第3話 第三王子ピアニー

「お嬢様、ピアニー殿下がお見えになりました」


 着替えを手伝ってくれた侍女とは別の、年季の入った落ち着いた雰囲気の侍女が、ローズに婚約者の到着を知らせた。

 そもそもローズが学園の制服の試着を行っていたのも、この日、同じく試着をして館を訪れる予定の、婚約者に合わせてのものだったのだ。


「そう、客間にお通しして」

「はい」


 この国の第三王子であるピアニー・ジャニュアリー・オーバープレインは、ローズが幼い頃に決まった婚約者だった。

 そのため、小さい頃から互いに館を行き来して、気心も知れている。

 会うのに取り繕う必要もない。


 ローズが客間に足を運ぶと、既にソファーに座って待っていたピアニーが、立ち上がって出迎えた。


「やあ、僕の愛しい人」

「殿下ようこそいらっしゃいました」


 二人は婚約者同士の親密でありながら礼節にのっとった挨拶を交わす。

 ピアニーの着ているのはローズと同じく学園の制服で、黄色を基調としたウエストコートと、プリーチズにジュストコールだ。

 紫紺の髪に青い目のピアニーにも、黄色というカラーは少し浮いた感じがする。

 もちろん、素の状態から個人に合わせて、ある程度手を入れるのだから、実際に学園に通うときには印象も変わるだろう。


「あれを」


 ローズが伴った侍女に指示を出すと、侍女が箱に入ったものをピアニーに差し出す。


「殿下にわたくしからの入学祝いですわ」

「楽しみだな」


 ピアニーは微笑みながらそう言うと、箱を開けてなかに入っていたものを取り出した。


「クラヴァットか」


 クラヴァットはウエストコートの内側に巻いて結び、首元を飾る男性用の装身具だ。

 レースを使った真っ白なクラヴァットは、ローズの家なら手に入れるのはたやすいが、とても高価なものだった。

 だが何よりも大切なことは、そのクラヴァットには、ローズの手による刺繍が入っているということだろう。

 ピアニーは、自分の紋章が刺繍されたクラヴァットを大切そうにもう一度箱に仕舞うと、はにかんだような笑みを浮かべる。


「大切にするよ」

「ありがとうございます」


 ピアニーのその純朴な笑みを見る度に、ローズの胸には複雑な思いが込み上げる。

 ピアニーは王家の人間らしく、おだやかでおっとりとした性格をしていた。

 丁々発止の政治的な争いが厳しい、公爵家の当主とするには大きな不安があるのだ。

 ローズにとって好ましいその性格こそが、ローズの悩みの元となっていることは皮肉でもあった。


「これは僕から」


 ピアニーが侍従に目配せをすると、今度は美しく装飾された箱が、ローズに差し出された。

 なかには恐ろしい程に細かく美しいレース飾りをあしらった、垂れ飾りが入っている。


「殿下、これは……」

「どうも僕たちは気が合うようだね」


 ピアニーは、機嫌よく笑いながら言った。

 垂れ飾りは、首に掛けるようにして胸元に垂らす飾りで、ドレスなどに縫い込んで装飾とすることも多い。

 ローズの制服の、いいアクセントになるだろう。


「ありがとうございます!」


 ローズは、そのレースが、注文予約が数年先まで埋まっているという人気工房のものであると、すぐに気づいた。

 本来ならいくら金を出そうと、手に入らない品物だ。

 つまりピアニーは、何年も前からこの日のために準備をしていたのである。


 ローズは、自分の頬が火照るのを感じた。

 そして、ふいに自分の着ている制服の無防備さが気になった。

 コルセットもストマッカーもない制服は、ウエストコートの下はシュミーズと素肌のみなのだ。

 ウエストコートは十分に厚みのある布地だが、それでもなんだか自分がはしたない女になったような気がした。


「あ、あの、お座りになってください。お茶を淹れます」

「嬉しいな、ローズの淹れてくれるお茶は大好きだ」


 自分は冷静に対応出来ているだろうか? と不安になりながら、ローズは愛する婚約者のカップにお茶を注いだ。


「お兄様がいらしてるの?」


 そこにバタバタと騒々しい足音を立てて現れたのは、妹のリリアである。

 リリアにとってもピアニーは小さい頃から一緒に遊んでいた、兄のような存在だ。

 淑女教育に失敗したと、専属の教師を嘆かせるリリアには、遠慮などない。


 バーンと扉を開け放つと、飛び込んで来た。


「お兄様いらっしゃいませ!」

「ああ、リリア、久しいな」


 嬉しそうにピアニーに抱きつくリリアを見て、ローズは酷く羨ましくなった。

 淑女としては間違った行動をしている妹だが、その正直な振る舞いは決してピアニーに拒絶されたりしない。

 自分ももっと、ああして素直に振る舞ったほうが、ピアニーに愛されるのではないかと、ローズは思ってしまうのだ。


 ため息をつくローズを、扉を入ってすぐのところに控えていた、家令見習いのイツキが気づかわしげに見つめていた。

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