん嘘をつくのは自由意志だし、つき続けていればいつかそれがホントにすり替わるかもしれないから、どうしてもつきたくてつく分には止めはしないけれど。ただ、飾らず今の自分を申告することも良いのではないかなと思った。心配と安堵に大差なんてないんだし。多分だけど。そんな気付きめいたものを得た六月某日。
──何かこの人、日毎に自論変わってない? って思われてそうだけど、そんなん当たり前だろう。姫乃只紫は日々アップデートしているのだから。どうだ羨ましかろう。
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