きみの物語になりたい

拝啓 コバヤシ様


 直接話をするのが苦手なので、メールで書きます。


 映画の話を聞いたとき、驚きました。そうは見えなかったかもしれないけど。

 俺、君に嫌われているだろうなと思ってたから。嫌われて当然のことをしたから、それは別にいいんだけど。


 そんな俺に出演を頼むなんて、正直、すごいなと思った。良い作品を作るために、私情を挟まずに、選んだんだなって。

 同時に、少しだけ、妬ましくもなりました。


 君は知らないだろうし、知らなくてもいいことだけど、少し前に、ある教師に言われたことがあります。


「オオモリとコバヤシって、正反対の名前で、性格もまるで反対なの、面白いよな」

「オオモリはクラスの人気者。コバヤシは影が薄いタイプ」

「まあ、コバヤシはああ見えて、誰にも負けないくらいのめりこめるものがある。そこもまた、オオモリとは正反対なんだよなぁ」


 それまで、君のことを認識したことはまるでなかったけど、それを聞いてから、君のことを、少しだけ意識して見るようになりました。君は別クラスのイズミという人と、仲が良いこと。食堂への行き帰りや、下校の時は彼と一緒に行動していること。いつもどこかぼーっとしているところがあるのに、彼と話すときは、とてもイキイキと話をしていること。誰かと話をするとき、ドモってしまう君が、ハキハキと彼と話しているのを見たときは、少しだけ、驚きました。

 君は、放課後すぐに帰ることを知り、「君って何部なの」「帰宅部なら、帰った後何してるの」と、君に直接聞いたことがあります。君は、「え、え、映画……」と言ったきり、何故か肩をすぼめてしまいました。

 映画の何が面白いんだろうと思って、その後何回かレンタルビデオショップに足を運んだけど、どれにも興味が持てず、いつも何も借りずに帰りました。


 俺、サッカー部に入ってるけど、別にサッカーが好きなわけではなくて。仲のいい奴に誘われたから入っただけで。サッカーの大事な大会が、テレビで放送されるときも、別に見ないし。

 部活が終わって家に帰っても、特にやりたいことがあるわけでもないし。部活に入らず、毎日真っすぐ帰っていたら、寝るまで毎日暇だったろうなと思う。そこだけは、部活に入って良かったと思うけど。


 俺、好きなものや、興味を持てることが、本当に、何にもなくて。

 あの教師は、そのことを知っていたから、俺と君は、正反対って、言ったんだと思う。


 それに気づいたとき、君のことが嫌いになりました。夢中になれる何かがある君が、妬ましかった。

 映画という、誰にも負けないくらいのめりこめることがある君が、心から、妬ましいです。


 今まで、特段他人にも興味を持ったことがありません。仲が良いやつはいるけど、明日からそいつらには会えなくなります、って言われたとしても、そっか、で終わってたと思うし。

 そんな俺が、初めて、他人に特定の感情を持ちました。それが、君です。

 自分でも、こんなこと初めてだったから、ああ、俺は人を嫌いになると、こういう行動を取るんだな、と、あの日、知りました。

 君と、商店街で会ったとき、「オオモリくんのこと、嫌いじゃなかった」と言われて、また、驚きました。俺と君は、ほとんど話したこともなかったから、君が俺のことを認識しているなんて、思わなかった。


 君は、あの日から俺を嫌いになったと思う。でも、それでも良いよ。

 誰一人にも嫌われない人なんて、いないんだろうと思うし。




 長くなりました。

 とにかく、引き受けたからには、ちゃんとやるつもりです。君が、映画の何にそんなにも魅力を感じているのか、知りたいし。

 ちゃんとやれなかったら、クビにしてくれて良いから。


 明日の顔合わせ、よろしく。


*****


 長いメールを読んだ僕は、目を何回も瞬いた。いつも、一言二言、必要最低限な単語だけで話をするオオモリくんが、こんなに長く、自分のことを話しているのが、イメージに全然そぐわない。

 それに、クラスの中心的人物で、あの事件以前は僕も格好良いとすら思っていたオオモリくんが、僕のことを”妬ましい”だなんて、驚いた。

 でも、オオモリくんの正直な気持ちを知って、今までの僕の”オオモリくん嫌い度”を85とすると、それが80くらいに、なった、気が、する。


 なんて返信をしたら良いのか分からない。明日会うんだし、返信を求めている内容でもないし、返信しなくても良いかな、と思いつつ、うだうだとメールの文面を眺め続けてしまう。


 文中の、どの映画にも興味を持てなかった、のところが目に留まり、20分くらい悩んでから、短い返信を送る。

「初心者向きの、おすすめ映画を貸したら、見る?」

 返信は、すぐに来た。

「見る」

 必要最低限の超短文メールは、オオモリくんのイメージにピッタリだった。


*****


 ウォーキングの後、映画制作の打ち合わせのため、そのままブックカフェへ行こうと思う、と、妻に話すと、「あんなに汗だくで飲食店に入る気!?」と言われ、正気か! と怒られた。確かに、ウォーキングの後、帽子を脱ぐと髪が汗で全体的にぺったりとしていることには気づいていたので、しゅんとしてしまう。「やっぱり、ウォーキングは打ち合わせの後にします……」と小さな声で伝え、打ち合わせが終わりそうな時間を妻にメールで知らせ、カフェ前で集合する約束をした。


 今日の打ち合わせでは、コバヤシくん達が、主演候補の男の子を連れてきた。なんでも、コバヤシくんのクラスメイトらしい。彼は、「オオモリです」とだけ、必要最低限の自己紹介をした。

 私やコバヤシくんイズミくん、ソウタくんにマツダくんと、プロジェクト主要メンバー揃い踏みの中、いくつか質問を受けたオオモリくんは、これにも一言二言の、必要最低限の単語のみで答えた。その間、彼のつまらなそうな表情は特に変わることはなかった。何事にも冷めていそうな感じと、整った顔立ちと、サラサラで少しだけ長めの髪が、最近の若者っぽいなー、というのが、私の感想だった。どこかのアイドルグループにでも、いそうな気がする。

 マツダくんは、「良いじゃん。イメージにぴったり」と何度も頷き、ソウタくんも、「僕も、良いと思います」とニコニコしながら言った。私も賛成だった。「ストーリーを決めてから役者を決めた方がいい」と、以前アドバイスしたことがある。それがちゃんと守られていると思った。アヤノさんは、オオモリくんが来店した時点で既に、「おっとこまえやね~」との感想を述べている。

 皆の太鼓判を受けたのに、コバヤシくんは少しだけ浮かない表情をしていた。「……み、皆さん、い、良いって、言うだろうなって、お、思ってました……」と言いながら、言葉とは反対に、何故かガックリと肩を落とす。隣に座るイズミくんが、コバヤシくんの肩をポンと優しく叩いた。


 その後は、進捗状況と今後の予定を確認した。脚本の方は順調に進んでいるらしい。マツダくんが、プロットと、途中まで書いた脚本を印刷したものを、渡してくれる。マツダくんは、自分の作品を他人に読まれることに慣れていないらしく、顔を赤くして、下を向いてもぞもぞとしていた。

 脚本を読んだイズミくんが、「良いじゃないですか!」と、明るい顔で言った。

「正直、冊子で読んだ作品より、ずっとクオリティが高くなってると思います! すごいですね!」

 コバヤシくんも、うんうんと何度も頷いている。ソウタくんはまだ読みきっていないようで、必死に読み進めていたけれど、途中まで読んだだけでも、「本当だ」と言って笑顔になっていた。

 マツダくんは、照れたように「別に……」とだけ言って、残り少ないカフェオレを音を立てて吸った。

 マツダくんはそこで席を立つことになった。アパートに帰り、すぐに執筆に戻るという。「主演男優に会えたから、ここから先はもっと上手く書ける……気がする」と言い、「他にも随時決まったら、教えて。脚本も、第1稿が出来たら送る」と言い残して去っていく。

 レジでその後姿を見送ったアヤノさんが、首をかしげた。「なんや知らんけど、マツダくんの地の底を這うみたいな自己肯定感の低さが、少しだけマシになってん気がすんねんな……?」

 マツダくんに会ったばかりの私には、その変化はよく分からなかった。


 マツダくんが帰った後、コバヤシくん達とソウタくんは、映画の中で特に舞台にしたい場所があると言い、これからロケ地としての交渉に行くという。コバヤシくんが、おずおずと「お、オオモリくんも、き、来てくれると、う、嬉しい……しゅ、主役に、じ、実際に、ロケ地に、た、立って、もらえると、い、イメージが、わ、湧くというか、な、なんというか……」と言い、オオモリくんは、「分かった」とだけ言って、頷いた。

 そこまで話を聞くだけだったアヤノさんが、コバヤシくん達がロケ地候補を口にするのを聞いて、「おっ、そこならうちの知り合いがおるで。よろしく伝えといて~」と言った。


 そろそろ解散、という頃になり、「そういえば、」と思い出したことを切り出した。

「この間、昔の仲間に、久しぶりに連絡を取ったよ」

「昔の仲間って、映画サークルの?」

 イズミくんが聞いた。皆には、大学の頃、映画”制作”サークルに入っていて、それで今回声をかけてもらったことを、すでに話している。

「そうそう。20年ぶりくらいかな? 年賀状のやり取りだけはしてたから、そこから電話してね。いや~、懐かしかったなぁ。久しぶりに映画の話が出来て、思わず熱くなっちゃったよ。今回の話も、すごく興味を持ってたよ。絶対見に行くって、言ってくれてさ」

 青春の日々を思い出す。懐かしさに、思わず目を細める。サークルメンバーは、卒業後、殆どが私と同様に映画とは無関係な仕事に就いていたけれど、当時部長を務めた一人だけは、少しだけ映画に関わることができる仕事に就いていた。そいつは私から話を聞くと、「お前がアドバイザーねぇ」と笑っていたが、「分からないことがあったら聞いてくれよ。どうせ、色々と忘れてしまってるんだろう」と、有難いお言葉を頂いたことも話す。皆、心強いバックを得た、と、嬉しそうにしていた。


 今度こそ、今日の打ち合わせがお開きになった。ロケ地候補へと向かうコバヤシくん達を見送り、さて、そろそろ私も……と立ち上がったところで、妻とのウォーキングの約束を思い出した。慌てて携帯を取り出し、「今、打ち合わせが終わった」と急いでメールを打つ。

 妻からの返信はすぐに入った。

「終わる時間が分かった時点でメールしてって、言ったよね?」

 文末には、怒る女性の絵文字が付されていた。

 慌てて、「ごめんなさい……」と、最後に土下座の絵文字を付けて返信する。

 携帯を見ながら、ため息をついた私を見て、アヤノさんが、「もうしばらく、おるんですね?」と笑いながら、お冷のお代わりを注いでくれた。


*****


 いつものように小上がりの上で本を読んでいると、来客があった。彼らは急な来訪を丁寧に謝罪してから、名前を名乗ると、4人を代表してだろう、コバヤシと名乗った少年が、ドモりつつも、映画制作の話を切り出した。すぐに商工会長の奥方の話を思い出し、「映画制作の話は、聞いていますよ」と言って、快く店内での撮影の許可を出した。

「君も、映画が好きなんですか?」

 コバヤシくんが一生懸命話をする間、黙って話を聞いていたオオモリくんへ、声をかけた。「別に」と、正直な答えが返ってきたので、「私もです」と言って笑った。ハラハラした様子だったコバヤシくんが、ホッと胸を撫でおろしたのがよく分かった。


「タカナシさん、撮影の際、商品の配置を入れ替えたりするのは、可能でしょうか? 終わったらちゃんと戻します」

 イズミくんに問われ、これにも「良いですよ」と快諾した。特にこだわりがある商品配置でもないので、何なら元に戻さなくたって構わないと、付け加えた。

 コバヤシくんがイズミくんを見ると、「キーアイテムを、上手いこと配置できるだろ」とイズミくんが返した。コバヤシくんが頷き、ノートを開いて二人で覗き込みあいながら、店内の見取り図を描きとっていく。ソウタくんも少し背伸びをしてノートを覗き込むようにして、二人の会話に時々口を挟むようにしていた。


 その間、オオモリくんは、いかにも暇そうに、商品棚の間をゆっくりと歩いて、商品を眺めていた。オオモリくんが、ふとオルゴールを手に取った。機械仕掛けの木彫りの鳥達が飾られた、最近の私のお気に入り商品の一つだ。

「鳴らしても良いですよ」

 オオモリくんの手からそっとオルゴールを取ると、ネジを巻いて棚に置いた。木彫りの鳥たちが軽やかに舞い、カノンを歌い始める。

 オオモリくんは何も言わないまま、じっとオルゴールを見つめていたが、ふと、「聞いたことある」とポツリと呟いた。「有名な曲ですからね。どこかで流れているのを、聞いたことがあるんでしょう」と答えた。

 少しの間、二人で鳥たちの舞を眺めていると、オオモリくんが口を開いた。

「どうして、このお店を、やろうと思ったの」


「御大層な理由はないですよ。勤めていた会社を辞めて、何か仕事をしないといけなくて、でも、またどこかの会社に勤めるのは気が進まなくて……。だから、自分の店を持って商売をしようと考えて、何をしようか考えているときに、友人が訪ねてきたんです」

 昔を懐かしんで、目を細める。1階部分を店舗に改装する前の、この家の以前の姿が、目の前に今でもありありと浮かぶ。横には妻がいて、訪ねてきた私の昔からの友人に、お茶と菓子を出している。

「友人は、私が仕事を辞めたのを聞きつけて、見舞いに来たんでしょうね。そうとは言わなかったですが。単に世間話をしに来た体で、でも、心配して私の様子を見に来たことは、なんとなく分かりました」

 妻も、私が突然仕事を辞めた時に、私を責め立てることは決してしなかった。つくづく、周りの人間に恵まれていることを、改めて実感する。

「友人は、世間話の一環として、最近良い買い物をしたんだ、と話し出しました。懐から手ぬぐいの包みを取り出して、そうっと包みをほどくと、陶器のぐい呑みが出てきて、それを嬉しそうに見せてきたんです。私は、そういった古美術品の価値はとんと分からなかったんですが、友人がそのぐい呑みの作家について、熱く語るのを聞いていました」

 店内の、陶器の品を集めて並べた棚に、目を向ける。友人がその時に持ってきたぐい呑みが置いてあるわけではないが、並んでいる品々を見て、懐かしい気持ちが強くなる。

「それからも、友人は訪ねて来る度に、自慢の品を持ってきて、私に熱く語ってきたんです。相変わらず、そういったものの価値が分からなかった私は、友人が一方的に話すのを聞いているだけでした。でも、何度か話を聞いているうちに、なんだか楽しくなってきたんです。古美術品が特段好きになった訳ではなくて、”誰かが、自分の好きなものについて語るのを聞くのは、楽しいな”と、気が付いたんです」

 オオモリくんは、特に相槌を打つわけでもなく、黙って私の話に耳を傾けている。

「再度訪ねてきた友人に、そのことを伝えて、古物商をやってみようかと思うと、伝えました。友人は、良いじゃないかと賛成してくれました。私は慌てて、でも、まだ値段の付け方も何も分からない、と言い添えました。そうしたら、友人は、こいつは何を言っているんだ、という顔で、言ったんです。”そんなの、買い取った値段より、高く売れば良いだけだろう”。友人の単純明快な考え方に、思わず笑ってしまったと同時に、なんだか肩の荷が下りた気がしました。古物商に本気で取り組んでいる方には申し訳ない話かもしれませんが、開業への敷居が下がったというか。そして、この店を、始めることにしたんです」

 最初の客は、その友人だった。自分の大事な収蔵品の内、数点を持ってきて広げ、「さあ、価値を考えて買い取ってみろ」と、不敵に笑った友人の顔を思い出す。友人が語った、その品々への馴れ初めや思い入れを再度聞き出し、自分の少ない知識を総動員し、値段をつけ、買取を行った。

 それを家の軒先に並べたのが、商売の始まりだ。その友人は、世界で一番大切な友人でありながら、今も時々”納品”をしてくれる、商売仲間でもある。

「商売を始めてすぐに、何かを売ろうとする人は、必ずしもその品に、友人と同じように熱い思い入れがある訳ではないという、当たり前のことに気が付きました。でも、時々、生活のためにと泣く泣く大切にしていたものを手放す方もいました。そういった方からお話を聞いた後は、”私が必ず、大切にしてくれる次の持ち主を探します”とお伝えして、品を受け取りました」

 たちまち商売が大繁盛して、生活が潤った、なんて、物語のように上手くいけば良かったのだが、結局は、細々と暮らしていく分には困らない程度の、売り上げにとどまった。

 でも、その日々が、何物にも代えがたいほど大切で、この上なく幸せな日々だったと、それだけは断言できる。


「長くなりました。つまらない話でしょう」

 オオモリくんに問うと、彼は小さく首を振った。

「このお店、なんか嫌いじゃない。時間が、止まってるみたいで」

 オオモリくんのその物言いに、少し笑ってしまう。

「では、このお店を閉めることになったら、君にあげますよ」

 私の言葉に、目を少しだけ見開いたオオモリくんが、かすかに口角を上げた。


*****


 いつも通りお客さんも少なくて、いつも通り事務室で暇を潰すように、いつも通り期限の差し迫っていない事務仕事にのろのろと手を動かしていたら、珍しく、受付からの呼び出しボタンが押されたようで、事務室に簡易で短いメロディが流れた。

 入館券は自動券売機で買えるので、受付から呼び出しがかかることは珍しい。

 アヤノさんかな、と一瞬思ったけれど、アヤノさんが本を渡しに来るときは、事前連絡が入る。

 不思議に思いつつ受付へ出ると、予想の斜め上のお客様が立っていた。


「こんにちは。何かご用ですか?」

 受付前で待っていた、小学生くらいの女の子に声をかけると、小さく頷いた。

「聞きたいことがあって、来ました」

 彼女は、小さな声で下を向いたまま、言った。

「雪を降らせることって、出来ますか?」

 彼女の言葉に、思わず首をかしげた。

「雪?」

「雪」

「雪を降らせたいの?」

 彼女は、コクンと、頷いた。思わず頭を掻く。

「う~ん……。正直に話すとね、天気を人間の手で操作する技術は、まだ生まれていないんだよね……」

 正確に言えば、空から薬剤を散布して、雨を心待にしている農地へと雨を降らせる、なんてことは出来るみたいだけど、あまり一般的でもないし、あくまで雨の確率を上げるまでに留まっているらしい。

「でも、簡単な科学実験で、雪を作ることは出来るよ」

 彼女がパッと顔を上げた。

 ちょうど去年の冬に、科学館の小学生向けのイベントで、科学実験教室を開いた。その中の題材の一つに、”ペットボトルで雪を作ろう”というのがあった。使うものも簡単なものばかりだ。「作ってみる?」と聞くと、女の子はこくこくと頷いた。

 科学館内の実験室に女の子を案内するため、体の向きを変えたその時、正面玄関から「カンダさん?」と声がかかった。

 今日は”いつも通り”な1日だと思ってたけど、どうやら特別な1日だったらしい。


 雪について質問してきた女の子はカンダさんといって、マエカワくんの同級生らしい。

 館長は今日は外に出ていたので、科学館の実験室の中、マエカワくんと高校生3人組から、映画制作プロジェクトについて、話を聞いた。科学館で、出来ればプラネタリウムで、撮影をしたいのだという。

「撮影については、問題ないと思うよ。館長が戻ってきたら、一旦話を通しておくね」

 そう言うと、コバヤシくんとイズミくんは安心した様子になって、この後館内を見学していいか、と聞いてきたので快諾した。科学館は、すべての人に開かれている。断る理由はなかった。

 そうしてそこからは、カンダさんとマエカワくんに、雪作りの実験のレクチャーをした。コバヤシくんとイズミくんも、若干前のめりになりながら、それを興味深げに眺めている。オオモリくんは、表情は変わらないまま、それを眺めていた。

 徐々に成長していく自分の雪の結晶と、マエカワくんの結晶を見比べて、カンダさんが不思議そうに言った。

「どうして形がちがうの?」

「雪の結晶の形には、温度と湿度が関係してるんだよ。カンダさんとマエカワ君のとで、そこに違いがあったんだろうね」

 実験室の端に置いてある本棚から、1冊の本を引き抜いた。様々な雪の結晶が載っている写真集だ。カンダさんが覗き込むようにして、「きれい……」と呟いた。

 ページを捲っていくと、男性のモノクロ写真が載っている。マエカワくんがその写真を指差し、「これ、誰ですか?」と聞いた。

「その人は、中谷宇吉郎。世界で初めて、人工的に雪の結晶を作ることに成功した人だよ」

 中谷宇吉郎の功績が簡単にまとめられたページを開く。

「中谷宇吉郎は、雪の結晶の形を見れば、その結晶が成長してきた空の様子が分かることから、”雪は天から送られた手紙である”と言ったんだよ」

 そういった瞬間、カンダさんが、何かに驚いたように目を大きく見開いた。瞬間、大きな涙の粒をこぼした。

 えっ、と思っている間にも、カンダさんの目から涙はどんどん溢れてきて、すすり泣くカンダさんの周りには、狼狽えることしかできない男たちが、取り残されるばかりだった。


 しばらくして泣き止んだカンダさんは、なんだか少し、すっきりとした顔をしていた。

 雪の結晶の実験を終えて、科学館の中をぐるっと一周案内して再度入り口まで戻ってきた頃に、ちょうど館長も戻ってきた。館長にコバヤシくん達を紹介し、映画制作についての話を聞いたことを告げると、予想通り、あっさりと「良いですよ」と快諾した。


 科学館の外まで、全員を見送りに出た。

 カンダさんが、「また、雪の実験に、来てもいいですか?」と、少し恥ずかしそうに言った。笑って、「いつでもおいで。どうせ暇だから」と返した。


「そういえば、映画って、商店街のどこかでお披露目するんだよね」

 コバヤシくん達に向き直る。「その予定です」と、マエカワ君が頷く。

「お願いがあるんだけど。もし良かったら、その映画、僕にも出演させてくれないかな? ほんのちょい役で良いから」

 コバヤシくん達が、少し驚いたようにしてから、顔を見合わせた。「ちょい役で良いなら、大丈夫だと思いますけど……」

「ありがとう。あと、図々しくて本当に申し訳ないんだけど、もし可能だったら、」

 彼女のことを思い出しながら、お願いをする。

「公開の日、1席で良いから、席を予約させてもらえないかな?」


*****


 その日の夜。マツダさんからメールが届いた。

「脚本第1稿出来たから、パソコンの方に送っといた」

「ありがとうございます。確認しますね」

「今日の交渉、どうだった?」

「上手くいきましたよ。骨董店からも、科学館からも、許可貰えました」

「良かった。それ前提で書いてたからな」

 パソコンを立ち上げ、マツダさんからのメールをチェックした。添付ファイルがついている。そのファイル名を見て、マツダさんにメールを送る。

「タイトル、考えてくれたんですか?」

「いや、いつまでも”映画”って呼ぶのもあれかと思って……あくまで仮題だから、もちろん、相談して決めなきゃだけど」

「俺、このタイトル、すごく好きです」

 添付ファイルの名前は、”きみの物語になりたい(仮)”。


 マツダさんに返信を打つ。

「もうすぐ撮影開始ですね。よろしくお願いします」

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