第4話 山賊退治

 朝陽が山の縁から白い顔を覗かせる時刻。

 一台の荷車が、南の街道を南下していた。商品の上からこもという稲藁を編んだ薄手の敷物をかぶせ、ひとりの農夫が車を曳き、その妻らしき農婦がうしろから車を押している。

 襲ったところで大した収入にならないだろうが――襲撃者たちは失礼な会話を交わしたが、町へ出て大きな隊商を襲うためにはもっと人員や装備を充実させねばらならず、そのためにはわずかの金銭でも必要なのであった。

「止まれ! その荷車を渡してもらおうか。おとなしくしていれば命までは取らねぇよ」

 というまったく独創的ではない脅し文句を投げつける。

 すると、農夫たちは悲鳴をあげるでも狼狽ろうばいするでもなく、淡々と荷物を覆う菰を取り払った。

 これはずいぶんと仕事が楽でいい、と襲撃者たちがほくそえみかけたところで、農夫たちはそれぞれの手に弓を持ち、前方の敵に対して矢を放った。

「くそ! 矢を持ってやがるのか!」

 隊列を乱した襲撃者たちの後方から、複数の足音が駆け寄ってきた。そちらの方角からも矢が飛んでくる。

 襲撃者五人のうち、三人までが矢に傷ついて倒れた。農夫の技量うでではなかった。残った二人は逃げ出そうとしたが、弓を置いた農夫たちが短剣を抜いて退路をはばんだ。やがて、追いついた複数の兵士たちによって、襲撃者は捕らえられた。

 首領らしき若い男の声が飛んだ。

「けが人には手当てを。済み次第、城砦へ連行する」

 この言葉で、農夫を装ったこの男女が、ペスカ・ワッフェル城砦に拠る兵士たちだということを、襲撃者は知った。


 剣を収めたリカードは、おとりを引き受けてくれた夫婦者の兵士に声をかけた。

「ご苦労さま。息の合った戦いぶりだったね」

 夫は黙々とあごを引いた。会釈したつもりのようだった。

 妻はあっけらかんと笑った。

「なに、これくらい大したことありません。お役に立てて光栄ですよ、大尉」

 夫を補うほど愛想のいい、背の高いこの女性の名はエドナ・ストーンズ。寡黙な大男ディーン・ストーンズの妻である。夫婦そろって鍛え抜かれた筋肉を持ち、日に焼けた健康的な肌色をしている。

 そこへ、ディーンとよく似た面差しの若者が口を挟んだ。ディーンの弟、ミラン・ストーンズだ。頭部に巻いた鮮やかな青いバンダナは、実用性よりおしゃれさを重視しているように見える。

「それにしても弱すぎない? 山賊って五人ぽっちなの? そりゃあ村の人にとっては脅威かもしれないけどさぁ」

 ちょっと拍子抜け、と彼はあからさまにがっかりした様子で言った。

 リカードは、捕らえた五人の男たちに視線を向けた。

「詳しいことは、彼らにけばいいさ」


 捕縛した一味からアジトの場所を聞き出し、リカードは即日部下たちを連れて残りの山賊たちもお縄にした。全部で十三人の山賊たちは、たった一日で壊滅に追い込まれたのだった。

 彼らが南の街道の通行人たちからせしめた品物を検める。

 アリーシャがため息をついた。

「ないわ……」

 彼女の手元にあるのは、町の商人が売りに来たと思しき木綿の布や糸、香辛料、そしてナイフや鉈などのわずかな刃物類である。

 山賊の出没からほとんど日も経っていないため、彼らが集めた「お宝」は質も量もはなはだ響きの華麗さには及ばなかった。

 リカードはアリーシャを伴って、盗賊の首領の前に歩み出た。彼らは縄を打たれて、ひとかたまりに座っている。

「ちょっと訊きたいんだが。女性もののペンダントと――あと、アリーシャ、なんだったかな、君のおじいさまの家宝」

 リカードの言葉に、アリーシャは胸を張って答えた。

「黄金のももひきよ! ねぇ、あなたたち見ていない?」

 盗賊たちは視線を見交わし、彼らの見張りをしていたアザドは頭痛をこらえる表情をした。

「この辺じゃちょっと珍しいと思うから、目立つと思うんだけど。知らないかしら?」

「それは目立つねぇ。というか、ちょっと面白そうな宝物だね」

「……馬鹿にしてない? あれを穿くと、足の悪いおじいちゃんがシャキッと畑仕事できるすぐれものなのよ」

「してないよ。素敵な家宝だね」

 絶対にカルヴィンの行商で買った品だろう……とアザドが呟いているが、無視して盗賊たちとの会話に戻る。

「それで、どうだい? 心当たりは」

「あぁ……あれじゃねぇかな。昨日、俺たち珍しいもんを見てよ」

 すでに観念しているのか、盗賊のひとりが話し出すと、周囲もつられて口を開いた。

「そうそう、昨日の夕方だよ」

「西の空に、キラキラ光るでっかいものが浮かんでるからなにかと思えば」

「でっけぇドラゴンが飛んでて、びっくりしたよ」

「生まれて初めて見たなぁ」

 リカードは驚いてアリーシャを振り向いた。

「この辺には、ドラゴンがんでいるのかい?」

 アリーシャは「えぇ、らしいわ」と頷いた。

「昔からの言い伝えがあって、この太古の森には春の花竜スプリング・ドラゴン住処すみかがあるって……私は見たことないけど」

 ふぅん、とリカードは腕を組んだ。

「それで、そのドラゴンと黄金のももひきにどんな関係があるんだい?」

 リカードの問いに、盗賊の首領が答えた。

「だから、そのドラゴンが、金色に光るなんかをくわえて飛んでたんだよ」


 盗賊たちを護送して城砦に戻ったリカードたち。

 リカードはその足で、村長宅へ向かった。アリーシャももちろん一緒だ。

「おじいちゃん、ただいま」

「おぉ、アリーシャ。無事で戻ってなによりじゃ」

 老人と娘が抱擁ほうようを交わす姿を、リカードは一歩引いて見守っていた。

 トフィック老人がリカードに向き直った。

「狭いところへわざわざどうも。さて、お茶でも淹れますかな。さ、入ってくだされ」

 お言葉に甘えて、お茶をごちそうになる。爽やかな香りが鼻に抜けるさっぱりとしたお茶だった。

「……というわけで、盗賊は捕らえました。近日、西の都へ送ります。それで家宝なんですが、盗賊たちは所持していませんでした」

「スプリング・ドラゴンが持ってっちゃったかもしれないって」

 アリーシャは消沈しているようだった。

 トフィックは茶の湯気をあごに当てながら、少し考えて言った。

「……森のぬしが持ってったのなら、しょうがないじゃろう」

「おじいちゃん!?」

 トフィックは笑いながらアリーシャをなだめた。

「それが森の意志ということじゃ。便利じゃったので惜しいが、しょうがない」

 でも、とアリーシャは食い下がった。

 アリーシャの大切なペンダントも、竜が持っているかもしれないのだ。ただ、そのことをトフィックは知らない。

 どう言葉を紡いだものか思案する様子のアリーシャに、リカードは助け舟を出した。

「ドラゴンは伝説として語られる生き物……詳しい調査ができるならしてみたい。もしその過程で家宝が取り戻せれば、言うことはありませんね?」

「ふむ、森の主に会いに行こうというのかね」

「えぇ。それでもダメなら、アリーシャも諦めがつくでしょう……ね、アリーシャ?」

 暁のような紅い瞳が、不安定に揺れながらリカードを見上げる。

「一緒に、来てくれるの……?」

「君こそ、ついてくるつもりなんだね。今回はちょっと遠出だよ。本当は家にいて欲しいんだけど……でも、そうだね。そのほうが君らしいか」

 リカードは苦笑し、アリーシャの肩を軽く叩いた。


 城砦に戻ると、リカードは「目撃情報のあった春の花竜スプリング・ドラゴンの調査を行う」と宣言した。

「北の国・ヴィッターリス王国との間にまたがる広大な森を巡る旅となる。希望者のみで隊列を編成するので、希望者は明日までに申し出るように」とのお達しが、ペスカ・ワッフェル城砦を駆け巡る。

 当初、リカードの右腕であり、幼馴染でもあるアザドは反対した。

「どこにいるかも分からない竜を求めて国境に立ち入るなど危険だ。第一、個人的な感情で軍を動かすのは許されない」

 アザドの言うことは正論だった。

 彼はいつも正しい。リカードが危険な目に遭わないよう、常に傍にいて助言をくれる――リカードはそんな彼のことを信頼していたし、尊敬もしていた。

 だが、すまないと思いつつも、今回は素直に首肯するつもりはなかった。

「アリーシャも連れて行くんだ。危険だと判断したら、迷わず引き返すよ。それに、ドラゴンの調査をしたいのも本当だ。君も、ドラゴンの伝承を聞いたことくらいあるだろう?」

 春の国は、春の女神の祝福によって栄える。そして、春の女神の使者として、各地に祝福をもたらすのが春の花竜スプリング・ドラゴンの役目だ。彼らから直接祝福を受け取る栄誉を授かった国は、より豊かにより長く歴史に燦然さんぜんと輝くことになろう――それが、春の国に生まれたものたちが子どものころに寝物語として聞かされた伝説である。

「事実かどうかも分からないじゃないか」

「だから、それを確かめに行くのさ」

 春の花竜スプリング・ドラゴンの目撃例は少なくない。だが、ドラゴンと意思疎通ができたという人間はごく稀だった。それでもゼロではないから、風に乗って噂が各地を駆け巡る。

 いつの日かドラゴンの祝福を。それは、春の領土に属する各国の願いだった。

 リカードの意志が固いと知ったアザドは、それ以上文句を言うでもなく黙々と出発の準備を進めていた。リカードについていくつもりなのは明らかだった。

 リカードは、留守を副司令官であるジョゼフ・ブルックナー中尉に任せることにした。ドラゴン探し、と聞いて彼も渋い顔をしたが、調査が必要なことであると理解してくれたのか、比較的すんなり命令を聞き入れてくれた。

 あとは上官である第三大隊隊長に書簡をしたため、自分も旅支度を調えた。

 旅の必須装備に加え、魔除けのエッセンスも準備する。高価なものだが、魔獣が出ると噂される国境の森に入るのだから、必要な装備だ。ちょっと考えて、先日カルヴィンから買った銀色の雨具も荷物に加えておいた。活躍の機会があるかもしれない。

「ドラゴンに会う、か……」

 こうして口に出してみると、まるで夢物語のようだ。

 ピンクの花が刺繍されたハンカチを取り出し、机の上に広げる。

 幼いころ。母が刺繍をしていたときは、机の上に色とりどりの糸が乗っていた。母は楽しそうにそれらを指先で撫で、ひとつひとつ大切に色を選んだ。慣れた仕草で針の穴に糸を通すと、ひと針ずつ丁寧に花の模様を縫い取っていった。その様子を、リチャードは椅子の上で足をぶらぶらさせながら眺めていた。

「おかあさま、なにをつくっているのですか?」

「ハンカチですよ。野の花がきれいに咲いていますからね」

「きれいですね。ぼくもほしいです」

 母は笑った。陽だまりのような笑顔をよく覚えている。

「いいですよ。お前には、春の竜を刺繍してあげましょうね」

 その機会は来なかった。その前に、母が亡くなったからだ。

 彼女が最後に刺繍したハンカチを前に、リカードはひとり呟いた。

「あなたが聞かせてくれた、伝説の竜に会えるかもしれません。好きな女性に大切なものを取り戻させてあげるためにも、少し頑張ってみようと思います」

 ひとりきりの部屋の中、誰からも返事はない。それでもこうして形見の品と向き合っていると、故人があたたかく微笑みかけてくれるような気持ちになるものだ。つらいとき、寂しいときに勇気をくれるおまじないのようなもの。

 それを知っているからこそ、アリーシャがペンダントにかける気持ちも理解できる。

 リカードは丁寧にハンカチを折りたたみ、懐にしまい入れた。


「司令官のドラゴン探し」に同行を申し出たものは多くなかった。上層部からの命令でもなし、当然の結果としてリカードは驚かなかった。

 一行を率いるのはリカード・ミリノフ・マクラウド大尉、幼馴染のアザド・レジ准尉がサポートを務める。リカードの弟子であるカレン・コーニッシュも同行する。そのほか、ストーンズ兄弟、兄の妻であるエドナ、新兵のケリー・イーストン、槍使いのタン・アラム・シームズ、赤ひげのブレイデン・クワック・コンロイ伍長、そしてアリーシャ。最後に、魔法使いの弟子ターニャ・フィンドレイという少女も一行に加わることになった。

 ターニャの師匠、魔法使いのセシリアに、リカードは礼を言った。

「弟子を貸してくれて感謝するよ。これで離れていても、本隊と連絡が取れる」

「そうだろう。旅には魔法使いがいたほうが良い。ところで大尉どの、やみくもに竜を探して、見つかるとお思いかね?」

 セシリアは背が高く、豊かな黒髪を無造作に背に流した魔女だ。深い緑色の瞳には、甘さを許さない鋭いきらめきが宿っている。

 リカードは口元に自信をひらめかせた。

「それに関しては、私にちょっとした秘策があるんだ。まぁ任せてくれ」

 こうして、計十名のささやかな竜の調査隊キャラバンはペスカ・ワッフェル城砦を出立した。

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