129. 裏切りの救世主
「いやいやいや、無い無い」
レヴィアは思わず突っ込んだ。
自分が救世主扱いされていると思いきや、まさかのその対象は妻。流石にありえない。自分ならまだ分からんでもないが、アリスが救世主扱いされる要素など全く無いからだ。
「何が無いん? アナタ、アリス様の事知らへんやろ」
手をフリフリして全否定したレヴィアに対し、冷たい目線を向ける京子。強い敵意のようなものが感じられる目であった。
「いや、だってアリスだぜ? あのアリスがさあ……」
それに気づかぬままレヴィアは思い出す。前世の妻の事を。
確かに能力的には優れた女であった。料理上手で、家はいつも綺麗。機転も効くし気も効く。メンドクサイご近所づきあいなんてのも上手にこなし、周囲からも非常に愛されていた。学歴こそ微妙なものの、あれこそ真に頭のいい人間と言うべきだろう。
ただ、その能力が暴力方面にも優れたかというとそんなことは無い。そもそも争うところを見たことがない。たまーに喧嘩しそうな人たちに首を突っ込むことはあったが、全て言葉と笑顔で解決していた。確かにあの平和的な仲裁っぷりはメシアっぽくはあるが……。
「は? もしかしてアリス様のこと馬鹿にしとるん?」
「え? いや、馬鹿にしたつもりは……」
「何も知らへん人がアリス様のこと語るのやめてくれはる? どうせ見た目だけで想像しとるんやろけど、アリス様の真価はその愛らしさだけでなく、強さと人格に……」
謎のアリス押しをしてくる京子。その言葉にレヴィアは困惑し、黙り込む。少なくとも強さにおいては自分より圧倒的に下だっただろうからだ。実際、脅威なんて微塵も感じたことはない。身長百九十以上の絞り込まれた筋肉を持つ男が、身長百四十以下のロリを恐れるはずないのだ。今でこそ別の意味で恐れてはいるが。
「や、近衛。レヴィアの言う通りでしょ。母さんが救世主とか聞いたことないし、そもそも戦ったり喧嘩したりするような人じゃない」
同じように思ったのだろう。純花がありえないという感じで突っ込んだ。
「というかその話が本当なら何で放っておいたのさ。悪魔の部下ってのがいるんでしょ? 倒してってお願いするのが普通なんじゃ」
「…………」
「悪魔ってのも近衛の父さんが倒しちゃってるしさ。救世主って割には全然関わってないじゃん」
続けて放たれた疑問。確かに、とレヴィアは思った。救世主扱いされているのに救世主としての仕事を全くしていない。誰にでも優しい女であったから、仮に救世主だったのなら何の迷いもなく悪魔とやらを倒しに行っていただろう。
一方、純花の疑問を受けた京子。彼女は痛いところを突かれたように「うっ」と言った。そして少しだけ考える様子を見せ……。
「え、えーと……これあんまり言いたくないんやけど、実はアリス様、途中で
「え? 何で?」
「……何や男に走ったらしいわ。一目惚れして。で、お世話するのに忙しいから
ガクッと力を落とす純花。いきなりのシリアスブレイクであった。
男に走る。つまり
で、その娘である純花。彼女は「か、母さん……」と頭痛がするように頭を押さえていた。押さえつつも納得しているようである。どうやらアリスのべた惚れっぷりは娘にも理解されているらしい。
「とにかくそういう事情もあって、出身の西の方々からは特に忌避されとるんや。説得はもちろん、制裁なんて話も一時期はあったみたいやな。けどアリス様色々と規格外で、アリス様のとこ行った人が次々と裏切ってアリス様側についてしまう。で、ついた名前が“裏切りの
裏切りの
男に走って裏切った者。他者を裏切らせる者。二つの意味をもじってそうしたようだ。言葉尻だけだと格好いいが、意味を理解するとどうも力が抜ける二つ名である。
(あっ、もしかしてアリスが天涯孤独なのって、そういう……)
さらにレヴィアは思いつく。身寄りがないと言っていたアリスだが、恐らくそういう事情もあり、出身の者たちからは勘当されていたのだろうと。
それを考えるとちょっぴり……いや、だいぶ良心がうずいてしまう。行動自体は彼女の責任であろうが、そうまでしたというのに自分は間抜けをやらかして早世してしまった。最後まで幸せにしてやれなかったのは後悔しかない。誕生日プレゼントにサプライズなんて考えるんじゃなかった。
「以来、アリス様との接触は固く禁じられとった。娘である木原さん含めて。けど、世界が滅びるか滅びないかって時にそんな事気にしててもしゃーないやろ? だからこっちに来て、チャンスやと思うて木原さんにお願いするつもりだったんや」
まあ、この話はもっと後でするつもりだったんやけど、信じてくれへんやろし……と話を締める京子。確かにいきなりこんな話をされても信じるのは無理だ。あの平和な世界――いや、遠い国でたびたび戦争は起こっているが、それでも世界が滅びるなんてのは実感が湧かない。純花も同様のようで、信じるべきか判断に困っている模様。
「……まあ、それが本当なら協力するっていうか、せざるを得ないけど。帰っても世界滅びちゃうんなら意味ないし。ただ、私そこまで強くないよ? 殴るのは得意といえば得意だけど」
「今はそうやろけど……アリス様と同じ力が使えれば隔絶した力が手に入ると思う。うち、一度だけアリス様の御力を見たことあるんやけど……」
ぶるりと震える京子。「はあぁ……叶うならもう一度聴かせてほしいわぁ……」と赤くなった頬を片手で押さえながら。恐怖を感じているのではなく感動しているようだった。
一方、「母さん、そんなに強いの? 戦いというか殴る蹴るするイメージが全然ないんだけど」と不思議そうな顔をする純花。その言葉にレヴィアもうんうんと頷く。
「ふふっ。まあアリス様、普通の戦い方とちゃうし。声だけで怪異を浄化するお人やから」
「声?」
「ええ。……あの神々しいお姿、世界との
うっとりと浸り始める京子。「アレを聴いたら音楽なんてただの雑音やわ」なんて言いながら。これまでに見たことがないほどの好意と敬意、ついでに信仰っぽいものを感じる。この高慢な女がこんな姿になるとは……一体どんな戦い方をしたのか。
同じく疑問に思っているような純花だったが、声やら何やらであまり物騒な感じがしなかったからだろう。少し気を抜いた様子になり……
「……まあいいや。でもレヴィア、よく分かったね。近衛がこんな事考えてたって」
「えっ?」
純花は京子ではなく、レヴィアへと突っ込んだ。
「やっぱりレヴィアも
「あー」
そういえばそうなるのかとレヴィアは納得。むしろ純花は両親共に光属性だったからこそ魔力が遺伝したのかもしれない。天叢雲とやらは気づいていないようだが、救世主は二人いたという訳だ。
「ま、せやろな。ついでに天叢雲と同じような組織に属してたんやろ? こっちじゃ魔力使える人大勢いるし、怪異の気配もないし、無いと思うてたんやけど……無いと気づかへんやろし。いくら美久が失言したとしても」
京子の言葉。それを受けたレヴィアは成程と納得する。京子は盛大な勘違いをしてしまっているのだ。純花を利用うんぬんから勝手に想像したらしいが、こっちは貧乏人の没落令嬢だと思っていただけである。そんな組織など見たことも聞いたこともない。
つまり目の前にいるのは勘違いでペラペラ事情を喋った間抜けな女。頭もよさそうだし、色々と察する能力を持っているようだが、察しすぎたという訳だ。
加えて
「は? なに笑うとるん?」
「いや、だって……」
にやにやとするレヴィア。さて、どうやって馬鹿にしてやろうか。色々とムカツク女なので可能な限り貶めたいところである。ネイ二号とか言えば効くだろうか。
「そっか……。レヴィアが故郷に帰れないのって、その組織から抜け出したから……。魔力使うのが苦手なレヴィアを無理やり働かせようと……」
そんな楽しい事を思い浮かべていると、純花がぶつぶつ呟き始めた。どうやら京子の想像をさらに膨らませているようだ。自分を心配してくれているのにレヴィアは嬉しく思いつつも、勘違いに対して突っ込もうとした。
「そんなとこやろね。ま、どう見ても木原さんやアリス様に比べて
「は?」
が、そこで京子が馬鹿にしてきた。
アリスは知らないが、現状の自分が純花以下なのは間違いない。とはいえ、間抜けから馬鹿にされるとは非常に心外である。レヴィアのこめかみにピクリと怒りマークが発生。
「わたくしがイマイチ? これはこれは、やはり随分と節穴な目をお持ちで。流石は勘違いで“組織”なんて中学生めいた妄想をする方ですわねぇ」
「? ……ははぁ。ここにきて誤魔化しにかかるんかぁ。今更事実を捻じ曲げようとするのは見苦しいで?」
「はあ?」
どうやら京子の中で組織の存在は確定らしい。否定したのに全く信じている様子はない。
コイツもしかして馬鹿なんじゃなかろうか。ネイのような真正のタイプではなく、頭のいい馬鹿。頭がいい故に自らの予測を疑いもしない性格というか。有能には違いないが、ちょっとやっかいなタイプでもある。レヴィアはそう予想し、ジト目を向けた。
「そんな恨みがましい目されてもなぁ。せめてアリス様のように人格に優れていれば
「あ? そのアリス様が何よりも素晴らしいと称えてたのは――」
俺。そう主張しようとしたが、途中で止める。そんな事を言えば正体がバレてしまう。
「じゃなくて、えーと……。というかアナタに優れてる云々を言われたくありませんわ。色々と偉そうな事言ってますが、結局実績があるのはお父上だけ。七光りの木っ端娘が人を評価するとかちゃんちゃらおかしくてよ」
「ッ……! うちだって色々動いとる。けど向こうでは色んなしがらみがあるし、お父様だけでなく妹たちが……」
「あら、ご兄弟がいますの? ……成程、これで分かりましたわ。ご兄弟が優秀で、自分が誇れるものとなると家柄くらいしかない。だから過剰に家柄が低いものを見下す。心の防衛本能という訳ですか。……哀れですわねぇ」
おーっほっほっほ! と蔑んだようなお嬢様笑いをするレヴィア。もちろん適当に言っただけであるが、否定したらしたで「嘘つかなくていいんですのよ?」とか言うつもりなのだ。さっきの意趣返し的な感じで。
が、奇しくもその予想は当たっていたのか。下を向いてワナワナと震え始める京子。どうやら逆鱗に触れてしまったらしい。彼女はレヴィアをキッと睨み――
「うち、寝るわ」
ごろんと寝ころび、毛布代わりのマントを羽織った。「お、おい」と話しかけるも、全く反応しない。
しーんと無音になる周囲。暫くすると、純花が困った顔で言う。
「……ねぇレヴィア。言い過ぎたんじゃ」
「や、だってさぁ……」
もごもごと言い訳をするレヴィア。確かに「あ、ちょっとやばいかも」という思いはあった。人間、触れてはいけない場所というものはあるのだ。
かといって謝るのは負けた気がして嫌である。まあ純花が言うなら謝ってやらなくもないのだが、特に何も言ってこない。言い過ぎは言い過ぎ、だけど喧嘩はお互い様、などと思っているのかもしれない。
結果として、どんよりとした空気の中、三人は眠りにつくのであった。
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