第5話 妖精の住む森

 魔除けのエッセンスは、柑橘系の樹木から採れる油に幾種類かの香草を組み合わせてつくる。焚き染めて衣服に匂いをつけたり、調合油を剣や槍の刃に塗りこめて魔物への攻撃に使う。精製に手間がかかるためそれなりに高価だが、魔物の潜む国境近くの森を監視する任務を与えられた都合上、それなりの量が優先的に支給されていた。また、ペスカ村でも積極的に交易が行われていたこともあり、第一歩兵も予算の許す範囲で買い求めていた。したがって、十一名全員に魔除けのエッセンスが行き渡り、一同はひとまず安心して太古の森に足を踏み入れることができたのだった。

「思ったより明るい森だな。魔物なんてホントに出んのか?」

 頭上の枝から飛び立った数羽の小鳥を見上げながら言ったのは、この春入隊したばかりの新兵ケリー・イーストン。ペスカ村で生まれ育った若者で、年齢は十七歳。日に焼けた肌とコーヒー色の髪と瞳が健康的な印象の少年だ。

「この辺はまだ浅い森よ。村人も木の実や薬草を採りに入るくらいだもの。危険な魔物はいないと思うわ」

 彼の言葉に答えたのはアリーシャ・フローレンス。同じ村で暮らしていたふたりには、当然面識がある。

 そんなふたりの後ろから、アザド・レジが声をかけた。

「魔物って、具体的にどういったものが出るんだ?」

 私が聞いたことがあるものは……と、アリーシャが指折り数える。

「道を失わせるフクロウ、大地の宝を守る小人、人間の持ち物をさらってしまう風の精、川の水をあふれさせる子どもの妖精、時間の止まった木々の鐘、沼へ引きずり込む大きな馬、死を予告する黒い犬……」

「結構な種類があるもんだな」

 アザドは気難し気に眉をしかめた。

「私は森に入ることはあまりないから出会ったことはないけど。でも、私とおじいちゃんの宝物がなくなったのは、きっと風の精霊のしわざだわ」

 アリーシャは、黄金のももひきとペンダントは風にさらわれたと思っているようだ。

 その話を聞いていた、ストーンズ兄弟の弟・ミランが声を上げて笑った。

「魔物も妖精もいっしょくたになってんじゃねーか」

「いいのよ! 村では、全部『森の精』って呼んでたんだから」

 アリーシャが噛みついたが、青い瞳に笑みをたたえた青年はケラケラと笑い続けた。

 アザドがミランに声をかける。

「そういうお前は、妖精を見たことがあるのか?」

「俺? たぶん、あるっスよ。ガキの頃、庭に緑色のおじいさんがいたんですが、母親に言っても変な顔されるんスよね。俺にしか見えてなかったっぽいけど、あれたぶんそうでしょ」

 エドナが興味深そうに「へぇ」と声をあげた。そして夫に向き直る。

「だってさ、あんた。あんたも、そのおじいさんの妖精とやらを見たのかい?」

 妻の言葉に、ディーン無言のまま首を横に振った。

 ミランがまた笑う。

「ダメダメ、兄貴は。昔っからこんな顔したカタブツだもの。妖精もビビッて逃げてっちまうよ」

 そうかもね、とエドナは肩を竦めた。

「うちの人は石頭だもんねぇ。でもいいね、私は見たことがないからさ。実はちょっと期待してるんだよ。今回の旅で面白いものに出会えるんじゃないかってね」

 その気持ちはリカードにもよく分かった。

 瑞々しい若葉と花の香りに満ちた森は、生命の気配にあふれていた。この森でなら、どんな不思議な存在に出会ってもおかしくない気がする。


 人間たちがのんきな会話を交わす下で、ボッポルーたちは黙々と歩を進めていた。

 ボッポルーというのは飛べない鳥で、羽が短く退化し、二本足で地面を蹴って進む大型の生き物だ。胴体の羽は黒く、尾羽と首の羽は緑色、小さな頭には赤いとさかが揺れている。人によく馴れる性質で、馬よりも維持費用がかからないことから軍馬の代わりに用いられることも多い。いまリカードたちが乗っているボッポルーも、第一歩兵団で飼育しているものである。

 クェッ、ゲッ、という小さなボッポルーの鳴き声とともに、人間たちは徐々に森の奥へと入り込んでいく。


「我々は竜を求めて森に入ったはずだが、どこへ向かって進んでいるのだ?」

 しばらく森を進むうち、そう声を上げたのはブレイデン・クワック・コンロイ伍長。一行の最年長で、壮年の戦士である。立派な赤ひげとは対照的に、頭髪は過去の彼方へ姿を消している。重そうな戦斧を背負っていた。

 よくぞ聞いてくれた! とばかりに、リカードは勢い込んで懐からある道具を取り出す。一見懐中時計のように見える手のひらサイズの金色の物体だが、よく見ると周囲に方位が刻まれている。中心では赤と黒の針がゆらゆらと揺れていた。

「よくある羅針盤のように見えるが、これは一味違う。なんと、ドラゴンのいる方位を示してくれる、竜探検アイテムなんだ!」

 自慢げに胸を反らすリカードの隣で、「おいおい、まさかカルヴィンの行商で買った品じゃないだろうな?」とアザドが顔をしかめている。

「そうだけど、気に入らないのかい?」

「いや、なんていうか……モノは悪くないんだがな、お前さんが変なものばかり収集してるから、どうしても『変なもの』じゃないかって疑問が拭えないんだよ」

「心外だね。この赤い針は、赤い竜クリムゾン・ドラゴンの尾の鱗を削って作ったものだそうだ。ずっと、竜が飛んで行ったという西を指しているんだよ」

「……だといいんだがなぁ」

 と、アザドの反応はどこまでも懐疑的だ。

 ひょいと身軽に、カレンが師匠を援護射撃した。

「師匠が大丈夫って言ってるんだから、大丈夫なの! アザド様は心配しすぎ!」

「お前の言葉は、リカードの次くらいにアテならん」

「ひどい!」

 カレンはやわらかそうな頬を膨らませてむくれた。

 エドナ、ミラン、そしてターニャが声をあげて笑った。

 ターニャ・フィンドレイは魔法使いセシリアの弟子で、カレンと同じ十四歳の少女だ。銀色の髪を編んでおさげにし、手には短い杖を持っている。おとなしいというよりは臆病な性格で、おそるおそるボッポルーにまたがる姿は年齢よりも幼く見えた。今では、二本足から伝う振動にも硬い羽の感触にも慣れたようだ。

「ふふっ、でも、リカード様が魔法の道具に興味があるなんて、知らなかった」

 リカードは、ターニャに向かって片目をつぶってみせた。

「便利な道具は、まだまだたくさんあるよ。楽しみにしていておくれ」

 一行は西に進路を取って森を進み、夕暮れが迫ると、ボッポルーを降りて野営の準備を始めた。


 三つの天幕の中心に、薪を集めて起こした焚火がふたつ。水の流れる音が鼓膜を打つ静かな河原に陣を張った計十名のささやかな竜の調査隊キャラバンは、リカードの吹く笛の音に包まれながら夕食を摂っていた。

 リカードが持っているのは両手にすっぽり収まってしまうくらいの小さな横笛で、音楽好きの父のコレクションから失敬してきたものだった。

「この曲はね、家畜のお産のときに吹いてやると、母親が落ち着いてお産にのぞめるんだよ」

 今しがた披露した曲についてマメ知識を付け足すと、「なぜ、今それを吹いた?」とアザドに突っ込まれる。

「ん? ゆったりしたテンポが、食事にぴったりかなって。あ、私もスープのおかわりが欲しいな」

 カレンがすかさずアリーシャの腕を突っつき、アリーシャがスープをよそって渡してくれた。

「ありがとう、アリーシャ」

 今日の食事も彼女が中心になって準備してくれた。旅先でも美味しい食事にありつけるのは、本当にありがたいことだと思う。

「あのさ、ひとつ訊いてもいいかしら?」

「なんだい?」

 これまで会話らしい会話をしてこなかったので、おや、と内心思ったがそれを表情には出さない。

「あなた、貴族なんでしょ? なんで家畜のお産に立ち会ったのよ」

 貴族と呼ばれて、リカードは笑った。

「そうだねぇ、いちおううちは男爵家だけど、なにせビンボーだったから。家畜の世話も家の中のことも、みんなで手分けしてやらないと回らなかったんだよ。館もあちこち傷んでいたしね。今でも、ぞうきんを縫うのは得意だよ」

「……」

「あ、いや、でも。今からお金持ちになることもあるかもしれない、うん」

 リカードは慌てて付け足したが、弟子のカレンの目は「あーぁ、それ言っちゃう?」と雄弁に語っていた。

(しまった、アリーシャの好みは「お金持ちの男性」だった)

 リカードの発言をどう受け取ったのか、アリーシャは黙々と自分のスープをすする。

 その時。

 薪の火が勢いよく爆ぜた。一度だけでなく何度も、ボワッボワッと炎を噴き上げる。

「あ、あ! あぁ、どうしよう。火の精霊がいたずらしているようです」

 ターニャがおろおろと杖を振っているが、炎はおさまる様子を見せない。川から水をんできたアザドとケリーが消火しようとしたが、勢いが弱まっても、炎はすぐに復活してしまう。

 リカードは懐から革袋を取り出すと、それを逆さにして、踊る炎にきめの細かい粉を振りかけた。粉はさらさらと音を立てて炎に降り注ぎ、やがてそれらを取り込んだ炎は、機嫌をなおしたかのようにおとなしくなっていった。

「なんだ? 消炎用の薬剤か?」

 アザドの予想は現実に即したものだったが、隣で「あ、これ知ってます」と言ったのはターニャだった。

「これって、妖精の粉ですよね? いろんな妖精の魔法の源になるっていう。お師匠さまも使ってました」

 革袋をしまったリカードは「そうだよ」と頷いた。

「私たちだけ楽しんでいたから、妖精がやきもちを焼いたのかと思って」

「おさまったということは、それで合ってたんでしょうか。気配がとても穏やかになりました」

 ターニャがきょろきょろとあたりを見渡している。彼女の澄んだ青い瞳には、リカードたちには見えない何かが映っているようだ。

「ちなみに、どこで買ったんだ?」

「カルヴィンの行商」

「……役に立つこともあるんだな」

 アザドの評価が上方修正された。いいことだ。


 満天の星空が森を覆う頃、女性陣は就寝のため天幕に入った。男性陣は火を絶やさぬよう当番を決めてやすむことにした。初日の当番は、リカードとアザドに決まった。

「じゃああとで交代だね。ちゃんと起こしてくれよ? 君ひとりで一晩見張りなんてダメだからね」

「分かってる。容赦なく起こすよ……さっさと寝ろ」

「ん、おやすみ」

 リカードはひとつ欠伸あくびを残すと、天幕にもぐりこんだ。

 瞳を閉じると、まぶたの裏に風になびくばら色の髪が広がった。

(明日は、もっとアリーシャと仲良くなれるといいな。みんながケガや病気をせずに旅が出来て、ドラゴンに出会えればもっといい)

 そのまま夜中にアザドに起こされるまで、リカードは深い夢のふちを漂った。

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