第2話 あやつじリスタートpart2
かつては日常の一部だったビル群が今はなつかしい。
電車の窓から見える風景は長いトンネルを抜けるとまるで別世界に来たかのように変わった。気が付けば都会に住んでいたから、こういう田舎の空気を味わうのは私としては初めてで内心少しだけ楽しみにしていた。車内を見渡すと全然人がいない。東京ではどのタイミングで電車に乗っても大抵人がいたし、酷いときは満員だったが、この場所ならそれに悩まされることもなさそうで私は安堵した。
もう目元にまで伸びかけている前髪を払いながら、窓の外を眺めている彼女の名前は綾辻麻緒。私である。ん? さっきも名乗ったような……いや気のせいか。
故郷である東京都内からずっと離れたこの安久路市にある私立星条館学園に一身上の都合で転校してきたのだ。そう、一身上の都合で。
「次は御影駅。次は御影駅」
ぼーっとしていると車内アナウンスが流れた。私はすぐに荷物をまとめる。とはいってもそんなに色々とある訳ではないのだが、数駅前から周りに人がいないのをいいことに荷物をばらけて置いていたのである。着替えの入ったスーツケース、最低限の生活必需品を入れたリュックサックと、後は高校指定の鞄だ。目の前の席に置いてある高校指定の鞄に手を伸ばした時、元からかなり揺れていた電車がよりいっそう強く揺れ、体勢を崩した私はそのまま高校指定の鞄の紐に手を引っかけて床へと叩き落としてしまった。つい先ほどまで教科書なんかを眺めていたので鞄は開けっ放しだった。つまりは中身が全部外に出た。
「あー……」
何をやってるんだ私は、と内心で毒吐きながらしゃがんで落とした教科書類を探す。ある程度拾い終わったと思った時、視界の隅に転がる一本のボールペンが目に入った。
「……」
そういえばあれも持ってきてたのか、とぼうっとした思考で考えた私が次に考えたのはあれを拾うか否かだった。何故かって? 何故だろう。
だが、その一秒にも満たないであろう思考は横からやってきた闖入者によって遮られる。
「はい、これ」
突然誰かがボールペンは拾うと、それを私の目の前まで持ってきた。
「……」
視線を上にずらすと、そこにいたのは金髪の女子高生だった。高校生で金髪と言うとチャラいイメージが付き物だが、目の前の女子高生にそれはなく、むしろ清楚さを感じた。彼女の髪は染めていないように見える。つまりは地毛ということ。
一体どんな血筋ならこんな日本人が生まれるのか。金髪の日本人とか八千百九十二人の中に一人いるかいないかぐらいだろう。それは別の色違いだったか。
「あれ? あなたのじゃなかった?」
「あ、いや。これ、私の。……ありがとう」
「別に気にしないで。その制服……星条館よね?」
「うん」
「あたし隣町の乙女ヶ丘に通ってるんだ」
「隣町……こっち来たばかりでよく分からない」
「あーその大がかりな荷物は引っ越しの荷物だったのね。いやはやてっきり朝帰りなのかと。女子高生のブランドをフル活用してきたのかと」
「そんなわけあるか。何だ女子高生のブランドって」
そんなわけあるかい、と私は内心で突っ込んだ。いや実際に突っ込んだ。
朝帰りならむしろ荷物は少ないのでは。
見た話しでしかないし、その勘違いはただただ不快なだけなのだけど。
「どこから来たの?」
「東京」
金髪の女子高生はそのまま私の向かいの席に座った。
「ねえ少しお話しない? あたし都会に住んでみたいと思っていたのよ」
「まあ……いいけど」
どうせ到着までやることもない。まだ2分か3分くらいは時間もある。
そう思い、私はこの金髪の女子高生と会話をすることにした。
これは私がこっちでうまくやっていけるかのテストにもなるからだ。
「東京ってビルばっかりなのよね?」
「そうだよ」
「へえ……憧れるなぁ。東京の人ってザギンでシースーしてオールナイトでパーリーピーポーなんでしょう?」
「何だその生物。そんな生活してたら死ぬわ」
この金髪の女子高生の中では東京の人は最早別の種族かなんかだと思われているらしい。
「違うの? でも東京から来たあたしの執事はそんなことを言ってたわよ」
「執事?! 本当に実在したの?!」
「……?」
まるで何を当たり前のことを言っているのだこいつは、とでも言いたげな瞳で金髪の女子高生は私を見た。確実にこの子の家の方が私の家よりもお金持ちだ。そう考えるとそのさらさらの金髪も育ちの良さを表している気がする。私なんか癖ッ毛だし。梅雨とか群れて大変だし。
「高層ビルで一面が窓の部分からガウンを着て夜の街を見下ろすのよね」
「それもう、ごく一部の人間だけだよ」
「そうなの?!」
と言いながら金髪の女子高生は「夢だったのに……」としょんぼりとしていた。夢?
まあ執事が家にいる様なあなたはそのごく一部の人間に当てはまりそうなのだけど。
とはあえて言わなかった。
「東京なんて別にそんないい所でも無いと思うよ。人が多いし」
「そう? 人が多いのは楽しそうじゃない?」
「知らないから言えるんだよ……。例えばこの電車だって東京にあったらこんな優雅に座ってられないし。かといって立ってても人波に押し潰されるしね。セクハラしてくるおっさんとかいるし……」
「わお」
さっきのしょんぼりとしていた顔が少し可愛くて面白かったから、少し意地悪をして現実を教えてあげたのだが。しょんぼりするどころかむしろこのお嬢様は目を輝かせていた。
今のどこに目を輝かせる要素があるのか教えてほしい。
「セクハラ! セクシャルハラスメント! たまにテレビで見るわ」
「え?! そこに食いつくの?!」
満員電車、人波、セクハラ。どれもひどい選択肢だが、その中でも最悪なものに食いついてきた。あれだろうかお嬢様故に少し悪いことをしてみたいとかそんなやつなのか。
「女と男の接触というだけなのに、その言葉が付くだけでスリリングになるわよね」
「接触だけって……。そんな簡単なことでもないでしょ」
「どうして? 私たちの体は殿方に触られるためにあるのでは?」
「あなたの価値観爛れ過ぎだろ! もっと大事にしろ!」
その執事のせいか? だとしたら私の前に出してほしい。ぶっとばすから。今なら一撃で星に出来る気がする。顔を入れ替えたばかりのアンパンマンの如く。
「うーん……? ということはあなた愛のないセックスがお好みなの? ただただ種の繁栄だけを目的にしたような。まあ間違ってるとは……思わないけど? 大事だし。でも生まれてくる子供の気持ちを考えたら、ねえ」
「いや、私が愛のない……を求めているみたいな解釈はやめて」
「つまり愛はあるけど、優しさはいらないと……」
「おーい? なんか壮絶な勘違いをされてるんだけど」
それに、だ。
「そもそも私、もう誰とも付き合う気もないし……」
「……」
私がそう言うと金髪の女子高生は何も言わなくなった。最後のやつだけ少し感情的になってしまった。それから何かを察したのか。……まさかな。
そうしてしばらく無言の状態が続くと電車が駅に着くところだった。
「次で降りるんでしょ? また会ったら話しましょ。安久路市のおいしいスイーツ教えてあげるわ」
「うん」
じゃあねと言いながら手を振ってくる金髪の女の子に軽く手で挨拶を返しながら私は電車を出た。都会の排気ガス臭い空気とは全く違う田舎の空気に驚いた。心が清らかになっているようなすっきりとした感覚が私の中に芽生える。一瞬湧いた黒い感情も治まっていた。
「あ、そういえば名前を聞き忘れた」
まあでもあの見た目なら会えば気付くか、と私は思いながら新たな自分の家への道につくのだった。
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