愛と呼べない夜を越えたい
僕は、1日の中で何度も夜を越える。
出勤日限定だけど。
暗い部屋の中に、僕の声が響く。
「今、映し出されているのが、この時期に私たちの町から見える星達です。真ん中で強く輝いているのが北極星で……」
秋のプログラムに変わってから暫く経っているので、台本を見なくても空で言えるほど、ナレーションは暗記してしまった。言葉はスラスラと僕の口から流れ出す。
「今、現れた星座がアンドロメダ座です。ギリシャ神話では……」
PCのモニターで映像を送りながら説明を続ける。
いつもなら、このまま真面目に説明を続けるところだけど。
PCを操作して、星空を自由に泳ぐことができるポインターを出現させる。説明に合わせて、星を繋ぐ線と、滅多に使わない星座の絵も表示する。
「そしてこちらが、くじら座です」
「前足! 前足がある!」
「こちらが、顕微鏡座」
「無機物! おまけにどこが顕微鏡やねん!」
「彫刻室座」
「もはや部屋の名前!」
テンポの良いツッコミに、思わずケラケラと笑ってしまう。
僕と、一人のお客さんしかいないプラネタリウムに、マイクを切り忘れた僕の笑い声が大きく響いた。
「いや~、今日も笑わせてもらいましたわ。おおきに」
「プラネタリウムってそういうとこじゃないんだけど」
「全く笑えないよりは、笑える方がええやん?」
アヤノさんは、よく分からない理論をしれっと展開した。
「せや。これ、頼まれてたやつ、持ってきたったで」
「あ、そうだった。ありがとう」
アヤノさんから数冊の本を受け取った。どれも星に関するものだが、エッセイや写真集、専門書など、幅広く揃っている。
「相変わらず星が好きやねぇ。高校の時は全然そんなんやなかったんに」
「運命の出会いが大学入ってからだったからね。途中で学科を変えようか、本気で迷ったよ」
話ながら、受け取ったばかりの本の表紙を1冊1冊眺める。ふと、とても綺麗な星空が表紙の写真集が目についた。どうやら星空が綺麗なことで有名な世界中のスポットの写真集らしい。良いな。行ってみたい。
アヤノさんに本の代金を渡す。「まいど~」と言って受け取ったアヤノさんは、商売人らしい顔をしていた。
アヤノさんが帰っていく背中を見送り、少しの書類仕事をするために事務室に戻ると、館長に声をかけられた。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
「ミナセ君、あの人が来るといつも話してるよね。彼女?」
館長は50代くらいのおじさんで、いつも眠そうなとろんとした目をした、のんびりとした雰囲気を纏った人だ。今の質問も、特に食い付くようでもなく、平凡な日常に刺激を求める風でもなく、暇だから聞いてみるか、くらいの、のんびりとした問いかけ方だった。
「違いますよ。彼女とは高校が同じだったんです。高2の時に彼女が関西から転校してきて。僕が東京に出てしまったので、大学は別でしたけど、卒業してここに来たら、奇跡の再会を果たしたってやつです」
「へー」
「今日はお店が休みだし、前にお客さん全然来ないって話をしたから、暇だからって来てくれたんじゃないですかね」
「良い子だね。ミナセ君、二枚目だから、お客さんの中から彼女を見つけちゃったのかと思ったよ」
「安心してください。お客さんに手は出しません」
「二枚目、は否定しないんだね」
館長はニコニコと笑って言った。
館長と二人、お互いにパソコンに向かって手を動かしながら、話をする。
「ミナセ君は、彼女はいないの?」
「僕にとっては星が恋人ですね」
「ああ、そうだったね」
館長はいつも通り優しく肯定してくれる。ありがたい。
「毎晩、星を眺めることが、僕にとっての生き甲斐であり、〝愛〝なんですよ。まあ僕が愛を伝えるばかりで、返ってきた試しはないんですけど」
「健気だね」
「でも〝愛〝ってそもそも見返りを求めるものでもないじゃないですか? だから僕にとっては、毎晩星を眺められるだけで充分というか、これが理想の形というか、」
「この話、長くなる?」
館長のその言葉で、二人でケラケラと声を上げて笑った。僕が星への愛を語り始めた時の、お約束の展開だった。
二人でしばらく作業をしてから、館長が両腕を高く伸ばし、う~ん、と伸びをすると、「今日のプログラムはさっきのが最後だったよね。今日中にやらなきゃいけないことがなければ、もう帰っても大丈夫だよ。あとはやっておくから」と言ってくれた。
「良いんですか?」
「良いの良いの。どうせ誰も来ないだろうし」
仮にも館長がそんな姿勢で良いのだろうか。先程のプログラムに、アヤノさんしかいなかったことを思い出す。でも、小学生が校外学習にでも来ない限り、平日はいつもこのくらいの人数ではある。時には誰もいないこともある。土日ならまだ少しは入るけど。
「あーあ、ミナセ君みたいな二枚目で声も良い解説員がいるってテレビにでも紹介されたら、お客さんも増えると思うんだけどなぁ」
頬杖をつきながらの館長のそんなぼやきに、僕は謙遜で返す。
「館長、僕レベルのイケメンでイケボなんて、そんなに珍しくもないですよ」
「ミナセ君のそういうところ、嫌いじゃないよ」
壁にかかった時計を確認すると、閉館が迫っていた。たしかに、これからお客さんが来ることもまずないだろう。
「じゃあ、お言葉に甘えて、お先に失礼しますね」
「はいお疲れ様。気を付けてね」
館長の声を背に、更衣室へと下がった。ロッカーの中のフックにラスターをぶら下げ、通勤時に着ていたダウンコートを羽織り、鞄を手に、この町で唯一プラネタリウムを有する、小さな科学館を後にした。
自転車にまたがりペダルを漕ぐと、ここ最近で急に存在感を増した冬の冷気が顔を叩いた。先週くらいからダウンコートを出して着ているから、上半身は平気だけれど、やはり空気にさらされている部分は冷えて仕方がない。手がかじかんで辛いので、次回の出勤日である明後日からは手袋も出動させようと心に決めた。
館長が早めに上がらせてくれたけれど、冬の日の沈む早さの方が一足早かったようだ。暗くなった空を見上げて息を吐くと、白い吐息が空に昇っていくのが、実に良く分かった。
今日は雲の少ない気持ちの良い晴れだったので、星がよく見えた。星を見ていると、自然と彼女のことを思い出す。
明日は休みだ。予定もない。
明日は、彼女に会いに行く日にしよう、と心の中で決めた。
「また来たの?」
「開口一番にそれは酷くない?」
呆れた様子の彼女に、僕は抗議した。
いつものようにベッドの上で体を起こしていた彼女は、手に持っていた文庫本に栞を挟むと、パタンと閉じた。
僕は、定位置である、ベッド横の椅子に腰かける。
「はい、これ」
「わ、ありがとう」
昨日、アヤノさんから預かった本を彼女に渡す。彼女は一冊一冊を丁寧に眺めて、いくつかの本はパラパラとページを捲り、目を輝かせた。
僕も横から本を覗き込むようにしながら、時々チラリと彼女の横顔を盗み見た。今日は比較的血色が良い気がする。でも、少し痩せたかな。
「ここ、綺麗だね」
彼女が、昨日僕も目を留めた、世界中の星空スポットの写真集を開き、指差した。
薄い色のレンガ造りの小さな建物の背景に、濃い赤紫色の夜空が広がり、そこに散りばめられた無数の星たちが輝いている。
写真の注釈を見ると、〝ニュージーランド テカポ湖〝と書いてある。
「オッケーすぐ行こう」
「ミナセ君って本当に軽いよね」
「フットワークが軽いと言ってほしいな」
「私には無理だって分かってるくせに」
彼女がじとっと僕を睨むので、「無理じゃないでしょ。退院したら、すぐに行けば良い。準備しておくよ」と飄々と返した。
彼女は溜め息をつきながら、「はいはい」と軽くあしらった。
「仕事はどう?」
「いつも通り、順調だよ。いつも通り、お客さんがいない」
「それのどこが順調なのよ」
彼女は眉根を寄せた。
「科学館が潰れない限りは、普通に生活する分には、順調なんだよね。ねえ、早く元気になって、仕事を代わってくれない? いい加減、星好きの変態のフリをするのにも飽きてきちゃった」
「だから、何度も言ってるけど、私、そんなこと一度も頼んでないからね」
「プラネタリウムで働いてみたいって言ってたじゃん。プラネタリウムでの就職口なんて少ない上に、この町で働けるんだよ。待遇も悪くないし、館長も他の人達も皆すごく良い人なんだ。こんなに良い職場、二度と見つからないよ? だから、他の人にとられないよう、僕が働いて席をキープしてるんじゃない」
「いつ退院できるかなんて分からないんだし、他の人に譲って良いってば」
彼女は剣もほろろに僕の主張を突っぱねた。それから、少しニヤリとしながら、付け加える。
「それに、なんだかんだ言って、ミナセ君、今の仕事頑張ってるように見えるけど? 案外気に入ってるんじゃない?」
「星には興味ないけど、仕事は気に入ってるよ。それに、それなりに頑張ってもいる。だって、仕事を辞めるとき、『僕の後任に是非彼女を!』って言うなら、仕事が出来る人が言った方が、説得力があるでしょ?」
「……ああもう!」
彼女は分かりやすく頭を抱えてみせた。
僕が、東京の大学に進んだのは、特にそこでしかできないことや、絶対にやりたいことがあった訳ではなかった。ただ、東京で一人暮らしをしてみたかったのと、その時の自分の学力で入れる丁度良い大学を選んだだけだった。
勉学は留年しない程度にそこそこに嗜み、飲み会や遊びのイベントの多いアットホームなサークルに入り、バイトに励みながら、大学生活を楽しんだ。
一方彼女は、理学部で天文同好会。経済学部で別のサークルに入っていた僕の、2学年上。初めは接点は全くなかった。
そんな僕らが、ひょんなことから知り合いになって、親しくなったのは、たしか僕が2年、彼女が4年の夏のことだったと思う。その頃から彼女は生粋の星好きで、僕は、星空に夢中になっている彼女の姿に、完全に恋に落ちた。
大学の卒業旅行に、彼女はオーストラリア旅行を計画していた。そこでもやっぱり星空を見るんだと、笑いながら話していたのをよく覚えている。
結局、出発の少し前に彼女は病に倒れ、彼女の故郷であるこの町の、この病院に入ることになり、オーストラリア行きは叶わないまま、大学を卒業していった。
3年になり、就職活動が始まった。就職も東京で、と考えていた僕だったけど、ふと、ほんの出来心で、この町での就職口を検索してしまった僕は、今の勤務先である、科学館でのキュレーターの仕事を見つけた。そこには、確かに〝プラネタリウム〝の文字があった。あと、とても有り難いことに〝資格不要。初心者歓迎〝の文言も。
すぐに応募の電話をかけた次の日、僕は本屋に並んでいる星に関する本を全て買って、そのまま彼女の病室へと赴き、告げた。
「これ、お土産。あと、僕に星について詳しく教えてくれない?」
あ、ちょっと借りていくね、と言って、彼女の手から初心者向けの本を何冊か抜き取った僕を、彼女は面白いくらいポカンとした顔で見ていた。
それ以来、僕は新しい星関連の本を手に入れる度に彼女の元を訪れ、星についてたくさんのことを教えてもらっている。
そして、今の僕の計画は、こうだ。
彼女が元気になる。退院する。僕は暫く仕事に休みをもらう。彼女と一緒にオーストラリア(と、ニュージーランド)に行く。帰ってきたら、僕は仕事を辞める。その時に、後任に彼女を推薦することを忘れない。彼女が今の僕のポジションで働く。以上。オッケー完璧。
「簡単に言うよね……」
彼女が僕の計画について心底呆れたように言った。「まずその第一段階の『元気になる』が大変なんだけど」
「そこさえクリアしちゃえば、あとは準備万端だし楽勝だから。さあ、頑張って!」
「いやいやいやそんな簡単に頑張れたら苦労しないんだって」
やいのやいのと言い合っている内に、彼女の夕食の時間となった。お昼過ぎに来てから、あっという間に時間が経っていた。いつも、この夕食のタイミングでお暇しているので、いつものように立ち上がる。外が真っ暗になっていたので、「カーテン閉めようか?」と聞くと、「いや、いいよ」と彼女は首を振った。「今日は星が綺麗だから、少し眺める」
「そう。じゃあ、また」と言って、部屋を出ようとすると、「……ミナセ君」と声をかけられる。
「私、プラネタリウムで働くとか、オーストラリアに行くことの他にも、夢があって」
それを聞いた僕は、分かりやすく目を輝かせていたと思う。
「自分で新しい星を見つけて、それに名前を付けるのが夢だったんだよね。あのさ、ミナセ君」
彼女は、なんだか少し申し訳なさそうに言った。
「よく、人は死んだら星になるって言うじゃない? もし、私が死んだら、私を探して、名前を付けてほしい」
「……何それ」
声に怒気が孕むのを、止めることが出来なかった。彼女がやりたいだろうことを、たくさん提案しても、なかなか乗り気になってくれなかった。そんな中、やっとやりたいことがあると言ってくれて、本当に嬉しかったのに、その内容が、これって。
「あ、でも、今私達が見ている星の光って、何十年も前の光だったりするんだよね。だから、ミナセ君がわたしを見つけられるようになるのは、お爺ちゃんになってからかも。なるべく地球に近い星になるようにするからさ、もしも私のことを覚えてたら、」
「夕飯、冷める前に早く食べなよ。続きは今度聞くから」
彼女の言葉を遮って、僕は足早に病室を後にした。彼女の顔を見ないように、下を向いているように気を付けた。
病院を出ると、相変わらず冷たい夜気が顔を叩いた。駐輪場へと足早に歩きながら、星空を思いきり睨み付けた。先輩の〝愛〝はいつでも星空に向いていて、僕の方には向く気配がない。そのことにとても腹立たしく思えた。自分でも馬鹿げていると思うが、僕は、嫉妬しているのだろうか。
「〝愛〝は、そもそも見返りを求めるものではない」
昨日の、自分の言葉を口の中で繰り返す。
でも、あまりにも一方通行過ぎて、やるせなかった。
僕と彼女の間に、愛と呼べる夜が来るのか、今はまだ、僕にも自信がなかった。
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