第16話 バラ屋敷の書庫

「お母様、失礼いたします」


 先触れを頼み、ローズは奥まった場所にある母の居室を訪れた。

 同じ屋敷に住みながら、ローズやリリアが、自分達の母と会うことは滅多に無い。

 また、父も、領地を回っていたり、領主同士の会合などに出席するのが忙しく、王都にある屋敷には、ついぞ居着いた試しがなかった。


「お入りなさい」


 部屋のなかから聞こえて来る声に、喜びよりも不安を感じてしまう自分を、ローズは愚かだと思う。

 今まで母が、ローズ達姉妹を叱ったことはない。

 それなのに、なぜか母の前に出ると、ローズはたまらなく不安になるのだ。


「ただいま戻りました」

「学園ではつつがなくお過ごしですか?」

「はい。お心遣いありがとうございます」


 感情のこもらない声。ローズは、母の笑顔を一度も見たことがない。

 ローズ達姉妹の母は、二人の子供を産んだ今でも美しかった。

 グリーンガーデン公爵家は、美形な一族と評判だが、その評判がより高まったのが、両親が結婚したときだと言う。

 当時、彼女のあまりの美しさに血迷った男達の争いで、あわや戦争にまでなりかけたという伝説まである母。

 そして、社交界の花形だったという父との結婚は、美男美女カップルとして、世間を騒がせたのだと、ローズは話に聞いていた。


 確かに、二人共今でも十分に美しいが、夫婦がお互いに顔を合わせることはほとんどない。

 二人の不仲の原因が、自分達なのではないかと、ローズは疑っていた。

 立て続けに女子を出産し、その後、男子に恵まれなかったからではないかと……。


 もちろん、この国で女が当主になること自体は、特に禁じられてはいない。

 しかし、女当主は上手く行かないという風潮があった。


「さ、あなたも勉学の途上の身、もうお戻りなさい」

「はい。失礼いたします」


 ほとんど何も話すことなく、ローズは部屋を出されることとなった。

 ため息を吐きそうになるのをぐっとこらえ、ローズはそのまま屋敷の書庫に向かう。


 屋敷の書庫に揃えられている書物には、家族に開放されているものと、当主のみに開放されているものがある。

 まだ当主ではないローズには、家族向けの書物しか調べることは出来ない。

 とは言え、家族向けのものとは言っても、歴史ある公爵家の書庫である。

 そこには膨大な資料があった。


 書庫の管理用の鍵を、忠実な家令から受け取ると、ローズは重厚な扉をゆっくりと開く。

 書物には光や風の流れなどが毒となるということで、扉はすぐに閉じてしまった。

 そうすると、書庫のなかは真っ暗になる。


「灯火よ、友たる我の導きとなりて」


 ローズがそう唱えると、小さな金色の光がふわりと浮かぶ。

 ローズの向かう少し手前をふわふわ漂うその灯りを頼りに、ランプを探し出したローズは、軽く指を弾いて発火の魔法を使い、ランプに火を灯した。


 ローズはランプを手にしたまま、書庫で最も古い棚を探す。

 書庫独特の匂いが漂う空間が、ローズは好きだった。

 その昔、両親に会いたいと駄々をこねて手ひどく突っぱねられたときも、妹にお気に入りのリボンを取られたときも、ローズは書庫の片隅に座り込んでただじっとしていた。

 書物の古びた匂いと、乾いた空気、光のない暗さが、泣かないように我慢していたローズの心に優しかったのだ。


 たとえ子供であっても、長女たる自分は弱さを見せる訳にはいかない。

 公爵家の次代の当主としての自覚が、幼いローズの胸にはあった。

 とは言え、その当主問題が、今のローズには少々重いのだが、それはまだ今考える必要はないだろう。


いにしえの記録……十二家……」


 今やれることをやるのだという気持ちで、ローズはレポートの為の資料を探すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る