第2話 ばら色の髪の乙女

 太陽が森の向こうに身を沈めオレンジ色の光を投げかける時刻になると、村から女たちがやってきて夕餉ゆうげの支度を始める。

 第一歩兵団は、三つの団体に分かれて行動している。ひとつ、城砦において敵国の見張りと守衛を行う組。ひとつ、城砦の修理を行う組。ひとつ、非番の組。このうち最後の一組以外のほとんどが集まって、城砦の前にある小広場で食事を摂る。六十名程度の人数になるので、女たちは大忙しである。

 その中でも、とりわけよく働く女がいた。年齢は二十歳くらい、長いばら色の髪とととのった容貌を持つ娘で、兵士たちからは冗談交じりに「春の女神」と呼ばれている。名をアリーシャ・フローレンスという。

 夕日を浴びて明々と燃えるばら色の髪と白くなめらかな肌、その上料理の腕は絶品、とくればたいていの兵士から人気が集まるのは道理だ。ただし、彼女を「やさしい白衣エプロンの天使」と呼ぶものはいない。男勝りの勝気な娘で、口も手も早いことをみんな知っているからである。

 リカード・ミリノフ・マクラウド大尉も、心の宮殿に春の女神を住まわせていた。彼女の情緒豊かな性格も含めて、好ましいと思っていた。いっそ罵られても幸せを感じるくらいである。

「お前、あの女のどこがいいんだ?」

 アザドが尋ねた。

 ここで「顔」と答えるような男でないことを、彼はよく知っている。赤ん坊のころから、もう十八年の付き合いになるのだから。

「やさしくて、おてんばなところだね。あの時の彼女、カッコよかったなぁ」

 リカードは遠い目をした。


 それは昨年の秋。リカードは、酔っ払いの兵士が、年端もいかぬ少女に難癖をつけている場面に出くわした。制止しなかったのは、そこに颯爽さっそうと飛び込んできたばら色の影があったからだ。

「あんたたち! いい加減にしないと、そのポークピッツを切り取って、ホットドッグにしてやるわよ!!」

 気持ちのいい痰火たんかだった。

 リカードは大笑いすると同時に、その勇姿に感服した。

 以来、視界にばら色の髪が飛び込んでくると、たちまち幸福な気持ちになる自分を自覚している。


「お前の趣味は、分かりやすいな」

 野菜スープをすすりながら、アザドが言う。

「え、そうかな?」

「そうだとも。五歳の時、お前が惚れた近所の女の子も、負けず劣らずきつい性格してたぞ」

「そうだったかなぁ」

 そんなこともあったような気もするが、記憶がぼんやりとしている。だが、アザドがそう言うならそうなのだろう。

「で、指をくわえて見ているだけなのか?」

 リカードはため息をつき、ゆるゆると首を振った。

「うーん、方法を考えてはいるんだけど……私は彼女の好みに当てはまらないからねぇ」

 それが、リカードの恋にとって最大の難問だった。


 アリーシャ好みの異性というのは、外見のことではなく「お金持ちであること」の一点である。これまでに数多くの男が彼女にアタックし、「お金持ちじゃなきゃ結婚しない!」と言われ玉砕していった。

 もっともアザドに言わせれば「言い寄って来る男をあしらうためにそう言ってるんじゃないか」ということだが。

 確かに、貴族や裕福な家の子弟が集まったエリート東方軍と違い、西方軍はビンボー連隊などと酷評されることもある。リカードの部隊にしても、実家は貧しい農家、もしくは元孤児というものたちの集まりで、裕福という条件を満たす男はひとりしかいない。なお、そのひとりは幸いなことに、アリーシャに興味はないようである。

 もしも裕福な人と付き合いたいという言葉が単なる男除けだとすれば、言い寄られて迷惑しているか、すでに心に決めた人がいるかということで……いずれにしても、リカードにとって厳しい状況に変わりはない。


「お皿、下げてきますよ!」

 元気な声が降ってきた。見上げると、弟子のカレン・コーニッシュが、空のスープ皿を持って立っていた。

「やぁ、カレン。自分のものは自分で持って行くよ」

「じゃあいっしょに行きましょ!」

 カレンは幼い顔に、朗らかな笑顔の花を咲かせた。

 カレンは、リカードより四歳年下の十四歳。年相応に元気な少女で、明るい栗色の瞳には師匠への敬愛があふれている。同じ色の髪を動きやすい長さにカットし、落ち着きなくくるくるよく動く娘なので、アザドなど「あいつはリスか」と呆れまじりに言っている。そういう言い方は気に入った相手にしか使わないので、アザドも素直じゃないいなと、リカードは思っている。

 ちょこちょこ忙しなく足を動かしてついてくるカレンのために、リカードは少しゆっくりと歩いた。

 洗い場は同じく食事を終えた兵士たちであふれていたが、リカードはその中でひときわめだつばら色の髪の娘を見つけ、声をかけた。

「やぁ、アリーシャ。いつも美味しい食事をありがとう」

 彼女は髪よりやや濃い赤みがかった瞳でリカードを見上げた。

「お粗末さま……そこに置いといてください」

「うん。それじゃあ」

 リカードとカレンはそれぞれ皿を置くと、その場を後にする。

 少し離れた場所まで歩くと、カレンが「会話が足りない!」と言った。

「もっとたくさんお話しないと、その他大勢にまぎれちゃいますよ」

「うーん、でも仕事中にあんまり話しかけちゃ迷惑かなと……」

 カレンは拳を握り締めて、シュッシュと空を殴った。

「何言ってんですか! 恋は戦争、手段は選んでいられません!」

 勢い込む弟子を見下ろして、リカードは頬を掻いた。

「えーと、その。私がアリーシャのこと気になってるって、知ってる……?」

 カレンは、可哀想な子どもを見る目で言った。

「だいたいの人は知ってますよ」

 そっか、そうなんだ……とリカードはばつの悪い思いで、癖のある黒髪を掻きまわした。

「カレン、アリーシャは、気づいていると思うかい?」

「さぁ。でも、気づいていたとしても意識されてませんね。彼女にしてみれば、兵士に好意を向けられるなんて慣れっこでしょうから」

「それもそうだねぇ……君の言ったとおり、その他大勢に埋没まいぼつしてしまっているね」

 二人で並んで歩きながら、どうすれば彼女に特別な存在として意識してもらえるか、という議論を重ねるが結論には至らない。

 太陽は森の奥深くに沈んで白くぼんやりとした月に居場所を譲る。小さな星屑がキラキラと明るい影を落とす水田の細道を、二人は前後に並んで歩いていた。

 村の入り口まで来て、リカードは足を止めた。

「さ、真っすぐお帰り。また明日、剣の稽古けいこをつけてあげよう」

「はい! 送っていただいてありがとうございます」

 彼女の宿舎は、このすぐ先にある。女性兵士や女性の従軍関係者のために建てられた家だ。

「明日、作戦会議の続きもやりましょうねー!」

 カレンは大きく手を振って去って行った。

 手を振り返しながら、リカードは思った。

(なにか、仲良くなれるきっかけがあればいいんだけどなぁ)


 その三日後。

 きっかけは、突然リカードのもとに転がり込んできた。


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