虹の橋の途中から

@hinataneko

虹の橋の途中から

 今でも、『ガリバー』と打って検索してしまう。この世のどこにもいないのに、どこかで出会えるような気がしてしまうのだ。

 18年11ヶ月10日生き、私の愛犬、ガリバーは虹の橋を渡った。


 ガリバーは、この世界の空気を吸って吐いて、その空気は今もこの世に漂っている。その空気に纏われながら、私も私が終わる日まで、ガリバーが呼吸していた同じ空気を吸って吐いて生きていく。太古の昔から様々な生き物が吸って吐いてきた空気を、私もガリバーも受け継ぎ、一時、時間を共にした。そしてその循環にまた組み込まれていくのだと思う。


 10年後の私はきっと、ガリバーを今より忘れていると思う。

 今のようにキリキリと胸を痛め、ボロボロと涙を流しながら想い出したりはしないだろう。私は10年後、ガリバーの事を、懐かしく、ほんわりと胸を暖かくしながら想い出すような気がする。そしてそんな自分にガッカリすると思う。それから、とても自分を許せなくなるだろう。

 それが苦しいから。今の苦しさより、もっともっと苦しくなってしまうと思うから。未来の私が少しは生きやすくなるように。ガリバーの想い出を、引き寄せれば何時でも、ごく近くに感じられるように。楽しい事を素直に楽しんでいけるように。ガリバーのように人生を立派に全う出来る様に。未来の私の為に、今、しっかりと、ガリバーの最後を想い出したいと思う。

 多分、私は今更であっても、まだガリバーの命を救いたいのだと思う。どんな形でも構わないから。


 愛犬はパピヨンという犬種の小型犬で、女の子だけど名前はガリバー。好きな作家の小説から名づけた。

 私はガリバーを独身時代から飼いはじめた。ブリーダーで売れ残っており、犬が飼えるマンションに引っ越して、貰う様な値段で引き取った。

 20代の頃から飼っていたガリバーは私の連れ子のようなもので、結婚した際に夫は、嫁をもらったらオシャレ小鉢のように犬がついてきたと言い喜んで、3人で結婚写真を撮った。子供のいない私達夫婦にとって、ガリバーは娘だった。旅行には必ず連れて行き、アニマルセラピー活動もした。


 そんなガリバーが17歳になった頃、夫と相談し、私は5年間勤めていたパート先を辞めた。ガリバーの生活に介護が必要になってきたのだ。

 ガリバーは、ここ数年で白内障が進み、ウンコをしながら歩いてしまうようになった。昔はトイレトレイからウンコを外してしまうと申し訳無さそうな顔をしたものだが、ここ数年は目が見えないらしく、自分の排泄物を踏んでしまう。足を洗ってやらないといけないし、床も掃除しなければいけない。それでも、失敗する事はあっても自分で歩いてトイレあたりで排泄してくれた。それだけでも本当にありがたく、立派だった。


 この先は、何事も、してあげたい時に、してあげる事に決めていた。後回しにして、また今度としてしまうと、今度があるかどうか分からない。いつ何があっても不思議はない、そういう年齢だと、かかりつけの医者にも言われていた。

 そう言われても、ガリバーは家族だ。家族の死に覚悟なんて無理というものだ。ガリバーのいない世界に自分が生き続けるなんて想像出来なかったし現実感も全然無かった。


 向こうから、白い息を吐きながら茶柴と黒柴を連れた中年の女性二人組みが歩いてくる。いつもの朝だ。「おはようございます、頑張ってるね」

 犬を飼っているというだけで、知らない人でも声をかけあったり道で話し込んだりするのは普通だ。山登り、に少し似ているのかもしれない。寒くても雨でも、犬の散歩は、ほぼ毎日。もちろん、天候や年齢にもよるが。

 この頃のガリバーの散歩の速度は、まるで花魁道中。私達は短い距離を時間をかけて、ゆっくりと歩いた。高下駄を履いているように1歩、また1歩。

 ガリバーと散歩していると、散歩コースに面した戸建ての窓から、おばあさんに声をかけられるようになった。「私もね、昔は飼っていたのよ」と。

 おばあさんは毎日、全く同じ話をした。懐かしく想い出す若き日の自分と犬がいるのだろう。私は今日始めて聞く話かのように、同じ相槌をうつことにしていた。

 同じ時間、同じ散歩コース、同じ話。日々はグルグル回っていた。メビウスの輪のように、このまま毎日がループしつづければいいな。ガリバーが歳を取ってから、私は、そんな風に思うようになった。

 歳を取ったガリバーは、半年に一度は健康診断が必要だったので、若い頃よりずっとお金がかかった。それでも、排泄物を踏んでしまったりする以外は健康で、手もお金もかからない方だったと思う。

 この頃は一日の、ほとんどを寝て過ごしていた。私達夫婦のベットは、ガリバーが、夜、何かあれば、すぐに私達の所に来られる様に、すのこにマットを乗せるだけにして、高さが無い状態にしてあった。ガリバーは、そこに好きに上がって丸まって寝ていた。

 ほとんど見えていなかったが、犬はそもそも臭いの世界で生きているので、慣れた家の中では問題なかった。

 が、しばらくすると、鼻もきかなってきたせいか、排泄物を何度も踏んで踏み荒らすようになった。痴呆もあったのかもしれない。タイミングが悪いと、買い物に出たほんの数分で、そんな状態になってしまう。そうなるとガリバー本犬だけでなく、トイレトレイも洗わなければならない。窓を開けて、とりあえず物凄い臭いを追い出し片付け、トレイを新たに設置し、急いでガリバーの足を洗う。それから風呂場でトイレを洗う。それが1日に2回続いたりもした。

 そんな日々ではあったが、私達はガリバーの長生きを喜び、たまには仲良く出かけたりして幸せな日々だった。


 その日、私は午後に用事が出来た為、午前中のうちに散歩し排泄をすませてもらい、新聞紙を寝室の床に敷き詰め、トイレトレイを3つ設置して出かけた。

 夕方、帰ってくると、ガリバーは夕日でオレンジの光に満ちた部屋の中、なんとなく起きていた。

 オシッコを2回したようだが、どちらもトイレトレイのシートの上にしてあった。ありがとう、ありがとう、ちゃんと出来たんだね、えらかったね。

 夕飯をあげるために、そっとガリバーに触れた。老化の為、あまり見えず聞こえず臭わないガリバーを驚かさないように、抱き上げる前に、そっと触って声をかけるのだ。「ただいま、ゴハン食べる?」着替える前に、お留守番のご褒美をあげるのが習慣だった。抱き上げてキッチンに置いてある犬用ベットにガリバーを置くと、隣にご褒美のジャーキーを置いた。

 ゴハンの用意が出来て振り返ると、ガリバーはまだジャーキーを食べていなかった。いや、食べようとしてるのだが、口に入らない様子だった。見えてないのかな?そう思って、口元にジャーキーを置きなおしてあげると、なんだかおかしい。首が曲がっているようだ。そのうちに、バランスを崩して倒れた。


 生きるって何だろう。死ぬってなんだろう。

結局は悲しいのに、どうして命は産まれるんだろう。誕生は圧倒的だ。それと同じくらい、死ぬって事は圧倒的だ。


 その日、夫は友人と好きなアーティストのコンサートに行っていた。一度、電話を鳴らし、留守電を入れた。

 私は案外、落ち着いていた。実家の柴犬は高齢になってから、てんかんの発作が起こるようになり、たまに倒れたりする事があった。が、数分で収まり何事もなかったかのように元気になり、更に長生きした。

 ガリバーのそれは、てんかんでは無いようだが、実家の犬のように、すぐに元に戻るのではないかと思ったのだ。実際、シニアになってからは、バランスを崩して転ぶ事は時々あったが特に問題は無かった。


 10分様子見してから医者に行った。私は帰ったばかりでお腹がすいていて、買ってきてあった助六を食べていた。5分たった時に、ガリバーは変わらない様子だったので、どうやら医者に行った方が良さそうだと思った。あと5分を急がなかったのは、これが死ぬほどの事になるとは思ってもみなかったからだ。私は呑気に助六を食べ切ってから医者に出かけたのだ。


 実際、医者の見立ても、死ぬような病気では無かった。前庭疾患。首は曲がったままになってしまうが、3日ほどで立てるようになるはずだとの事だった。

 ただ、首が曲がっている為、回転して倒れて怪我をしてしまうので、ダンボールの中に、バスタオルで底をV字に作り、そこに背をつけて寝かせてあげるといいとの指示があった。自分の首が曲がっている事に慣れれば、普通に立てて歩けるようになるとの事だった。

 医者からの帰り、途中で三毛猫のいる八百屋で事情を話し、ガリバーの大きさに丁度いいダンボールを貰って帰った。ありがたくて、野菜は、これからずっと、ここで買おうと思った。


 家に帰ってダンボールを作って寝かせてみると、ダンボールの中に寝かされたガリバーは、なんだか嫌な予感しかしない感じだった。

 連絡がついた夫に、はたと思いついてオムツを頼んだ。ガリバーは、オムツなんてした事がなかった。


 医者の見立ては重篤なものでは無かったが、私は少し引っかかっていた。ガリバーの両目が見開いたままで、どうにも閉じなかったからだ。いつ寝ているのか起きているのか、まるで分からなかった。その事は医者で指摘し、目が乾いてしまうと痛いだろうから目薬を貰った。次の日から栄養点滴と眩暈を止める点滴に通う事になった。前庭疾患の治療だ。


 一日目。朝一番の医者の出入り口には常連が並ぶ。みんな毎日点滴が必要な患畜ばかり。みな顔見知りで、お互いの病状を話したりしていた。


 ガリバーは体は動けなかったが、水も食事も口元に持っていけば自分で食べた。さすがに硬いものは無理なので、ウエットフードとシニア用の流動食。水はペット用の経口補水液にして、少しでも体に浸透しやすいものにした。気になったのは、どうやら顔面の片側に麻痺がある様子だという事だった。なので、食べても飲んでも、片側から零れてしまう。口周りにキッチンペーパーを敷いて与えるようになった。


 当時の領収書を見てみると、4日間、点滴に通って、一日、休みが入っている。確か、そのくらいで眼震に改善が見られたのだ。

 けれど目は、あいかわらず開いたままで、一日中、目薬がかかせなかった。麻痺している側の片目の表面が乾いてベコベコになってきた。

 最初、目を開いたまま眠るのは不都合だろうと、目を閉じさせてガムテープで貼ってみた。でも、毛があって、あまり上手くいかないのと、可哀想なのでやめた。

 床ずれが出来ないように定期的に寝返りをうたせるのだが、首が曲がっている為、曲がっている側の開いたままの目が、タオルに当たってしまう。

 パソコンで犬の介護のブログを検索すると、床ずれ防止の工夫があった。プチプチで床ずれの大きさにドーナツ状の輪を作り、床ずれが当たらないようにするのだ。それを目の大きさに合わせて作り、タオルが当たらないようにしてみた。が、ガリバーが少し動くと、それ自体が目に当たってしまった。そこで、小さめのタオルハンカチを棒状に丸めて、それを輪にしてみた。これはある程度重さで沈むので安定した。もちろん、様子を見ていないと、沈みすぎたり、ズレて当たったりするので、見ながら使う事にする。

 それから、ガリバーが入った箱を、自分の横に常に置いて、手動で瞬きさせる事にした。数秒ごと瞬きさせ、乾いたかなと思ったら目薬をさした。

 ガリバーはオムツに慣れていなかったが、自分が立てないと分かると、オムツに排泄するようになった。賢いガリバーは、夜中に排泄すると、なんと動くほうの片足をパンパンと打ちつけ、私達に知らせるようになった。

 けれど、そのせいで二人とも寝不足になった。疲れた夫が、してないんじゃない?と言った事もあったが、少なくても必ずしてあった。私も寝不足だったが、会社のある夫は、もっと寝不足だったと思う。私達は少しづつ疲弊し、ぶつかるようになった。


 夫は会社から帰ると、ガリバーを膝に乗せ、手足のマッサージをし始めた。寝たきりなので筋肉が落ちて、立てるようになった時に歩きにくいだろうからとの事だった。良い考えだと思い、それは次の日から、私も始めた。

 とにかく付きっきりなので、朝、医者で点滴をして帰ってきたら、パソコンで長い海外ドラマを垂れ流しながら、ずっと手足をマッサージするようになった。そして瞬き、目薬。


 今思えば、ガリバーは前庭疾患だけではなく、脳の病気を併発していたのではないかと思う。しかし、麻酔をして詳しく調べるには歳を取りすぎていて危険だと医者は言った。私達も、危険をおかしてまで調べても仕方ないと思った。要は、治ればいいのだ。

 医者の方も、おそらく当時、ここまでの高齢犬は珍しく、診た事がなかったのではないだろうかと思う。ガリバーの症状は、もう明らかに前庭疾患だけではなかった。それに医者も気づき、脳の腫れを除く点滴をしてみる事になった。


 死ぬ時って、こうなのかもしれない。どんなに、こちらが命を取り戻そうと努力しても、手のひらから砂がサラサラと零れ落ちていくように、ガリバーの命の砂は指の間をすり抜けていくようだった。死ぬと決められた命は、どうやっても生きる側へと方向転換が効かない。様々なタイミングも事象も、死の側に向かわされる事ばかり。黒い闇のような嫌な空気を引き剥がそうとするのだが、死神にガッチリと捕まえられていてスルスルと闇に引っ張られているように見えた。

 実家の犬が、てんかんでも大丈夫だった事も、その日に夫がすぐに帰れない場所にいた事も、地域で一番の長寿犬で前例が無い症状だった為に医者が前庭疾患とだけ診断した事も、この時、様々がガリバーにとって悪い方に作用した。


 ガリバーが食べなくなった日の事は、よく覚えている。少しでも食べられるようにと、ガリバーの好物だった柔らかいジャーキーをあげた。ガリバーは口に入れ、1回、2回、租借したが、3回目、口からコロリと出てしまった。再度あげようとしたが、もう食べようとしなかった。それ以降、ガリバーは自分で食べなくなってしまった。

 反応が薄くなったガリバーのベットをリビングの窓辺に置き、外の臭いを、嗅がせてみた。3月の空気はまだヒンヤリしていたので、毛布で体を巻いた。しばらく嗅がせると、冷えるといけないので窓を閉めた。それからスリングに入れて、近くの神社にお参りに行った。いつもの散歩コースを、いつも通り散歩する事にした。最初のうちだけ鼻をヒクヒクさせ、少し反応があったが、それ以降は取り立てて反応は無かった。ガリバーの反応は、日に日に薄くなっていった。


 病院に行った際、食べなくなったと言うと、点滴で栄養を入れているので無理に食べさせなくていいと言われた。そうかと思い、一日、食べないなら食べないままにしていたが、あまりに痩せているのに気づき、可哀想だが強制的に食べさせるようにした。このままでは痩せて飢えて死んでしまう。もっと早く気づくべきだった。

 おそらくだが、最初から医者は、もうガリバーは死ぬと思っていたのだろう。だから、無理に食べさせなくてもいいと言ったのだ。それに気づかなかった。それなら、そう言ってほしかった。勝手に諦められても困る。私達もガリバーも、全然、諦めていなかったのだから。たとえ死ぬのだろうと思ったとしても。


 6日目に、どうしても抜けられない用事が出来、医者にガリバーを預けることになった。

 朝、夫が会社に行く前にダンボールごとガリバーを預けた。どちらにしろ点滴をしなければいけなかったので、やっておいてもらう事にし、途中、オムツを見てあげるように頼んだ。

 夕方、ガリバーを引き取りに行った。医者は、そろそろ終わりの時間で、昼過ぎに一度オムツを変えときましたと言った。昼過ぎ?私は驚いた。もう、そろそろ19時だ。絶対にもう一度しているはずだと思った。一応、お礼を言って、待合で急いでオムツを見ると、グショグショに濡れて便も出ていた。気持ち悪かったはずだ。

 医者は窓口で職員とベチャベチャと笑いながら何か話していた。その時に、飼い主にとって、かかりつけ医は一人だが、医者にとってガリバーは患畜の一匹にすぎないのだと思い知った。


 獣医にとって、動物の死は日常だ。人間の医者だってそうだろう。この医者は評判がよく、長く通っており色々と都合も聞いてくれた。いい医者だと思う。業務もあり忙しいと思う。だけど医者にとって、ガリバーがどんな瀕死の状態であっても、毎日死に逝く事象の中の一つだ。私にとってガリバーは世界だ。唯一の命だ。けれど、他人にとっては、全てがそうではない。そうだろう。知り合いの親が亡くなっても本気で悲しくなる人は、事情が無ければいない。出来る事はしてくれていたのだと思う。恨むのは筋違いだろう。

 私こそが一番、何も出来なかったのだから。


 死ぬと決まった子が、最後にどうしてほしいかは、結局、飼い主にしか分からないと思う。医者は医者だから医療的に色々言うが、結局、もう尽くす手が無くなった時、信じあった相手が求める事は、最後までとことん連れ添った飼い主にしか分からない。そう思う。


 ガリバーが、どうしても食べないので、医者にそう言うと、高カロリーのペーストのチューブを出してきて、上顎に塗ってくれた。ガリバーはピチャピチャと舐めた。あとは、そんなになっても幼い頃から毎日与えている犬用ミルクは、美味しそうに飲んだ。これは毎日スポイトで与えていた。幼い頃、立ち耳が垂れてしまい、軟骨が強くなれば立つかと与えだしたものだった。実はパピヨンの耳は、幼い頃は、立ったり寝たりするもので、そんなに気にしなくていいそうだ。けれど、このミルクのおかげでか、足はすごく丈夫だった。倒れた日の朝まで散歩していたのだから。19年近く与え続けたものだ。


 その後、少し眼震が収まったとの事で、2日ほど点滴は休み、また始め、数日やって、3日休み、また悪くなり。倒れてから2週間がたとうとしていた。

 私達夫婦は、寝不足と精神的な疲れで喧嘩するようになった。介護方針でぶつかる事もあった。これは小型犬の介護だ。人間の介護となれば、いかほどかと思った。しかも、まだたったの2週間だ。


 ふとダンボールの端に手をかけ?「いつまで、そうしてるつもり?」とガリバーに声をかけた。いつまで、このまま生きているつもりだろう、早く諦めて死なないかしら、もう本当に疲れた。ふと、そう思ってしまったのだ。私は、そんな自分に腹立ち、情けなくなり、「早く一緒に散歩しようよ」と言って泣いた。


 あの日の前夜、すっかり汚れたガリバーを洗う事にした。ガリバーは綺麗好きだったので、一度、綺麗にしてあげようという事になったのだ。

 二人でタライに、ぬるめのお湯をはり、ゆっくりとガリバーを洗った。水に濡れると、長い毛に隠れていた体が露になった。骨と皮だけだった。胴は、ほとんど背骨にくっつかんばかりで、これで、どうして生きていられるのかと思うほどで、身を落とした魚の骨のようだった。

 だが乾かすと、それは隠れ、いつものガリバーになった。そして、こころなしかガリバーも、ほっこりした表情になった。お風呂に入れたのでシリンジで水を飲ますと、美味しそうに飲んだ。


 その朝、私は夫に完全に怒っていた。尿をしてあったというのに、水を飲ませてなかったからだ。あまりに痩せてしまったガリバーが脱水してしまわないように、尿が出たら必ず水を飲ませていたのだ。尿をしたのに水を補給しないなんて雑だった。でも、お互いに、そのくらいガリバーの状態に疲弊し、介護は手抜きになる部分が生じ、雑になりかけてきていた。怒って水を飲ませると、ガリバーは飲んだ。

 私は、この日、出かける用事があり、日曜という事もあり、点滴は夫が連れて行く事になっていた。そしてこれが、生きているガリバーに会った最後になった。


 夫は、その日、ガリバーとの散歩コースを通って医者に向かったのだそうだ。待合でマッサージをしながら順番待ちをしていると、ガリバーの体が、ぐでんと曲がり、力が抜けたそうだ。口に指を入れてみると、とても冷たく、急いで窓口に「なんか冷たくなったんですけど」と申し出た。すぐにICUに入れられ、私に電話してきた。電話を受けた私は、用事をキャンセルし、病院に走った。

 ICUに入ると、ガリバーは機械につながれていた。ピッピッと心臓が動いている電子音がしていたが、これは機械で動かしているだけだと言われた。実際には、もう意識はなく、亡くなっているとの事だった。

 手を取り、ガリバーと呼びかけた。ごめんね、ありがとう、カッコ良かったよ、と声をかけた。ガリバーからは何の返事も無かった。

 よくテレビだと飼い主の声が聞こえると尻尾を振ったりなんて事を観た事があるので、そんな事を期待していたけど実際は違った。もう、亡くなっていたのだ。水をあげたのが、最後だった。ガリバー、ありがとう。でも、どちらかというと、ごめんね、ばかりだった。

 こうして、ガリバーのいる18年11ヶ月10日の世界が終わった。


 最後の2週間は病気だったけれど、年齢的にいえば老衰ともいえるだろう。犬の寿命は本当に短いと思う。人間なら、人生は、これからという年齢なのに。

 人間の、私の娘に産んであげたかった。少なくとも、もっともっと長生きして良かったのに。世界一の高齢犬になるものと信じていたのに。


 ガリバー自体、あの日、死ぬとは思っていなかったと思う。食べるのは諦めても、死ぬと決めたわけではない様子だった。きっと、そのうち良くなると思っていたはずだ。誰に分からなくても私には分かる。諦めないガリバーは、凄くカッコ良かった。

 私も諦めていなかった。ある朝起きたら、立ち上がって尻尾を振っているんじゃないかと、ずっと思っていた。


 人間以外の動物の死生観は、人間とは違うと思うけれど、死ぬって、どう思ってるのだろう。死ぬって、どんな事だと思っているんだろう。


 もしも私が無事に老人になれる運命だとしたら、私の寿命をガリバーに分けてあげられたら良かったのにと思う。自分が生きる上で、なくてはならない大切な存在には、寿命って、分けられたらいいのにと思う。いつか科学的に出来るようにならないものだろうかと思う。


 医者から連れて帰る時は、亡くなったガリバーを、いつものキャリーバックに入れた。医者で棺桶用のダンボール箱を貰ったが、歩きだったので畳んだまま持ち帰る事にした。医者は、埋葬するお寺を紹介してくれた。最近はペット専用の墓地があるのだという事は聞いた事があるが、近場にあるとは知らなかった。

 帰って色々調べたが、紹介してもらったお寺で合同葬する事にした。個別葬も選べたが、個別にして骨を取っておいても墓をたててあげられるわけじゃない。よしんば墓を建てたとしても、子供のいない私達には、私達亡き後、管理してくれる人はいない。管理者のいなくなった墓は、いずれ潰され、墓標は砕かれてアスファルトの道路素材になると聞いた事がある。ゴミになったりもする。

 土に帰る。生き物は皆そうだ。地球に帰る。そういう意味で、合同で埋葬される形が最善ではないかと考えた。

 それに、もしも私達夫婦が急に亡くなったら、家に置いてある犬の骨なんて大切に扱ってもらえないだろう。私達の手で、骨まで処理する。それが、最後まで面倒を見きるという事なのではないかと思った。


 人間は生きた証を欲しがる。私は死んだら生ゴミで出してもらっても充分なくらいだ。ちょっと怖いか。でも死んだ後の事なんて本人には分からないのだから、どうでもいい。

 007という映画で、死んだ友人の体をゴミ箱に捨てるシーンがあった。女性がボンドに、友達なのにというが、ボンドは答える。彼は気にしない、と。


 亡くなった、その日の午後に、ガリバーの体はお寺に連れていってもらう事にした。あまり長く置いておくと、体液が出てきますと医者に言われていた。ガリバーは物体になったのだ。祖母が亡くなった時、物体になった祖母の頬に早くも蝿がたかってきたのを思い出した。なにより先に硬直し、死体っぽくなるだろう。可愛いままのガリバーだけ覚えておきたかった。


 毛と爪だけ少し貰った。痛くないようにと爪は先の方だけ切った。生前、ガリバーは爪切りが嫌いだった。


 ガリバーをお寺の人が迎えに来た。ガリバーが好きだった服を着せた。金属と化学繊維は入れないようにと言われたので、金属のボタンは切り取って、服を何着か入れた。あとは花と、涙。


 ガリバーをお寺に預けて、私達は、すぐにサークルを壊し、掃除を始めた。サークルが組んであった場所にパソコンを移動し、ガリバーの毛がついた散歩用のジャンバーを捨てた。開封していないフードは保護団体に送り、開封してあるものと使っていた道具は、すべて実家の犬に送った。家中を丁寧に掃除した。まるで、ガリバーなんて、最初から居なかったかのようにしたかった。さすがに想い出のある服や道具は手放せなかったが、さほど使っていなかったものは無料で欲しい人に譲った。

 実家から電話が来て、また飼ったら使えばいいのに、と言われたが、ガリバーのものはガリバーだけのものだ。ガリバーがいないのだから処分するだけだ。それから、もう犬は飼わないと伝えた。そして憑かれたように何日も掃除し続けた。


 ガリバーが亡くなった日は、小春日和で散歩に最適な天気の良い暖かい日だった。次の日も、まるで同じような良い日だった。ただ、世界の、どこにもガリバーがいなかった。43年続いたパン屋が閉店して、建物も取り壊されて、ずっかり整地されて、まるで最初からそうだったかのように綺麗に駐車場になってしまったように。あんな可愛い子と暮らしていたなんて、夢だったのかな?と思うくらい、ガリバーはいなかった。

 いなくなって数日は、ガリバーは、少し病院に入院しているような感じだった。避妊手術の時、そんな感じだったように。

 

 その後の私はというと、あまり思い出せないが、夫によると、1年くらい何を言っても聞こえていなかったらしい。聴覚が無くなったわけではないのだが、何も聞いていないと怒られた。何を話していても上の空で、どこかに行っていたそうだ。

 覚えているのは、とにかく毎日泣いていたこと。ドラッグストアの店前に繋がれていた犬が、尻尾を振りながら寄ってきた事に泣き、ステーキ肉を切りながら、ガリバーにもあげたかったと言って泣き、毎日、泣かない日はなかった。脱力感が酷く、何も意欲が湧かなくなり、当時やっていた事すべてを辞めた。


 私にとって、この世界はもはやガリバーがいないパラレルワールドだった。何をしたって、どんなに待ったってガリバーは帰って来ない。あんなに良い子が、あんな苦しい死に方するなんてと、神を呪った。ガリバーが何をしたというのだと腹がたった。自分が飼い主でなければ、もっと静かな最後を迎えさせてあげられたのではないかと自分を責めた。だから夫と何度も喧嘩した。あの時、ああだった、そうじゃなかった、こうしなかった。あんな事をした。ああすれば良かったのに。今更、介護方針の事で、ほとんど憎みあう事もあった。

 でも生きている限り毎日は更新する。ガリバーに会えなくて会えなくて疲れ果て、ガリバーのいない、この先の長い時間に戦慄した。やっと何かを頑張る気になった時、ガリバーの死から3年たっていた。


 私達夫婦は現在、動物愛護団体から引き取った猫3匹と暮らし、地元の愛護団体に入会し活動している。

 犬を飼わないと言っていたが、今は縁があれば保護団体の子を引き取ってもいいかと思う事が出来るようになった。でも、まだ少し怖い。犬の飼い主への献身は凄い。犬の愛に見合う自分になれない事には怖い。それに、あれほど私を可愛がってくれる犬がいるだろうか。あれは私の運命の犬だ。子供がいない私のところに、娘が犬になって産まれ、一緒に暮らしに来てくれたのだ。そんな存在に何度も会えるとは思えない。

 かといって、あまりグズグズして年齢がいってしまい、自分の方が先に死んでしまう年齢になってからでは飼えない。このまま、ガリバーが胸に住んだままでいいのかもしれない。今は、そう思っている。たまには目の端に白いものが過ぎってくれる事もある。


 いつか人間が恐竜のように滅んで、死なない生き物が栄えたらいいと思う。死なないのだから、環境はどうでも生きていけるのだよね、それは。

 宇宙はビックバンからずっと広がり続けているのだと聞く。そしたら生命が増え続けても暮らすところは、いくらでもあるのだよね。うちの父なんて、実家をどうするかも、墓問題をどうするかも決めず、いつまでも車に乗っている。あれは永遠に生きるつもりなのだと思う。


 死ななければいいね、みんな。死ぬなんてなければいい。死ななければ殺すなんて無いし。何かを焦って憎みあう事も無いかもしれない。人間も動物も皆。そうしたら世界は優しくなるだろうか。優しい生き物達が永遠に広がり続ける宇宙になるだろうか。


 私もいつか虹の橋を渡る時がくるだろう。その時を瞼に浮かべてみる。虹の橋の途中から手を振ると、向こうから真っ直ぐに走ってくるガリバーが見えた。

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