第二章 西方守護伯付き魔女と役立たずの王女 第一話

 毎日り広げられるむくむく筋肉からのがれる方法を、ミルレオは発見した。いつぱん人か限りなく疑わしい相手への自衛手段。それは静電気だ。筋肉達は地味に痛いのは苦手らしく、ミルレオの身体をやみかかえ込んで引きずらなくなった。ただしジョンには全く通じない。静電気どころからいげきになっても平気な顔で笑っていた時はどうしようかと思った。どうも出来なかった。

 周りを深いほりと高いかべに囲まれた守護伯の城はさながらけんろうようさいだ。へいえると広い空間が広がっている。兵士が集まれるようになっているのと、戦の際に街人達がげ込み簡易のなんじよを準備できるくらいに広いのだ。城の内庭は来客用に花々が咲き誇り、ていねいせんていされているのに比べ、塀の近くになると結構おざなりになっている。

 ミルレオは人通りの少ない雑草の生えたかげいていた。足を組んで宙に浮き、かれこれ小一時間はこのままである。精神集中のついでに術の保持を練習しているのだ。

 レオリカが術を使うイメージを思い浮かべる。洗練されたのない術式の中に溢れる鮮やかな美しさ。だれもが目をはなせなくなる。お母様のように艶やかな術式。ぐわっと内側から開いたあぎとに気づいてあわてて術を解く。どうようはそのまま精神に表れた。体勢をできずに落下する。

「あいたぁ……」

 思いっきり打ったしりさする。これを、今日だけで何度繰り返しているのやら。

「何がいけないのかしら……」

 イメージは掴めているのだ。まるで母自身のように、苦もなく放たれる美しく鮮やかな術式。しかし、同等のわざふんさいしようと試みるも、形になる直前にくだかれる。

 直接地面にころがって空を見上げる。王女では絶対にできない格好もミルなら簡単だ。れ日が目に当たり、痛みにすぼめる。片手を上げてくるくる回すと枝だけだった木に葉がしげり、花が開く。増えた木陰で光を防ぎ、ミルレオは深くためいきをついた。

 ふとさわがしい声が聞こえて身体を起こす。

あまけるりゆうよ、我に制空権を」

 ばやく呟いたたん、両足に術式が浮かび上がった。そのまま空を駆けのぼり、高い屋根の上に移動して門をながめる。ね橋としずみ橋をこうりやくしなければわたれない正門が開き、なんかの馬が駆け込んできた。うまやもどす手間もしいのかとびらの前までとつしんしたら、おどろいた扉番に押し付け、城内へ駆け込んでいってしまった。巻き込まれたメイドがづなを握っておろおろしている。

「どうしました?」

 逆さまに現れたミルレオに、メイドは悲鳴を上げて手綱を放してしまった。

「わ! ちょっと待ってください!」

 慌てて手綱を掴み、馬の背へひらりと飛び乗る。

「僕が連れていきます。それよりどうしたのですか? ずいぶんあわてた様子でしたが」

 ほかの馬を手招きで集める。てのひらに鼻筋をこすりつけてくるのででてやればうれしそうにってくれた。ああ、可愛い。まだ幼いていまいを思い出す。ガイア、リア、姉様は頑張っています。

 メイドの顔には見覚えがあった。来たばかりのころに部屋が分からなくなって困っていたとき、案内してくれ、なかった人だ。確か名前はサラだっただろうか。赤茶色のくせが印象的で覚えている。何故なぜきらわれているらしく、たまに見かけても鼻を鳴らして顔をらされてしまう。今も、相手がミルレオと分かるやいなや、ふんっとそっぽを向いてしまった。

「知らないわよ、そんなこと! それよりあなた、レディの前に空中から現れるなんて非常識よ。失礼にもほどがあるったらないわ」

「そうですね。失礼しました」

 自分でもそう思い、なおに謝る。サラはちょっと驚いた顔をしたが、すぐに鼻を鳴らした。

「では、僕はこの子達を廏番の方にお願いしてきます。みなさん、僕と行きましょうね」

「ハーメルンみたいな事しないでくれるかしら!?」

「笛はいていませんよ?」

 ぞろぞろと馬を連れて移動していたら、窓から気付いた人々にぎょっとした顔をされた。じよが居つかないスケーリトン地方では魔法がめずらしいのだろうとミルレオは思った。実際は、小柄な少年が、ぞろぞろ引き連れた馬に満面の笑みで話しかけていることにぎょっとしているのだが、ミルレオはちっとも気づいていなかった。

 馬を廏番にたくし、城に戻ろうとしたミルレオは、ぴたりと足を止めた。何かみような気配を感じたのだ。はっと視線を向けると三階の窓辺りに何かがいる。

「インプ!」

 ちゆうるいのようなに羽、鬼のような顔に意外と愛らしい鳴き声の魔物だ。しかしひとのない山奥ならともかく、人里に自分の意志で現れることはめったにない種族である。ならば使い魔だ。

「右にシリウス、左にぼし、この地に流星のおりを!」

 昼だというのに空から白銀の矢が降り注ぎ、インプを囲ったまま地面にさった。指先をくいっと曲げた動きに合わせて檻が形作られていく。ぴぃぴぃ鳴くインプをのぞき込み、その首をかくにんする。もんようがぐるりと首を囲っていた。

「やっぱり使い魔……この周辺に魔女はいないって聞いていたのに」

 だからミル・ヴァリテが就任したのだ。魔女のいない地に、魔女の使い魔がいる。これは、ガウェインに報告しないわけにはいかない。ミルレオは再び高くちようやくした。

 ほんだなさえぎられた窓を外側からノックすると、けんいたガウェインと目が合った。驚かせて申し訳ないが剣は抜かないでほしい。窓からでもノックしておいて良かった。いきなり入ったらられていたかもしれない。

「ミルか。どうした?」

 窓しで聞き取りづらい声に、りで入室の許可を取った。

「ちょっと待て、この窓は開かないんだ」

 別の部屋から回れとの指示に首を振ると、ミルレオはするりと部屋に入り込んだ。上半身だけ本棚から突き出したじようきように、部屋にいた人々の顔が引きる。

 我に返ったのは、となりの部屋の窓を開けに行こうとしていたトーマスが一番早かった。

「ミル! ちゃんと文明の利器を使いなさい!」

 生まれて初めて聞く類いの説教である。その説教に、固まっていたガウェインも気を取り直したらしい。ぱちりと瞬きをして、まじまじとミルレオを見下ろす。

「そうか、そういうことも、出来るらしいな。何だお前、ちっとも半人前じゃないじゃないか」

「いえ、全然お母様にはなれません」

 身体からだを全部入れたところで手だけ引っかかる。檻をこうりよするのを忘れていた。すぽんとのんな音をさせて引き抜く。檻の中でぴぃぴぃと鳴くおそろしい顔をしたインプを覗き込んだめんは、何とも言えない顔をした。ガウェインがそぉっと口を開く。

「飼いたいのか? ちゃんと世話するなら構わないが……お前、可愛かわいい顔ですごしゆだな」

「捨てインプを拾ってきたわけではありませんよ!? 使い魔のようですけど、スケーリトン地方に魔女はいないのでは?」

 二人は目を丸くした。

「お前以外いないはずだ。少なくとも俺は聞いてない。トーマスもだろうな」

「ガウェインが知らないなら、いない。むしろ、そうじゃないとなんだけどな」

 トーマスは深いためいきいた。らくいんだったガウェインに従わない者も多いのだろう。名家や古い血筋の者ほどそのけいこうにある。他の守護地は王家の血筋が治めている。西方だけがちがうのだ。この地のごうぞくせんとうすぐれ、王家も下手へたに所有権を渡せとは言いづらかったのだと聞く。

 ガウェインは口角をゆがめた。

「本来なら、な。おい、ザルーク、いつまで固まってるつもりだ。帰ってきたばかりで悪いが、仕事だ仕事」

 部屋にいた残り一人は、ミルレオと同世代の赤茶色のかみの少年だった。目をくりくりさせてぼうぜんと立ちくしている。ミルレオの行動は、今までであればとつぜん現れたことには驚かれても、こう自体に驚かれはしなかった。しかし、ここスケーリトンでは動揺にあたいする行為なのだろう。これからは気をつけようと、自分のせんりよを反省する。

「あの、その方が先ほど随分慌てていらっしゃ……いたようですけども、どうなさ……どうされ……どうしたんですか?」

 何度もつっかえるミルレオの頭をしようした手がき回す。髪は派手に乱れたが、意外とここいので、今度弟妹にもやってあげようとこっそり決めた。

「なに、さきれもなく王族が我がスケーリトン地方においでになっただけだ」

「ぶっ……!」

「……どうした?」

 品無くき出したミルレオは激しくせた。王族に対するじゆんすいな驚きと取ってくれたガウェインは、そんなに驚かなくてだいじようだとなだめてくれる。

「お、王族ですか」

「そうだ。たいざい費はこっち持ちなんでな、いくさも続くし出費は痛い。まあ、滞在は守護はくの城ではなく名家のしきらしいが。しかし、あまりおおやけの場に現れないミルレオ王女が何の用だ?」

「わたくし!?」

綿わたくし? 何かの新商品か?」

 そうかミルレオひめがここに来るのかぁ、そうなのかぁ。そんな鹿な。

「いや、あの、え!? いや、そんな事もあるある……ないですよね!?」

「いや、知らないが」

「隊長、それはにせものです!」

 すさまじく不敬な言葉をいたミルレオをトーマスがあわててたしなめた。この場にいる者しか聞いていないとしてもまずい。しかし、だんは大人しく口をつぐむミルレオは従わなかった。

「──こんきよは?」

 ガウェインはじっとミルレオを見た。何かをさぐっているのか、見定めようとしているひとみには慣れている。こんなしんな物は珍しいけれど。だから、ミルレオは躊躇ためらわなかった。

 母は知っているのだろうか。もし知らないならば知らせなければならない。公の場に出ないという事はえいきよう力も少ないが、それでも王族というだけで権力者は従わなければならない。

 仮令たとえ名前だけであろうと、母をわずらわせるわけにはいかない。

「僕はミルレオ姫と面識があります。姫は大事な用事をしている最中なので、旅行なんてゆうはありません。滞在費など出す必要はありません。つかまえて、恩賞をもらってください」

しようは?」

「王宮に問い合わせて頂ければ一番早いのですが……とうちやくはいつ?」

 ひょいとかたすくめられた。

すでに西方には入っておられるそうだ。早いと明日の昼前には着く」

 間に合わない。ミルレオが自身ので便りを送って返事を貰っても、確実な証拠にならない。身分を明かしていないミルレオが提示するには、公の書類でなければならないからだ。

「分かりました。では、僕が直接会います」

 王家に属する者として、一人の人間として、ミルレオの名はわたせない。それはミルレオのちっぽけなきようであり、そして、重大な責である。役立たずの未熟者でもそれは変わらない。

 ミルレオは瞳をり上げて、まっすぐにガウェインを見た。

 私は、王女だ。ミルレオの名で悪事など働いてみろ。

「お母様がおいかりにっ……!」

 急にあおめたミルレオはがたがたふるえ始めた。このおびえようはうそではない。ガウェインはあわれみに近い感情でそっとその肩をたたいた。嘘で毛穴まで開けるものか。

「分かった。分かったからそこまで脅えるな」

「ガウェイン様!?」

 さけんだのはまだ固まっていたザルークだ。魔女がはなれて久しいスケーリトンではほうを見る機会はそうそう無いので、おどろくのは仕様のないことだった。

「とりあえずお前を信じよう。しかし、ミル。もしもの時はお前を切り捨てるかも知れんぞ。それでもいいか?」

「あ、はい」

 けろりと返事したミルレオに怒ったのも、ザルークだった。

「お前もあっさり返事すんな!」

「いきなり斬り殺さないで頂けたら、僕はそれで結構ですけど」

「何でだよ!?」

「死んだらお母様に殺されるからです」

 ごくな顔で、ミルレオはきっぱりと言い切った。

 この身はミルレオの物でも、ミルレオだけの物ではないのだ。名もしかり。だれにも渡すわけにはいかない。使うのであれば母王の命のもと、許可を取ってもらわなければ。

 政略のためとつぐ決意も、国の代わりに死ぬかくもある。四つあごとのけつこんは、かなりの覚悟を必要とするけれど、そうしろと言われたら、ミルレオは従う。ミルレオは魔女で、王女なのだ。ウイザリテにおいて、魔女である身には責がある。王族であるのならなおのこと。

 けれど、責では死ねても、成り代わりのために消える理由はどこにも無い。

 ぐしゃりとひときわ強く頭をでられた。見上げた緑がわずかに歪んでいる。首をかしげる間もなく彼はたんそくした。上に立つ者は下を切り捨てても守らなければならないものがある。それは古参者ではなく新参者が相応ふさわしい。傷も少ないはずだ。だから彼の決断は正しい。

 ミルレオは心の底からそう思っていたが、非難の欠片かけらもない瞳で見つめられた方はたまったものではない。うらつらみは受け止め慣れていても、純然たる決意を向けられると、少々、つらい。そうガウェインが思っているなどつゆらず、ミルレオはまっすぐにガウェインを見上げていた。

「……お前は全く……小動物かと思えばきもわってるな」

 これはめられているのだろうか。ミルレオには判断がつけられない。

こわくないのか? 俺は本当にお前を見捨てるぞ」

 ミルレオはきょとんと首を傾げた。

「就任して日の浅い者がおかした失態でしたらあまりごめいわくをおかけせずに済むかと。それに……お母様より怖い事は、あまり……」

「ああ……なるほど……」

「見捨てられないよう努力はします。僕はここが好きですから追い出されたら悲しいです。それに、追い出されるのはあちらですから」

 きんに迷いはない。偽者は絶対にあばいてみせる。お母様に殺されないうちに!

 ぶるいは武者震いか、おそれか、誰も判断出来なかった。意気込んで小さくこぶしにぎる様子は、子アリクイが躊躇いがちに身体からだを広げてかくしているようにしか見えなかった。



 夜もけたころ、ミルレオは見張りの兵士が交代するすきねらってこっそりろうを走っていた。今夜は満月なので空を移動する方が目立つのだ。そぉっと現れたのは中庭だ。中庭は来客から見えるため季節の花々が計算されてほこり、組まれたアーチにも美しくからまっている。を好まないガウェインだったが、庭はトーマスのしゆだそうだ。その中庭の、さらに奥へと進んだ先にあずまがあるのをトーマスから聞いていたミルレオは、やみまぎれて東屋を目指す。

 あまり使われていないらしく、ほかから見えづらい位置にある小さな東屋は、つたれ葉でれいじようが喜ばないふんを作りだしていた。だが、ここが美しい場所であっても、令嬢は中々好んでおとずれないのがスケーリトンという土地である。

「ウパ!」

 そっとのぞきこんだ中にいたのは大きなふくろうだ。母レオリカの使い魔であり愛鳥であるウパとは、子どもの頃から仲良しで、昔はよく背中に乗せてもらって空を飛んだものだ。

 使い魔は通常の個体よりも大きい事が多く、例にれずきよだいなウパをきしめる。ふわふわとした毛先と、つめくちばしの固さが対照的で楽しい。

 一通り再会を喜び楽しんだ後、羽の中から手紙を取り出す。女王である母ににせむすめの情報を渡さないというせんたくはない。自分が王女だと知らないガウェインには、正しい情報だと信じてもらえない事実も気がかりである。だが、仕様がない。今の自分はミルという名の男の子なのだ。のろいも解けずに王女なんですなんて言えない。それこそり殺されるかもしれない。

 通常、魔女同士のれんらくは水鏡を使う。ミルレオも、報告は安全な水鏡を使用したけれど、母の方が届けたい物があるからと返事は手紙になり、配達役にウパが来てくれたのだ。うれしい。

 母からの手紙には、偽者に関してはこっちも探るそっちも探れとしか書かれていない。後はを引かないように、腹を出してないように、寝る前はトイレに行くようにと、ていまい達とちがわれているんじゃないかと疑いたくなる注意書きが記されていた。一つだけ、好きな人ができたら真っ先に教えてねというなぞの一文があった。お母様、てつ続きでねむいんですね、そうなんですね。ミルレオは静かになつとくした。

 母のサイン付きの手紙を手元にはおけない。手紙はミルレオの手の中でしゆんに燃えきた。問題は残りの二枚だ。それぞれ違うふうとうに入っている。首を傾げて取り出したミルレオの背後に向けて、とつぜんウパが羽を広げて威嚇した。

「ウパ、どうしたの?」

「何をしてるんだ、ミル」

 とうとつに現れたのは、かみが闇にけているガウェインだ。部屋着にえているが、寝巻きでないところを見ると仕事をしていたのだろう。彼は一体いつ寝ているのか。朝も早くからたんれんしている姿をよく見かける。そのまま仕事に出て行くこともままあった。

 驚いて思わず取り落とした手紙をガウェインが拾う。

「何だ、これは」

「あ、あの、それは僕のです!」

 何が書いてあるか分からず、あせって取りかえそうにも既にガウェインは開いてしまった。

「……何だ、これは」

 思いっきりげんまゆを寄せられる。くるりと向けられた手紙を見て、ミルレオは納得した。ぐるぐるき回された色取り取りの丸が一枚、やけにリアルなミルレオが一枚。

「弟妹達のお絵かきです。妹はまだ三つで。おそらくはお父様とお母様、弟と本人と僕だと思います。弟は絵がとても上手で、これはわた……ミルレオ王女です。えっと……家族ともども面識を持たせて頂いていまして」

 流石さすがに驚いたのだろう。ガウェインは軽く目を見張った。

「お前、本当に結構ないえがらじゃないのか? こんな、よりにもよって西に配属されていいのか」

 東西南北の守護地は国のしようちようだ。しかし、やはり重要視されるのは王宮にいる魔女達で、ほど功績を立てなければ名が売れることも無い。中でも西は魔女が少ない。守護はくであるガウェインもミルレオがゆいいつの魔女という、他では信じられない事態だ。その唯一の魔女に、王族と付き合いのあるほど高位の家から魔女が選ばれるなど、あり得ないことだった。

 お礼といつしよに散々撫でた後、飛び去ったウパを見送りながら、ミルレオはぽつりとつぶやく。

「魔女は役立って初めて魔女です。きっと王族も同じです。名だけの王女に何の価値があるのです。何をしても女王には遠くおよばない。王の適性は幼い王子にある。ひめとして望まれる愛らしさは末姫にある。王女は何もかもちゆうはんな役立たず。みなが言っている言は正しいんです。その上、表に出る事をいとうて外交の役割も果たさず、顔が知られていないからとこんなことに利用されて……情けないにも程があります」

 あの女王の娘なのに。あの魔女の娘なのに。何故なぜ、あの人のようになれない?

 誰が言ったのか思い出せないくらいいくも聞いてきた言葉だ。顔は覚えていないのにひとみだけはせんめいだ。ちようしようじよくならえられた。らくたんに染まった色に比べたら。

 魔法は人の為にあれ。それは、魔法を使う魔女に人と共にあれと言っているのだ。かつてひどはくがいを受け、生すら許されず人の世界からはじき出された魔女と共に、自らの意志で人の国から外れた人間達の為に。国も生活も家族も友も捨て、じよと生きようと人の世から外れてくれた人間達を、世界から守れと、かつての魔女はおきてを定めた。

 七百年途切れぬそれはきっと、いのりであり、願いだった。

 それなのに、ミルレオは半端物だ。王族であれ、魔女であれ、何にもなれない不要品。王族として国民のしるべにもなれず、魔女として人の光にもなれぬ役立たずのガラクタ。皆の失望は当たり前なのだ。何にもなれないちりあくたのくせに、王族として、魔女として生まれた、不要な。

「おい、ミル!」

 強くかたつかまれて、はっと意識がもどる。怪訝そうな瞳に自分がつむいだ言葉を思い出した。

「あ、あの、そう! 王女が! 王女が言ってたんです! ほら、僕、名前が似ているでしょう? だから結構仲が良くて、あ、えと、仲良くさせて頂いていまして」

「それは分かった。さっきも言ってただろ。だが、だから、お前はどうした」

「僕、ですか?」

「気づいてないのか」

 使い込まれてささくれ立った長い指が不意に目元へれた。思いもよらないほどやさしい動きにけるこうが思いかばない。

「泣いてる」

 反射的に顔に触れると、いくすじも伝ったあとがあった。自覚したたん込み上げる胸の痛みを持て余す。しゆうより焦りより、何より痛みがまさったおのれが不思議だった。

「ちが、違います! 何でこんな、泣くなんて、そんな」

「分かった。分かったから落ち着け」

 左手で口元をおおってきよを取ったのに、ガウェインはその分も歩を進めてしまう。制止をめて出した右手は彼の胸に触れた。よろいを着用していないのにかたい、ぱんっと張った身体は男の人のものだ。うすから直接伝わる体温に急にずかしくなる。ジョン達にもみくちゃにされて悲鳴を上げるのは慣れてきたのに、どうしてこんなに恥ずかしいのだろう。

「十六にもなって男が泣くのは恥ずかしいぞ」

「も、申し訳ありません。頭を冷やして参りま、っ!?」

 びてきた長いうでを視線だけで追ったら動きがおくれた。そのまま頭をかかえ込まれて硬い胸に押しつけられる。

「だから、早く泣きやめ」

 言い方はそっけないのに髪をく手つきはやわらかい。耐え切れなくてもだもだ動いてもびくともしないので、あきらめて少しだけ体重を預ける。

 人前で泣くなんていつ以来だろう。ミルレオは込み上げるえつおさえつけた。ここは王宮ではないから気がゆるんでいるのだ。母を知っている人もいない。だからだ。比べられないのは。

 ミルを見てくれる瞳は、ミルレオを見るものではない。ミルがミルレオなら、きっと、こんな風には見てくれない。そしてミルレオは、母がいない世界など、望んではいないのだ。

 優しい母が好きだ。尊敬している。だからつらい。

 誇らしい母、あの人の娘で嬉しい。だから悲しい。

 役に立ちたかった。さすがあの人の娘だと言ってもらえる自分で在りたかった。そうなれないなら、せめて、失望にいろどられていく人々の視線に傷つかない強さが欲しかった。


「こんな、情けないっ……泣くなんて、本当に、違うんです、ごめんなさい、きっとお役に立ちます、だから、ごめんなさい、お母様じゃなくてごめんなさい、お母様のようになれなくてごめんなさい、ごめんなさい」

 ガウェインの腕の中で、必死なのにどこかうわごとのように悲痛な謝罪を紡ぎながら、けんめいなみだを止めようとこらえる肩は細い。本当に男かと疑ってしまう。少し力を入れたら折れそうな首、指が回ってしまうひじ、白くきめ細かいはだに指通りのよい美しい銀青。軽くたたけばぽきっと折れそうな背中で、少年は当然のように捨てごまを受け入れた。意外と強い瞳がくずれるのは、いつも母親が出てきたときだ。

 彼が謝る意味は何となく察しはついた。ガウェインにも覚えのあるじゆばくだ。

「……あの方がいなければ、同じだったかもな」

 頭上から降ってきた言葉に顔を上げようとしたミルレオは、酷い状態になっているじようきようを思い出したのかあわてて下げる。小動物のような動きにしようして、丸い頭にてのひらを軽く落とす。

「もうろ。明日あしたは慣れない事をしてもらうんだ。目も冷やしておけよ?」

 小さくうなずいた身体からだは、ガウェインのほうが心細くなるほどきやしやだった。



 ザルークが招待状を持って帰ってきたのは早朝だった。

『ミルレオ王女』がたいざいするのは守護伯の城ではない。スケーリトンのとなり、コルコ地方の領主のしきだ。王女がとうりゆうするにもかかわらず、西方を治める守護伯の城が理由もなく選ばれていないのは侮辱でしかない。

 強行軍させたザルークをねぎらい、形ばかりの招待状を開いたガウェインは皮肉気に笑った。

「女性どうはんか。この城に連れて行けそうな女がいないのをしてくるからな」

 さいいやがらせからきよだいな嫌がらせまで慣れたもので、ガウェインは招待状をほうり捨てるようにトーマスへわたした。ていねいいこんだトーマスは、不安げに眉を下げた。

「本当にだいじようだろうか。魔法で何とかしたほうがいいんじゃ……」

「相手がインプを使っていたなら、魔女がいる可能性が高い。魔法探知を使われたらやつかいだ」

 ミルレオののろいは、かけた相手が相手だから大丈夫だろうとは本人談だ。簡単に見破られるような呪いならすでに解いてますと言った本人は、百人中百人があわれに思う遠い目をしていた。

「本当に大丈夫っすか? あいつ、あいつらが寄越したかくとかじゃないんですかね。あっちがこっちをめようとしてるとか」

 あっちだのこっちだの慣れない人間が聞いたら混乱しそうなしやべり方は、ザルークのくせだ。日常生活ではかなり支障をきたしており、お前分かりづらいとけんになっているところをよく見かける。

「ミルはいい子だよ」

 さらりと言い切ったトーマスに、ザルークは続けようとしたこうを飲み込んだ。

「任命の書状は本物だったし、ジョン達も、トーマスさえ気に入ってるんだ。半人前というわりに魔法もよどみなく使える。ぶつかってめ事を起こす性格でもないようだから、今の段階では願ってもない人事といえるな。高位の貴族なのもちがいない。下級貴族の子息が気軽に会えない人間の情報にもくわしかった」

 ガウェインが統治する西方守護地も、ほかの守護地と同様一枚岩ではない。出自が出自なだけにもろいと見てもいいくらいだ。中央へわいを送っていた貴族はいつそうし、ぼつしゆうした財力で財源を確保したこともあるのでうらまれている自覚もある。足をすくおうと手の者を送り込んできた可能性も否定は出来ない。むしろその線がのうこうだと思っていたら、現れたのは棒っきれのように細い少年だった。

 身を持ち崩す理由ははいじよする。当たり前の話だ。そのためしんことがらがあればさぐる。それも当たり前だ。しかし何故かミルレオには、疑って悪いことをしたなと思ってしまうふんがある。出会ってまだ日が浅いが、何につけてもいつぱい一杯になっているのが目に見えて分かるからだろうか。ガウェイン自身もちょっと悪かったなと思い、思った自分に苦笑してしまった。

「でも」

 なおも言いつのるザルークを制する。今は目の前の事を終わらせたい。まだ不満が見て取れるザルークから受け取った報告書に目を通す。『ミルレオ王女』は、外見的とくちようは風聞通りだ。流石さすがにそこは外さないのだろう。銀青の長いかみきんひとみはなのようにあでやかでせいひめぎみだという。ミルレオ王女の通り名は『せつげんようせい』だ。

 机に重ねた書類から一枚引きいてながめる。えんぴつだけでえがかれた少女の絵だ。

「それは?」

 首をかしげるトーマスに裏返して見せてやった。

「これは……まるで生きているようだね」

「あ、見合いっすか? 美人っすねー」

ほう。ミルの弟が描いたらしい。おそれ多くもミルレオ王女であらせられるぞ」

 絵の技術と絵のモデル、それぞれに見入っていた二人がはじかれたように顔を上げた。

「ザルーク、王女は見たか?」

「ちらっとなら。似てるけど……遠かったからなぁ」

「そうか」

 白黒の王女は柔らかく微笑ほほえんでいる。あいに満ちたしようを丁寧にとらえたミルの弟は、ごろからこのがおを向けられているのだろうか。ふと同じしきさいをしたミルを思い出す。ちまっとした身体に丸い頭。つい構いたくなるのは小動物を思い出すからか、それとも色に引かれてか。

「大きく、なられた」

 ぽつんとつぶやいた言葉は、幸い食い入るように絵を見つめる二人に聞き取られはしなかった。

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