第4話 なんでおかーさんは、反対するの?~その2
「あれは……20年以上昔の話だ。場所はススキノの一角。とある雑居ビルの出入口で、その男と出会った」
「おかーさん、なんでハードボイルドな感じになってるの?」
「まあ、いいから聞きなさい。
私はそのビルの入り口にある喫煙コーナーでたばこを吸っていた。すると、男が声をかけてきたのだ。『おねーさん、何やってるの?』と。
え? と男を見つめると、こう続けた。
『いや、さっきから、おねーさん、何度もビルの中に入ったり、出てきてタバコ吸ったりを繰り返しているから』
そうだ。私が何度もビルの中の店から出入りした時、この男はずっとビルの入り口付近に立っていた。
『あー、いや、今日、中の店で会社の飲み会なんですけど、隣がちょうど苦手な上司で。誰も席変わってくれないし、話相手すんのキツいし、「ちょっとタバコを吸ってきます」って席立つほか、逃げる方法がなくて』
『あー……大変スね』
『っていうか、おにーさんはここで何を?』
『俺? 客引き。あと、スカウト』
『あー……なるほど』
『サラリーマンも大変スねー。ちなみに、おねーさん、夜の仕事とか興味あります?』
『いや……それは……』
『ですよね』
それから、おかーさんは嫌な上司の隣の席に座るのを先伸ばしにするために、二本目のタバコに火をつけて、男に聞いてみた。
『一日に何人くらい声かけんですか?』
男もヒマだったのだろう。その日は通りを歩く人の数も少なかった。少しの間雑談をした。当時の私は風俗の知識など全くなかったので、男は業界の説明をしてくれた。
『ヘルスが、口と手を使ってサービスをするわけ。ソープランドは、本番、つまりあそこを使ったサービスもある。
だから、ソープランドの方が稼げる。
でも、女の子によっては、本番をやるのはどうしても嫌だからって言って、お店変わるときも、ヘルスの仕事ならやるけど、ソープランドには絶対行きたくないっていう子もいる。
そこにプライド持っちゃってるんだよね。本番はヤらない、っていうところに。だから、私は売春やってるわけじゃない、みたいな』
そして、その後続けたのは、今でも覚えているのはこの言葉だ。
『でも、いつまでも、ヘルスでチョロチョロしている女が一番カッコ悪いと思うんだよね。どうせなら、腹括って、ソープ行って本番までヤっちゃった方が、カッコいいのに』
ここからおかーさんは二つのことを学んだ。
一つ目は、業界で働く男は女性たちを尊重しないし、敬意など持っていない。全て自分の都合で考えているということだ。もちろん、彼も女の子に面と向かって、あの言葉を言わないだろう。しかし、腹の中ではこのように考えており、女の子のささやかなプライドなど、微塵も尊重してはいないのだ。
当然、その女の子がお店を変わりたいと相談してきたときに、男はソープランドではなくヘルスを紹介するのだろう。しかし、その時彼は『この女、格好悪い』と腹の中で思っているのだ!
そして、もうひとつ。20年経って学んだのは、若いうちは大事なことに気づけないし、言うこともできない。
今ならその男に、『あんた、どの口でそんなこと言ってんの? カッコいいも悪いもあんたが決めることじゃないだろうが。あんたの給料は女の子たちが稼いで店に入れた金から出てんだろうが。どこから物を言っているんだ?』と言えるだろう。少なくとも、その点に気づくことはできる。
しかし、その当時のおかーさんは、『へー、そうなんですかー』と言うことしかできなかった。ああ、そういうものなんだ、信じてしまったのだよ。
いいか、(架空)娘よ。
海千山千の40、50の大人から見たら、20歳の判断力なんて屁みたいなものだ。何がおかしいか、どうおかしいか、気づくことができなければいいように利用されても、何も対抗できない。何かおかしいとうっすら感じても、どうとでも言いくるめられてしまう。
議論というのは、見方を変えれば言葉による殴り合いだ。「知識と経験」という、「見えないメリケンサック」を隠し持って殴っている方が、圧倒的に強い。
だから、例え「話合い」と称して対話の場を持っても、知識のある方が、年齢が高い方が、有利になってくる。弱い方は言いくるめられてしまう。
もし、今風俗業で働いているある女の子が「うちのお店は安心だよ。お店の人も優しくて、みんな良い人」と言ったとしても、それは彼女の目に見えている世界を、彼女の主観で語っているにすぎない。客観的な視点で見て、その通りかどうかはわかりやしないのだ。
同じ店に入って「ここ、おかしくない?」なんて言い出したら、「そういうものなんだよ」「どうしてそんなこと言うの? なんでお店を否定するの?」となり、友情にもひびが入って終わる可能性がある。
そんな世界に飛び込んで、法律にも守られず、自分自身を、自分の権利を守っていけるか?
そう、日本では、法律も風俗で働く女の子を守ってはくれないのだ。
それが、反対する理由その3=「労働者として、法やシステムで守られていない」だ。
いいか、法整備などがないということは、無法地帯だ。ディストピアもいいところだ。年若い気の弱い子ほど食い物にされる、ということだ。
日本には、風俗営業法というものがある。中でも、いわゆる風俗業に属するソープランドやヘルスは『性風俗特殊営業』というジャンルに属し、
1号営業 - ソープランド
2号営業 - 店舗型性風俗店(ファッションヘルスなど)
3号営業 - ストリップ劇場・ポルノ映画館など
4号営業 - ラブホテル
5号営業 - アダルトショップなど
6号営業 - 政令で定める(2011年1月1日から出会い喫茶が指定された)
と定義されている。出典はWikipediaだ。
しかし、これらの法律は、店を管理し、風紀を管理するための法律であり、女の子を守る法律ではない。
しかも、当然
もっとも驚くべきは、ソープランドという業態だ。
いいか、娘よ、あれはな、法的には個室のなかの自営業として定義されているのだよ」
「え。ちょっと何言ってるのか、わかんない」
「そうだろう、(架空)娘よ。おかーさんも、最初は己の目を疑ったよ。
しかしだ、風適法第2条第6項1号では、ソープランドは
「浴場業(公衆浴場法 (昭和二十三年法律第百三十九号)第一条第一項に規定する公衆浴場を業として経営することをいう)の施設として個室を設け、当該個室において異性の客に接触する役務を提供する営業」
と定義されている。要は、ソープランドで働く女性は個人事業主で、店は風呂つき援助交際の場所を提供しているだけです、ということだ。
非常に気持ちの悪い定義だ。なら、公娼を認めた方がまだ健全では? いや、どちらが健全なのか、は後にしよう。筆者にも構成の都合があるだろう」
「おかーさん、筆者って誰?」
「そこは気にするな、(架空)娘よ。
さて、
法律にのっとって考えるならば、女性は誰にどんなサービスをするのか、金額はいかほどになるのか、自分の自由意志で決められるはずだ。アメリカ映画に出てくるフリーランスの娼婦のような感じだな。店は場所を貸すだけだから下請けか、対等な関係といったところだ。
しかし、そうはいっても、実際にはゴネる客や踏み倒そうとする客もいるだろう。
そこで、
そして、本来は場所を提供するだけの店側が、
言っておくが、風俗業は、『女性が提供するサービスに対価を払う』もので、『女性自身を買う』わけではない。しかし、店側が女性を管理し始めると、この差異が曖昧になりがちだ。まったくもって意味合いが違うのだが、この点を理解していない人間が多いのが実情だ。
しかし、そもそも、なんでこんなことになっているのか。それは売春防止法との兼ね合いだ。
売春防止法は、『売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照らして売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによって、売春の防止を図ることを目的とする』ものである。これがあることで、日本は、対外的に『日本は売春のない品行方正な国です』とおすまし顔で公言することができる。
ここでちょっと付記しておきたいのは、『売春を助長する行為等を処罰する』のだが、(つまりポン引き・客引き)売春している人自体は処罰されない。なぜか。それは、この国の司法が『売春に陥った者は、刑事罰よりは福祉の救済を必要とする者である』との観点で立法されていること、つまり『売春なんかしちゃう人は可哀そうな人だから罰しちゃいけないよ』と、法律が言ってるのだ。ちなみに出典は再びWikipediaだ。
つまり、この法律の根底にある意識自体がセックスワークへの差別となっているのだ。あってはならないもの、忌むべきもの、そんなことするのは可哀そうな人として定義しているのだから。
が、しかし。実態として、男性の性欲のはけ口がないと困るので、『これは女性が勝手にやっていることなんです。僕たちは知らないことです』ということにしているのだ。
つまり、都合の悪い部分を、女性個人に押し付けているのだ。
まさに、日本のお役所に旧来からあると言われている責任逃れとほっかぶり体質だ。
はっきり言って、こちらの方が売春を国家として認めるよりもはるかに卑しい! あさましい! おぞましい! クソだ! そう思うのは、おかーさんだけか? この状態を搾取と言わずして何と言う? はっきり言って岡村さんの発言以上のクズっぷりじゃないか?
twitterで「風俗やってることを可哀そうって言うな! そっちの方が上から見てる、失礼」という書き込みを見かけたが、国がそういう考えなのだよ。この日本という国家が。
さらに、AV業界に話を移そう。
ここに一冊の本がある。桐野夏生氏による村野ミロシリーズ・第二作『天使に見捨てられた夜』だ」
「おかーさん! それ、講談社さんの本だよ!」
「角川書店さんは心の広い会社だから、そんなことは気にしないぞ。
この本の冒頭で、衝撃的なシーンがある。AVに出演している子が、レイプされ、撮影されるというシーンだ。AV出演という体でカメラの前で性行為をした後、数人の男が部屋に入ってきて、さらにその女性をレイプする。
ひどい話だ。しかし、『あれ?AVに出ることにOKしたんじゃないの? 一緒でしょ?』と一瞬思ってしまわないか? 法律上、こういう場合での婦女暴行罪は非常に立件しにくくなる。
あ、ちなみに小説の主題は別のところにあるので、興味を持った人は買って読んでくれたまえ。
因みに、アメリカでは絶対こういうことは起こり得ない。なせかというに、
アメリカのポルノの
レイプものでないにしても、男性から関係を強要され、はかない抵抗を試みるも、そのうちにだんだん……みたいな展開のものが多いのではないだろうか。
そういった差異が、一部の日本人男性からは『アメリカのポルノは、なんか
そして、それらが、女は男に支配されるものという認識を植え付け、間接的に女性がセックスを楽しむことを抑圧しているのだ。
(架空)娘よ、これがこの国のセックスワークの現実なのだよ」
「でもさ、その、お店が決めたルールや金額に納得して仕事ができるなら、別にいいじゃない。無理に変える必要がないから、今働いている子たちも変えないだけかもしれないし」
「なるほど、お店のルールや金額に自分が納得できるなら、いいじゃないか、と。そうかもしれない。しかし、何かあったときの保証はないぞ。店が守ってくれるとは、おかーさんは考えない」
「おかーさんの言う風俗業の男性スタッフが差別的だっていうのは、その客引き兼スカウトの男の話があったからでしょう? たった一人の発言で、全員がそうだって決めつけるのは、差別じゃん」
「差別! とうとうそのワードを持ち出してきたか。
では、(架空)娘よ、最後に最も重要なことについて話そうじゃあないか」
「いいわよ、おかーさん! でも、私じゃあ、論で太刀打ちできないから、ちょっと味方を呼んでいい?」
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