辺塞寧日オンリー春うらら

路地猫みのる

第1話 辺塞は寧日ばかり

 フリューレンス王国に、春の息吹がやって来た。風はやわらかく、日差しは暖かく、緑は萌え、花は咲き誇る。春の国と呼ばれ一年中花の絶えない王国の中でも、もっとも瑞々みずみずしく活力に富んだ季節である。 

 しかし今、リカード・ミリノフ・マクラウド大尉は、活力とは縁のない行動をしていた。すなわち昼寝だ。塔の影が落ちる石畳の上に外套がいとうを敷き、遠くに鳥の声を聞きながら、うつらうつら眠り神の愛撫あいぶに身を任せる。

 まったく、すべてこの季節のこころよい風が悪いのだ。そよそよ……とやさしく髪や頬をなぶる風は、吹き抜けた大地の香りを含んで馥郁ふくいくと人間を眠りにいざなう。その誘惑に勝てるものなど存在するはずがない。

 そう自分に言い訳して、リカードは心地よい眠りの海を漂っていた。

 その海にいかりを放り込んで、現実へと引っ張り戻したのは、幼馴染であり腹心でもあるアザド・レジ准尉の声だった。

「寝ていたければそうしろ。お前の楽しみにしてる旅商人、帰っちまうぞ」

 リカードはぼんやりと両目を開いた。

 紫の瞳に春の光が差し込んで、紫水晶のような幻想的な色合いに染まる。やや癖のある黒髪は艶やかで、うなじのあたりに軽く散らばっていた。

「ありがとう、アザド。お礼にとっておきの寝床を貸してあげよう」

「いらん」

「アザド、君もこのうららかな季節に昼寝をする楽しみを知るべきだ」

 アザドは、とび色の瞳でじろりとリカードを睥睨へいげいした。

「世の中には、一生知らんでいいことってのがあるもんだ。第一、ここは城壁のすぐ内側だぞ。戦のただなかなら、真っ先に流れ矢に当たって死ぬんじゃないか」

 そう、リカードが我が物顔で寝転んでいたのは、城砦の見張り台の隅っこである。数名の兵士が、あくびをしながら歩哨ほしょうに立っているのが見えた。

 つられるようにあくびをしながら、リカードは大きく伸びをした。

「戦争は過去の話さ……今は平和な時代だ。平和とは怠惰たいだが罪にならない時代を言うんだよ。さて、カルヴィンが来ているんだったね」

 敷物がわりにしていた外套を取り上げてほこりを払うと、それを小脇に抱えて石造りの階段を下った。


 カルヴィン・ユーティスはこのペスカ・ワッフェル城砦を訪れる唯一の行商で、そのため城砦に勤務する兵士たちの多くは彼の一行がやって来るのを楽しみにしている。リカードもそのうちのひとりだ。

 城砦の前にあるこじんまりした広場に、カルヴィン一行は臨時の市場を開いていた。

 都市部で流行りの布や書物、珍しい異国の食べ物、武器の手入れ道具などさまざまなものが売られている。

 リカードはのんびり歩いて、兵士たちと談笑しているパサパサした明るい麦色の髪をした男に近付いた。彼がこの一行の若き頭領、カルヴィンだ。歳は二十代半ばに見える。

 リカードに気付くと、彼は手を挙げて気さくに声をかけた。

「やぁ、マクラウド大尉! 新しい本を仕入れてきましたよ」

「久しぶり。元気そうでなによりだ。どんな本かな」

 カルヴィンは荷馬車から数冊の本を下ろしてきた。

「こっちは、前にお売りした推理小説の続編。ほかにも面白そうなのをいくつか」

 リカードは本を手に取り、パラパラとめくった。あとがきもちらりと読んでみる。

「うん、君のおすすめなら間違いないだろう。この三冊をもらうよ」

「はい、毎度あり!」

 革袋から銅貨を取り出して、代金を支払う。

 それを受け取ったカルヴィンは、「そういえば」とややわざとらしく咳払いした。

「ちょっと珍しいアイテム入ってますけど、ご覧になります?」

 リカードは喜んで見せてもらうことにした。

 カルヴィンが取り出したのは、銀色に光る、布のような鎖帷子くさりかたびらのような変わった物体だ。

「わぁ、なんだい、これ?」

みずちのうろこでつくった雨具です! 珍しいでしょ」

 厚手の布の大部分に銀色に輝くうろこが縫い付けられ、ピカピカとまばゆい光を放っている。合羽カッパのように頭からかぶって装着する雨具のようである。

「脱皮したうろこで作ったそうですが、雨も泥もはじいてくれる優れもの! 大尉には世話になってるから、特別に安くしときますよ~」

 近くで靴紐を見ていたアザドが「誰にでも言ってるんだろ」と呟いたが、リカードもカルヴィンも耳を貸さなかった。

「うん。じゃあ、これくらいの金額でいけるかな?」

「いやいや、大尉。いくらなんでも、蛟のうろこですからね。このくらいで……」

「私と君の仲だろう。このくらいでどうかな……」

 というやりとりが続き、最終的に双方納得のいく金額で売買は成立した。

「お前、それいつ使うつもりだ……?」

 アザドが呆れたように銀色のうろこをつついているが、リカードはご満悦だ。

「ありがとう、カルヴィン。いい買い物をしたよ」

「はい、またごひいきに!」

 カルヴィンは明るく答え、別の客に別の品物を売るために歩き去った。

 その背を見送るリカードに、アザドが声をかける。

「お前、司令官室へやをガラクタだらけにするの、いい加減やめとけよ」

 リカードはややむくれた。

「ガラクタじゃないよ。コレクションだ。君の家は、最低限のものしかないから寂しすぎる。なんなら、コレクションを貸してあげるよ?」

 やる、とは言わない。あくまで貸すだけだ。それだけ、アザドの言う「ガラクタ」たちをリカードは気に入っていた。

 アザドはそっけなく「いらん」と言った。

「余計なものを置く趣味はない。掃除が面倒だ……お前も部屋が散らかってると、女にモテないぞ」

 この言葉は、リカードの胸にぐっさりと刺さった。

 リカードは多数の女性に好意を寄せられたいと思ったことはないが、今現在、たったひとりの女性から好意を寄せられたいと望んでいた。

 彼女は、物の多い部屋が嫌いだろうか。それとも、面白いと言ってくれるだろうか。

 真剣に考え始めたリカードに向かって肩をすくめ、アザドも人ごみの中に歩み去って行った。


 フリューレンス王国は、三十年ほど前まで、北西に国境を接するヴィッターリス王国と戦争をしていた。現在は休戦協定を結んでいて、リカードをはじめ若い兵士たちは生の戦争を知らない。

 ここ、ペスカ・ワッフェル城砦は、国境沿いにある監視用の施設だ。城砦といっても、見張り台がちょっと立派になったもの、という程度で、詰める兵士の数も百名ほどしかいない。石造りの茶色い古びた城壁が、国境を覆う広大な森を見渡す高台に建っている。リカードは、ここに駐留するフリューレンス王国西方軍第三大隊第一歩兵団の司令官だった。

 もっとも、それはかなり大げさな表現だな、とリカードは思っている。

 軍の末端を構成する小集団の話だ。「隊長」で事足りる。リカード自身、いちおう男爵家の出身ではあるものの、家系は火の車で、裕福な町人よりよほど貧乏くさい生活を送っていた。使用人は、年老いた執事と、同じく年老いた乳母めのとのふたりきり。子どものころは、彼らとともに畑を耕したり鶏を追いかけまわしたりしたものである。三男であるリカードが、男爵家を継ぐことはおそらくない。叙任されて軍に名を連ねたのは、ほどほどに剣の腕が立つからである。

 任務と言えば、国境の監視と城砦の修理ぐらいしかないので、剣を振るう機会もなく、武勲を立てて出世する予定もない。

 リカードは、それでいいと思っていた。軍人が出世する世の中というのは、争いごとが多く民が暮らしにくい世の中である。自分の部下の中にも、先の戦争で両親を失い、食うために兵士に志願した者たちが多くいる。自分の代で、親を亡くして食べ物に困るような子どもたちを作りたくない。

 要するにリカードは、軍隊のしがらみからも貴族の責任からもほど遠いところで、のんびりと昼寝をしたり本を読んだりしながら毎日を過ごしているのだった。

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