第10話 あやつじリスタートend
暗い世界だ。
あまりにも冷たくて暗い。
いつまでもこんな場所に居たら、きっと私は私を見失うだろう。
……私? 私とは一体誰だ。
私とは綾辻麻緒だ。だけどもそれはこの私ではない。
綾辻麻緒は私一人だ。同姓同名の誰かの存在はこの際無視だ。
この姿、この名前、この心を持つのは私だけで、それなのにこの心の内にある憎悪だけは理解が出来なかった。
『ああ、もう……疲れた』
ビルの屋上、少女は……
「麻緒ちゃん! 起きてよー」
「はっ」
何だかとてつもなく嫌な夢を見た気がした。
それと僅かな懐かしさを覚えた。だがそれ以上に、それ以上に、
「痛いんだけど?!」
私を心配している神白天音だが、その心配の仕方はかなりずれていた。
どうずれているかというと、私を起こす意図なのか知らないが、アキレス腱固めをしてきているのだった。
「起きてー、起きてよー!」
「ちょ、痛い痛い痛い!! もう起きたから、起きたからー」
「あれ?」
ようやく私が起きていることに気付いた彼女によって私は解放されると私はその場に倒れた。
と、ここで私は自分たちが今いる場所に気付いた。学校だ。それも職員室前の廊下。
大鏡の前に私達はいた。
戻って来た……ということだろうか。あの大鏡に飲み込まれたのだから、大鏡から出てきたということだと思う。戻ってこれた訳は不明だ。だが、戻ってこれたのだからそれでいい気もした。何よりあの大鏡に感じていたヤバさ。危険さ。そういったものがまるっきり無くなっていた。
あの悪魔もどきを倒したのと何か関係があるのかもしれない。
となるとあのサタンもあの世界だけの存在だったのだろうか。
……そう思うと少し寂しい気がした。せっかく助けてくれたのだから、お礼くらいは言いたい。
「ん、麻緒ちゃんこんなの落ちてるよ」
神白天音が何かを見つけたらしかった。彼女の視線の先にある物はナイフだった。刃から持ち手まで全てが黒いナイフ。どう見ても凶器だ。学校にこんなものが無造作に落ちているとは。星条館学園恐るべし。
「趣味の悪いナイフ。これの持ち主の気が知れない」
「そうかな。ちょっとかっこよくない?」
かっこいいって……。それ凶器なのだが。
と突っ込む元気も無かったので私は適当に
「そう? だったらあなたが持ってれば?」
と言った。だが神白天音はまるで出来るのならそうしているとでも言いたげな態度で言った。
「持てないんだよ。重くて」
「……いやいやおかしいだろ。あなたは箸より重い物は持てないとでもいうつもりか」
「冗談じゃなくてさ、本当に。まるで床にくっついているみたいにさ」
「……」
神白天音が嘘を言っているようにも思えなかった私は試しにナイフを拾ってみることにした。普通に拾えた。床とくっついているようには思えなかったし、持てないほど重くも無い。
「普通に持てるけど」
「力持ちなんだね」
「そうじゃないと思うけど……」
それにしてもこのナイフ。普通のナイフに見えない。見た目は普通なのだが、存在が異様に思えた。大鏡を初めて見た時にも感じたものだ。
「……これは私が預かるよ。ここにあっても騒ぎになりそうだし」
「警察に渡した方がいいんじゃないの?」
「私以外持てない理由を上手く説明出来ないし、家に隠してあれば問題ないでしょ」
「それもそうだね」
私はナイフを鞄の中に入れた。刃が剥き出しなので教科書を鞘がわりにした。
「でもあれだね。湖に入ったのに制服とか全然濡れてないや」
「ああ確かに」
私達はほぼ同時に大鏡を見た。あれは何なのか。
考えても答えは出ないが、それでも考えずにはいられない。私がサタンに覚醒したから事なきを得たものの、それがなければ多分死んでた。
「私達以外でもあっちにいた人とかいたのかな」
私が何となく発した問いに神白天音は何かを考えているかのように黙りこくった。
「まあいたら騒ぎになってるか。ごめん変なこと言った」
「神隠し……」
神白天音がポツリと言った言葉が、彼女の中で像を結んだらしく、急に大声を出して言った。
「神隠しだよ!」
「神隠し?」
「そう。最近この街で噂になってる都市伝説」
「都市伝説って……。そんなバカな……」
バカなと言いつつも私は納得してしまっていた。確かに。あんな荒唐無稽なものは都市伝説になりそうだ。事実として私と神白天音が同時に行方不明になっていた可能性もあったのだし。
「ある日急に行方不明なった人がね、数日後に気絶した状態で見つかるっていうのがあるんだよ」
「……それ戻って来たってこと?」
「一応ね。その戻ってきた人達は記憶と心を奪われてるんだって」
「記憶と心……」
「この街の病院にそういう患者を集めた場所があるっていう話もあるんだよ」
「……」
神白天音の酷く興奮している様子を見て、私はこの後の展開が読めてしまい、言葉が出せなかった。
「ねえ、調査しようよ!」
「嫌だ!」
私は即答した。もうあんな目に遭うのはごめんだった。ていうか神白天音もそれは同じでは無いのだろうか。何が起きても戦えない分、恐怖は私以上にありそうなものだが。
「神白さんは怖くないの? あの化け物に殺される可能性もあるんだよ?」
「怖くないって言ったら嘘になるけど……」
「だったらさ」
「でもあの世界のことを知ってるのは私達だけで、もしかしたらそれで助けられる人がいるかもしれないでしょ? それに麻緒ちゃんのように私も力に目覚めるかもしれない。そうしたら……」
神白天音という少女はお人好しなのだ。それも異常な程の。自分が動いて救える人間ならば、自分がどうなろうと動こうとする。
「ごめんね。あんな目に遭ったんだもん普通はもう関わりたくないよね。うん、分かった。調査は私一人でするよ」
こんな人間だからこそ私と友達になってくれたのだろうが、だからこそ私は彼女を見殺しには出来ない。
「……分かったよ。とりあえず調査だけなら手伝う」
こんな返答しか出来なかった。
「いいの? これは私の勝手で麻緒ちゃんが……」
色々と慣れない理屈をこねくり回そうとする彼女を私は遮って言った。
「友達だから、当然でしょ」
私の言葉に彼女は顔を赤くし、私に抱きついてきて言った。
「ありがとう! これからよろしくね麻緒ちゃん!」
「うん。よろしく天音」
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